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2006年3月21日 (火)

棄権権行使のすすめ(選挙)

 今日は選挙,特に国政選挙について語ります。

 その昔は,日本でも選挙権を得ることが人民の一つの目標であった時代もありました。今は日本国籍を持つ日本人はある年齢になると自動的に選挙権を得ることができますが,それはそれで喜ばしいことです。

 ただ,日本に長年いながらも選挙権を持たない在日外国人もいます。

 私自身は別にそういう外国人ではないですが,彼らがもしもいらないというのなら,それはそれで自由ですが,普通なら彼らにも自動的に選挙権が与えられて当然である,と思っています。一方の義務である,納税の方はしっかりと課せられているわけなんですからね。

 ところで,選挙権というのは権利ではあるけれど,義務ではないということは幸せなことですね。

 選挙に行かなければ日本では一般に非難されることが多いけど,逮捕されたり罰金を取られたりすることがないことも,これはこれで重要な意味を持っています。

 ということは,投票しない,棄権する,というのも立派な権利なんですよね,タイトルにも書いたけれど棄権権というのはそういう意味なんです。

 でも棄権ていうのはちょっと消極的でいやな気分がします,これはスポーツなんかでケガなどで出場しないというときに使われる言葉ですからね。

 それはさておき,何故,私が選挙で「棄権する=行かない,投票しない」ことを推奨するかという理由ですが,もちろん推奨であり投票なさるのは自由です。

 例えば支持する政党も候補者もいない場合,自分が候補者になれるならなるというのも一つの選択肢ですが,普通は選挙制度,代議員制度を認めておられる方なら白票を投票することを選ばれると思います。

 ですが,たとえ白票であろうと,投票した以上,その当該選挙で支持していない政党なり候補者なりが,誰かが当選することは当然初めからわかっています。

 それに投票した人は,たとえ白票でもその選挙に参加したのですから,結果を当然認めざるを得ないし,彼の当選に対して責任の一端を担っています。,しいては彼の選ぶ首長や,または賛成,反対した結果として成立する政策に対しても,それらを甘んじて受けざるを得ないことになるだろうと思います。

  もっとも,経歴詐称などの理由でリコールする権利とか,投票理由と直接関係のある不祥事について,それを追求する権利というようなものは棄権者には全くありませんけどね。。。。

 当選した人が選挙事由と無関係な不祥事を起こした場合,やはり選挙に参加した人は少しなら追求はできても,結局,自分たちにも責任はありますよね。

 それに対して,棄権権を行使した人は,一面では「ずるい」という見方もあるでしょうが,彼の当選に対しても,また彼らのつくる政策に対しても,甘受するには及ばない,むしろ,いくらでも非難,批判する権利を持っている,と言えるのではないか,というのが,私が棄権権行使を推奨する主な理由です。

 本質的に「小ブルジョア」であるマスコミも含めて,世間では一般に正反対のことがよく言われます。「選挙にも行かないものが代議員のする政治・政策等に対して意見をいう権利は全くない。」とね。

 でも,私の主張はこれとは全く逆です。しかし,これ以上は「水掛け論」になるでしょうから,やめておきましょう。

 そもそも,私自身が生まれてくる前から,代議員制度も選挙制度もありました。

 まあ,選挙権があるだけでも幸せだという意味もありますが,私が求めてそうした制度作りに参加したわけでもない制度です。

 たかだか1名の当選者に対して十万票分の1とか数万票分の1の価値しか持たない1票の投票で政治に参加したという幻想を抱かせるような制度を甘受する必要はないだろうと私は思います。

 一般に,棄権した人々を政治に無関心であるとか消極的な意味でしか捉えない向きもありますが,積極的な意味で棄権権を行使する人々もいるのじゃないか,いや,いて欲しい,と思います。

 政治とは何年に1回かある選挙に参加することだけではない。まあ,もっといえば政治は上部構造ですから,ホリエモンではないですが,下部構造である人間本来の経済活動を云々したほうが選挙での1票より,はるかに効果的だと思います。

 直接関係はないですが,アメリカが戦争をしたがるのも兵器や石油などの産業の利権をめぐる経済活動がその下部を支える原因でしょう。

  ところで,政治とか政策とかについて批判はするけれども,全く具体的な活動をしない人々をよく見掛けます。他人のことは言えなくて私自身も「自慢」ではないけれど学生時代はさておき,今は何もしていません。

 でも,それでは駄目だろうということで微々たるものですが地震や台風などの災害や,戦争などで飢餓に苦しむ子供たちなどの募金にたまには協力するようにしています。

 もっとも,アメリカや日本などではホームレスでさえ,飢え死にはしません。天災でなくなることはあるでしょうがね。

 私自身いつホームレスになるかも知れない状態で募金しているので誰かさんのように金持ちの慈善とかいう道楽ではありません。( ← 他人にかこつけて開き直るなよな!。。)

 したがって,主に,飢え死にする可能性のある発展途上国向けに募金するというのが精一杯です。一応,ナショナリスト(民族(愛国?)主義者)ではなく,グローバリスト(地球人?)をめざしています。

 まだまだ,言いたいことあるけど脱線しそうなので今回はここまでにします。

                                      TOSHI

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006. 社会・経済・政治」カテゴリの記事

コメント

 こんばんは。耕士さん。TOSHIです。

 たまにはFPHYSでも、何かコメントをいただきたいと思います。
 
 まりもさん、お大事になさってください。私は育児の経験もなく職業として勉強を教えたのも小学生以上ですし、乳児、幼児は特に大変でしょうね。

 内容についてはかなり、興奮している私にくらべてかなり冷静に分析しておられるようで勉強になりました。

 うむ、義務と権利がリンクしているというイデオロギーに同調する必要はないですね。。。

 以後もよろしくお願いします。

              TOSHI  

投稿: TOSHI | 2006年3月24日 (金) 01時16分

TOSHIさん、こんにちは。

そういえば、TOSHIさんとお話するのは初めてなような気がしますね。
物理の話もしたいのですが、なかなか私の頭がついていってないのと、じっくりものを考える気力がだんだん薄れていっていて、FSCIやFPHYSでも雑談の部屋にしか書き込めなくなっています。(^^;

