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2006年4月20日 (木)

エゴ,自己中(ジコチュウ)と個人主義

 昨日,仕事場で友人(と私は思っている)のKさんと話をしました。彼は「最近の若者の中には迷惑をかけなければ何をしてもいいという人がたくさんいて困ったものだ」と言います。

 例えば電車の中で平気で化粧をする女子高生とかOLや,携帯で電話するなどはもってのほか,メールやゲームなどをして傍若無人,つまり,自分の部屋の中であるかのごとく,恥も外聞もない様子で行動をするのは許せない云々,という趣旨の話でありました。

 まあ,「最近の若者は」とか,「近頃の若い者は」とかいうのは,昔から繰り返される言葉でありまして,私はあまり使いたくない部類の言葉ですが,それはさておき,前半の言動にはあきらかに矛盾があります。

  「迷惑をかけなければ何をしても」という内容をさらに聞くと,「共同生活をしているのだから」ということですが,そも「迷惑をかけなければ共同生活に迷惑をかけないわけだから問題ない。」ということになるので,私などは別にいいじゃないか,と思うわけです。

 ということは,化粧をする,携帯を使う,などの行動を実は彼は迷惑だと感じていることになるのではないでしょうか。

 化粧はともかく電車内での携帯の使用は一応一般には禁じられています。

 心臓ペースメーカーや補聴器などに対して,微弱ですがごく近くで発生するこうしたものによる電磁波が,それらの機器の誤作動の原因となるということはかなり信憑性が高い話です。

 満員に近い状況での携帯の使用は確かに誰かの命に関わる可能性があることは事実ですから,差し控えるべきである,というのはよくわかります。

 しかし,彼の反対する理由はそうしたものではなく,例えば公共の場での個人的な電話の話し声などは耳障りで不快だというのです。

 それなら,まあ暴論を承知で「ヘッドホンステレオなどで耳をふさいで音楽でも聴いたらどうだ。」と言うと,「そういう行為も困ったものだ。」と言います。

 私自身も昔はシャカシャカという音が漏れているのを聞いて確かに不快なこともありましたが,最近はオープンエアでも密閉型でもあまり音が漏れている様子はないと思うのです。

 私自身が公共の場所でヘッドホンステレオを聞く際には,あまり他人を気にしないので,まあ私の場合は自分中心で勝手なものです。

 彼の場合,たとえ音が聞こえなくても「その行動自体を不快と感じる。」と言うのですからもう少し複雑な理由でしょう。

 私などは,出勤前に急いでいてヒゲを剃り忘れたりすると,途中,電車が混んでいなければ車中で携帯用電気カミソリで平気で剃ったりするし,ヘッドホンステレオもときどき使用していますが,彼は私の行為も「とにかくもってのほかだ。」と言いました。

  確かに,公共の場であろうと,喫煙などは私自身もかなりのヘビースモーカーですが,吸っている本人が肺ガンになろうと胃潰瘍になろうと別段,自己責任で自業自得でしょうが,タバコの副流煙を吸わされる他人にとってはたまったものではないでしょう。

 それが健康にとって有害なのは,疑いないことですから,それなら迷惑だというのはよく理解できます。

 しかし,電車内で化粧,読書,新聞を読む,ことから,電車内やホームの床にすわりこむ,ことまで含めて彼が不快と感じることは,私なら満員でなければ別に無視すれば何も感じないことです。

 そうした人たちは「彼,彼女自身のエゴのテリトリー」の中で自分の部屋のごとく振舞っているだけのことで,「他人のエゴのテリトリー」を侵さない限りは,全くかまわないことだと私は思うのですが,いかがなものでしょうか?

 前にも言ったように,人間はみんな多かれ少なかれエゴイストであり,自分のエゴが他人のエゴとぶつかってフラストレーションを生じることを極力避けている限り,それは「たちのいいエゴ」であり,「自己中(ジコチュー)と呼ばれるたちの悪いエゴ」とは異なるものだと思っています。

 若者の傍若無人を不快と感じて注意したいと感じるのは,昔懐かしい隣近所にあった家族意識の名残りでもあり,Kさんは私などと違って2人か3人かは聞いてませんが人の子の父親ですからそれなりの責任もあって,気持ちはよくわかる面もあります。

 しかし,一面,日本社会では大都会と呼ばれる場所においてさえ,「個人主義」がまだまだ未成熟だな,という感覚を受けました。

 私自身が「価値自由の原理」などという"モットーもどき"を持っているからそう思うのでしょうか。

 確かに理屈っぽい頭では上記のように考え分析するのですが,私自身も「個人主義」に染まっているわけではなく,意識下にはアメリカ,またはヨーロッパナイズされない「日本的なもの」を持っていて,傍若無人を完全に無視できないという気持ちもあります。

 今はそうではないですが,以前は接客業でもない職場で香水のにおいをプンプンさせていたK氏のことを不快と感じていた人もいただろうし,焼き鳥屋やすし屋などではもってのほかだろうと思います。

 世間にはコーヒーのにおいでさえ悪臭と感じる人もいると聞いているし,個人の趣味や嗜好が思わぬところで他人に不快感を与え,迷惑をかけているかもしれないので,一概に「たちのいいエゴ」と「自己中」の間に線引きすることはできません。

 ただ,私自身は若干大げさですが,K氏を中心とした父親世代の不快感の原因の意味するところは個人主義の未成熟にその一端があるのではないかと思ったわけです。

 「近頃の若い者は」という言い方については,私は誰であろうと自分より年下の世代に対する責任はその前の世代に多大なものがあると思うので,自分自身に非難としてはね返ってくるのではないでしょうか。

 われわれの世代でいえば,マスコミのいういわゆる「全共闘世代の挫折」から,所詮何をやってもダメという「シラケ世代」が生まれたという歴史があるという考え方もありますしね。

 自己中といえば,若者よりも,「オバタリアン(死語か?)」の方に思い当たる節があります。

 私の住んでいる巣鴨は「ジジババの原宿」と言われているようですが,大勢が1列に並んで電車の切符を買っているのに,販売機の前に到達した時点で初めてオモムロに案内板で行き先までの電車賃を調べ,ユックリとハンドバッグの中を探がし財布を取り出して,という姿をよく見かけます。

 これなどは正に自己中の傍若無人(カタハラニヒトナキガゴトシ)で私はとてもイライラします。

 まあ,私の母くらいの世代は,恐らく女性はそうあるのが女性らしいという社会共通の価値観に縛られざるを得なかったのでしょう。

 結婚後は家庭に閉じ込められて社会性とは全く無縁の生活を強いられて来た多くの女性にとっては「悲惨な時代」であったこともあるでしょうし,またお産(「産褥」ともいわれた)を経験したために,恥も外聞もなく逞しくなったせいかもしれません。

 電車内の携帯については,私自身もよく電源を切るのを忘れたりしますし,また,最近ではその使用を注意したために逆恨みされて痴漢にでもされてはたまらないというのもありますが,他人に注意したことはありません。

 むしろ,痴漢願望なら未だにありますがね。肉体的に健康な男性ならむしろそうした願望がいくらかでもあるほうが普通で,それを実行するかどうかで一線が引かれているのだと思います。

 アリャリャ,また自分の趣味嗜好の方に脱線しそうになったので,今日はここらでやめます。

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