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2006年4月28日 (金)

トンデモ理論について思うこと

 常日頃から不思議に思っていることの一つに,「相対性理論は間違っている」という趣旨の,世にいうトンデモ理論はたくさんあるのに,「量子力学は間違っている」という趣旨のそれはほとんどないということがあります。

 常識から大きくはずれているということからすると,量子力学も相対性理論に負けず,劣らずと思われるのにも関わらず,相対性理論ばかりが一方的に攻撃されることが多いようです。

 その理由というのは恐らく次のようなことでしょう。

 すなわち,相対性理論は量子力学に比べてより人口に膾炙していることです。平たくいえば,世間一般の人(特に日本人)に名前だけでもよく知られているということですね。

 そして,相対性理論は微分や積分などを必要としない中学生の数学レベルで説明が可能であるということ,つまり敷居が低いことも大きな要因だと思われます。

 ヒョッとしたら,これらを利用してトンデモ理論の出版でベストセラーを狙っている某徳間書店などの陰謀?がからんでいるのかなとか考えたりします。

  それにしても,そうしたトンデモ学者の攻撃というのが,相対性理論を理解せずに,というか相対性理論を誤解し,その誤解した結果を攻撃して「間違っている」などというものが多いのに驚きます。

 また,本人のほんの思い付きで単に自分の常識と相容れないという理由から,歴史的経緯を経て淘汰された確固たる理論を攻撃しているものが多いと感じます。

 「自分がそれを理解することができないから,それは間違っているはずだ。」という自信に基づいて攻撃するのだとしたら,私にはそうした自信があることこそもっと理解できない話です。

  物理学を含む自然科学は人類100万年の歴史と比較すると,ヨーロッパルネッサンス期にその科学精神の萌芽が形成されてから,ほんの400~500年くらいで歴史があるとはいえない短いものですが,その間に爆発的に発展してきています。

 その現在までの400~500年を自然科学の有史時代と呼び,それ以前を有史以前と呼ぶことにしましょう。(もちろん,ヨーロッパにそうした萌芽をもたらしたのは東洋も含め,全世界の歴史による帰結でもありますが。。。。)

 有史以前は,「中世暗黒時代=キリスト教専制時代」や,もっと前は比較的自由だったと思われていますが実は奴隷などがいて本当に自由なわけではなかったらしいギリシャ古典自然哲学の時代などがありました。

 そうした時代には自然のしくみでさえ,「純粋思惟=座して単に沈思黙考」をすることのみで理解できる,あるいは神の御技であるとされていて,その結果,せいぜい地球上の自分の身近な経験から物事を神秘的に解釈して満足するような時代でした。

 そこでは自然哲学をも形而上学と考え,実験してデータを検証したりすることも無く,もちろん過去の歴史を受け継ぐことも無くて,検証されないので諸説が単に現われては消えていくということを繰り返していたわけです。

 それ故,天動説から地動説への変遷に典型的に見られるように,ガリレイが断罪されたり,また以前の理論が完全に間違っているということもしばしば起こったわけです。

 これに対して,有史時代以後は実験とは直接は関わらない数学という論理構造もはるかに整備されました。特に近代的な数式の記法が発明されたために以前の時代よりはるかに豊かな表現が可能になりました。

 さらに,前の時代の知見が様々な経験と実験とに裏打ちされながら,近代的で合理的な理論を付与されて淘汰されて行き,それらは懐疑され批判されるだけでなく,正しく選別され謙虚に次の時代へと継承されていったのです。

 有史時代の全ての実験や理論を,現代の人それぞれが全くの赤ん坊の状態から全部,追体験かつ追実験しなければならないとしたらいくら寿命があっても足りません。

 現代の技術環境は過去を懐疑して最初から全部確認し直すことでは得られず,過去を検証し確認しながら受け継ぐことによって得られたのです。

 もしも,過去と同じことを繰り返すだけであれば,親から子へ世代が変わるたびに後戻りすることの繰り返しで先に進むのは困難だったでしょう。

 こうした歴史の継承による進展は,現在ほどではないにろ,丁度当時印刷という技術が発明されて本という形で過去の発明発見を知ることが比較的容易になったということとも無縁ではないと思います。

 一人の400歳か500歳の天才がいたとしても,過去の全部のことを成し遂げることができないのは明白です。

 有史時代の歴史はたとえ短い400年か500年の間といえども,一人ではなく末端まで含め莫大な人々が関わり,淘汰されてきた結果なのです。

 それを単に身近な常識と矛盾するというような理由だけで理解もしないで,完全に間違っているなどと軽々しく述べることはできないのでは?と思うのは私だけでしょうか。。。。

 別に私は「定説科学教」というような宗教に染まっているわけではなく,柔軟な考え方もできるつもりの人間なのですが,それでもそうした批判を実行するほど自分の常識に自信はありません。

 政治や経済,思想や哲学なら,人間の関わっていることでもあり,議論で決着がついたり,ときには水掛け論になることもあるでしょう。

 しかし,数学や自然科学は単なる議論で決着することも,水掛け論になることもなく黒白がはっきりと決まるものだと思っています。

 そうしたものの真偽は多数決で決まるのではなくて,見る人が見ればトンデモかそうでないかをはっきりと判別できると思っています。

http://fphys.nifty.com/(ニフティ「物理フォーラム」サブマネージャー)                                                  TOSHI

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