自己韜晦(じことうかい)
私は,ときどき「自己を韜晦(とうかい)している」という意味のことを他人から言われることがあります。
(実はこの言葉は大学生時代に隣の下宿にいた2年先輩の奥野さんに言われて知ったのです。ということはその頃既にそうだったのかなあ。。)
つまり,自分自身が自分自身に対してもいわゆる「心に仮面をかぶっている」と言われるのです。自己を隠そうとする傾向があるのです。たとえ一人でいるときでさえ,腹の底から喜怒哀楽を示すことができないのです。
例えば,ストレス解消のためでしょうが,ときどきスナックに一人でお酒を飲みに行きます。そして,とにかく長尻酒なのです。閉店までいて,気が向けば初めて行った店でさえ,そしてたとえ他に誰も客がいなくても,平気でカラオケを何曲も唄ったりします。さらに大抵は2件目,3件目とはしごをします。とは言ってもお金があればですが。。。
私の場合,酔っ払いの相手を長々としていても全然気になりません,というかむしろ好きなんです。他人のケンカを見るのも大好きという悪趣味です。好事魔というか平穏よりも常に変事を求めて自分の心が動くことを期待しているからでしょうね。
むしろ,飲みに行ってストレスをため,素面でストレスを解消するといった面もありますから,私にとって飲酒とはなんなんでしょうか。とにかく,自宅ではまず酒は飲みませんし何十年も,"ひとり者”なので,酒場は色々な他人とコミュニケーションを図る大切な社交場という意味があるといえます。
唯我独尊で自身だけで閉じていて何も受け付けない頑固者であれば,そもそも社交など不要なのでしょうが,私は恐らく正反対の性格でしょう。
私は気ままなのですが,決して自分を忘れるような酔い方はしない,酔わないというより酔えないのです。もちろん,酔うため酔うことが主目的で飲みに行っているに違いないのに決して他人に心の内を見せないように,心が仮面をかぶっているのです。
そのため先にママやマスターのほうがつぶれてしまい,「なぜ酔わないの,このバカ」などと怒られたこともよくありました。自分でも「酔わないのは困ったもんだ」と思っています。
恐らく自分をさらけだすことが怖いのだと思います。本気で笑ったことも怒ったこともここ30年くらいはありません。悲しいですね。せいぜい,人の見ていないところで人知れず大声で泣くことがあるくらいですかね。
「自分は醜い。見かけも醜いのだけれど心の中はもっと醜い,醜い。」と心で叫びながら泣きます。何かこれも自慢しているようでやはり醜いなあ。。。
鬱々とした気分になって「自己嫌悪」の感情がときたま,心を覆ってしまいます。酒はこれを解消するものではありません。過去のトラウマから友人をつくること,ましてや親友をつくることができません。
20代前半のころつらいイジメを受けていて耐えていた頃,いちばん,つらかったのが友達と思っていた人に裏切られることで,これほどつらいことはなかったという思いがあるからかもしれません。
今日はなんとなく,自分の弱さを書いてしまいました。いわゆる愚痴ですね。きっと他人になぐさめてもらうことを期待している自分がいるのでしょう。醜いですね。ブログを書くこと自体もやや,醜い行為に見えてしまいます。今の気分を書きました。ごめんなさい。
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