« 関口勝雄六段のこと | トップページ | シスター・コンプレックス »

2006年4月26日 (水)

「インテリ=裏切り者」のルーツ

 インテリという言葉は非常に嫌な響きを持っていると感じる。

 特に,インテリとは裏切り者の代名詞である,と思っている人は多いと思うが,そのルーツ(起源)はどこにあるのだろうか。

 このことについて,いつかどこかで聞いたか読んだかしたことを思い出すと,本当かどうか知らないがその答えは新約聖書の中にあるということであった。

 つまり,聖書によると,イエスの12使徒の中には,そのころのヘブライ人にはありふれていたと思われるユダという名前の人物が二人いた。ベッサイダのユダとイスカリオテのユダである。

 後者は12使徒の中で最もインテリであり,イエスや使徒といえども生活のために貨幣を使っていてその財布を任されていた人物であったのだが,その才覚のため,結局は「イエスが十字架で処刑されることに加担した=イエスを売った」とされており,それが「インテリ=裏切り者」のルーツらしいというのである。

 その話の真偽はともかく,私もインテリというのは嫌いだ。最初,ニフティサーブの「FSCI=サイエンスフォーラム」その後に「FPHYS=物理フォーラム」に入ったのであるが,その中にはいわゆるインテリがうじゃうじゃいるのではないかという危惧を感じ,つきあっていけるのかどうか不安であった。

  こうしたフォーラムの会議室(今でいう「掲示板」)で発言をするのは,何か博識であるとか頭がいいとかを一生懸命自慢しているようであり,そのフォーラムというのはそういう人たちのサロンではないか,というイメージがずっと抜けなかった。

 実際,自分達の科学的知識をパロディー化したような話題もときどき現われて,そこにコンプレックスのようなものを感じたものである。

 しかし,よく考えるとインテリに限らず,プロやセミプロといわれる人々は実際に自分の特技,得意な分野を生かし,さらに努力して伸ばしてきたわけだから別に自慢してもいいではないかと思うようになってきた。

 たとえ学と名がつく分野でも,得意とするものについて自己主張することで,自己の実存を得たり,生活の糧を得たりしているのだから,「自慢=自己主張」であると考えて肯定的に捉えてもいいのではないかという考え方に次第に変わってきたものである。

 とはいえ,インテリという言葉は使いたくないという気持ちに変わりはない。何かいやらしい響きを感じてしまう。やはり聖書の中のユダのせいだろうか?

 インテリジェンスのある人と言えば少しはやわらかくなるが,博識とかいっても「たかだか知ってるか知らないかの違いではないか」と思ってしまうのは私だけかなあ。。

http://fphys.nifty.com/(ニフティ「物理フォーラム」サブマネージャー)

                                                  TOSHI

http://blog.with2.net/link.php?269343(ブログ・ランキングの投票)

  

|

« 関口勝雄六段のこと | トップページ | シスター・コンプレックス »

005. 心身・思想・哲学」カテゴリの記事

009 宗教・神話」カテゴリの記事

010 歴史(日本,世界)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/71281/1554001

この記事へのトラックバック一覧です: 「インテリ=裏切り者」のルーツ:

« 関口勝雄六段のこと | トップページ | シスター・コンプレックス »