まりもですが、育児疲れであまり元気がありません。
さっきも、なかなか子供が寝ないので、子供に向かってどなってしまい、自己嫌悪におちいってしまったみたいです。

棄権についてですが、「敵」は棄権するなと強く主張しているわけでもないと思っています。多分、そういうポーズだけな気がします。
問題は棄権ではなく、情報が「敵」に管理されていることではないかと思います。
棄権するなとは言うものの、選挙ではなるべく有権者に選択のための情報を与えないようにしているというのが日本の現状ではないでしょうか。その一方で、イメージでもって有権者を誘導することに、どんどん熱心になっており、電通などの広告会社が「敵」のイメージ作りに奮闘しているという現実があります。彼らはイメージ作りのプロですから、かなり厳しい状況ではないでしょうか。

それと、義務を果たす事と権利を主張することはつなげて考える必要はないです。例えば生まれたばかりの子供はなんの義務も果たしてないですが、なんの権利もないかというとそんな事はなく、権利の主張は激しいです。
もちろん、義務と権利がリンクしている場合もありますが。

投稿: 耕士 | 2006年3月23日 (木) 23時10分

 どうも、耕士さん。ようこそ。。TOSHIです。

 関係ない話かもしれないけど、まりもさんはお元気でしょうか。。。
 
 もしかしたら耕士さんとお話するのははじめてかもしれません。

>棄権権については権利としてありだとは思いますが、それを推奨するのは結局は体制側の利益にしかならないので止めておいた方が良いと思います。

そういう一面もあるかもしれませんが「敵」が棄権するな、と強く主張している場合には、それなりの対抗策として、ことさらに正反対の主張を強調するのもありかなと思いました。

>そういう言い方には反対しています。投票しようがしまいが文句はきっちり言うべきだと思うし、選挙だけが政治ではないですし。

賛成意見に会うのはずいぶん久しぶりです。酒の席では結構あるのですが、それは私の声が大きいからだけだったりします。

 そうですよね、投票が「義務」だったら「義務」を果たさぬやつが何の「権利」があるか、ということになりますが、投票は「義務」ではなく「権利」のひとつですからねえ。。

      TOSHI

投稿: TOSHI | 2006年3月23日 (木) 11時19分

カクテルバー[ふぃず]からたどりつきました。

立候補するのにしきいが高いのと、まともな人なら政治家になろうとしないという現状を除いては選挙制度そのものはそれなりに良いシステムだとは思っています。
棄権権については権利としてありだとは思いますが、それを推奨するのは結局は体制側の利益にしかならないので止めておいた方が良いと思います。
で、あんたはどうしてるのと聞かれると、次点になるであろう候補に投票するという消極的な棄権をしています(^^;
「投票しないやつは文句を言うな」というのは投票率を上げようとするためだとは思いますが、普通の人が政治に関係するのが選挙だけだという事を印象づける効果もあるため、そういう言い方には反対しています。投票しようがしまいが文句はきっちり言うべきだと思うし、選挙だけが政治ではないですし。

投稿: 耕士 | 2006年3月22日 (水) 23時35分

 はじめまして、TOSHIです。

なにはともあれ、私のブログにコメントをつけていただいた第1号ということで、ありがとうございます。

 結構、過激なことを書いているつもりなのに、無反応だったらどうしようかな、と心配してたものですから。。。

 まあ、言っては失礼かな、とは思いますが、一応、ご意見は私の「想定内」です。

 そうですね、どうしても選挙権が欲しければ帰化して「国籍」をとるという方法があるといわれれば、その通りだと思います。

 ただ、選挙権と自分のアイデンティとを秤にかけたら、どっちが重いか、という話にもなりますね。例えば「王貞治」という人はまだ帰化してないと思いますが、僕個人としては選挙権くらいあげてもいいのではないかと思います。

 後半の話については何かあったときに自分は関係してないよ、知らなかったから責任がないよ、と述べていることなので、そういう意味で「ずるい」ととられてもしょうがないといわれればそのとおりだと既に述べています。

 極端な話をいうと、私は日本という「法治国家」に身を守られているくせに、現在の体制を認めていない、ましてや選挙など認めていないというような「罰当たりな非国民」なので、やはり「水掛け論」にしかならないと思います。

TOSHI

投稿: TOSHI | 2006年3月22日 (水) 02時25分

まず在日に選挙権を与えるという話についてですが税金を払えば選挙に参加出来るという考えですがこれは違うと思います。税金を払おうが払うまいが結局は日本で暮らしているだけで外国人な訳です。日本国籍を取る気が無いわけですから(とれないのかもしれないけど)外人に自分の国の政治を任せて良いという人はいないと思いますが・・・
また、選挙についても投票に行かない場合は支持する人がいないから行かないのか興味が無いから行かないのか分かりませんよね?(あなた自身もいて欲しいと言っていますし)。それなら白票を投票した方が誰も支持しないと自分の意志を伝えているわけだから良いかと。自分の意志を明らかにしないで批判する権利は意志を明らかにした人よりあるというのは明らかにおかしいのでは?会社などで問題が起きたとき後で自分はこの問題点に気づいていたと言っても意味無いでしょう?それと同じかと思います

投稿: あ | 2006年3月21日 (火) 23時46分

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