イジメとノーローゼ
私はうつ病という精神病と30年以上つきあっています。39歳のときから糖尿病でもあるのですが,糖脳病(とうのうびょう)でもある,というわけです。特に季節の変わり目,その中でも3月から4月ごろが最も憂鬱な時期ですかね。
もっとも,友人によると,私はうつ(鬱)というより,そう(躁)ではないか?と言われます。とにかく素面(しらふ)でも大きな声でのべつまくなしで話をして,うるさくてしょうがない,というハイな感じの日も多々あるからです。
しかし,それはうつの裏返しで自分では本性は無口なのだと思っています。「しゃべる」のは,実はそうしないといられない,しらけた状態と感じる雰囲気になり間が持たない状態が怖くて,落ち着いていられないからだろう,と自己分析しています。
といっても現在の状態はほとんど治癒していて,この年齢になると図々しくなったせいとか,感性が鈍ってきたためでしょうが,これも実は悲しいことではあります。
若いとき(会社員時代)には山上たつひこの「がきデカ」にちなんで「NHC(練馬変態倶楽部)」というのが会社にあって,私はその副会長をしていました。
そのクラブでのバレンタインデーの飲み会の帰りに,酔った勢いで後輩女子社員(T.O)さんの引き出しに「T.Tより愛をこめてというカードをつけたパンティーの缶詰」をこっそり入れておいたりして,翌日誰が入れたかがバレて落ち込んだりしていたので,この病気も自業自得であるという意味もありますけどね。
そもそも,こういう病気になったのは大学5年生(23~24歳)のときに強烈な「イジメ=ムラハチ(村八分)」にあったからです。
そのころの私は高校までの,おとなしい優等生的な性格から,大学闘争の中でマルキシズムの洗礼を受けたせいで,むしろ少し狂暴なくらいの性格に変わっていました。
きっかけは転居して入ったばかりのアパート(下宿)で真上の階の部屋のステレオ騒音が頭にきたので,大声で「うるさい」とどなったり,壁や天井をどついたりしたことです。
運が悪いことに、実は私以外のそのアパートの住人はほとんど全てが大学の自動車部の仲間達だったらしく,まず,そのアパート全体でムラハチにあってしまいました。
彼らの友人の中には私を知っている私の学生運動仲間達もいて,うわさはどんどん広がっていきました。
ここらへんからただの「私の妄想=被害妄想」か,本当にイジメにあっているのか,の区別がつかなくなっていき,いわゆるノイローゼ状態,精神の緊張状態が続き,手がふるえたり,食堂での食事がうまくのどを通らなくなったりしていきました。
そしてS市だけでなく,その隣の市までその全体が私の敵だと思えるくらいの状況になっていきました。
全てが自分の妄想というわけではなく,実際,シカトや嘲笑がたくさんありました。特に親友だと思っていた奴らの"裏切り"は一番こたえました。
もしも暴力によるイジメであったなら,私は黙って殴られる人間ではないので,当然,多勢に無勢でも対抗する用意はあったのですが,精神的圧迫に対しては,こちらがムキになるほど滑稽なピエロになるだけだという悪循環に陥るしかなかったのです。
イジメている側はどうってことない,と思っているはずだからいくらでも休息はあるはずですが,私のほうは四六時中自分と向き合わねばならないのは辛いことでした。
しかし,その当時の私にも既に個人主義的思想の萌芽は芽生えていたので自殺という道を考えたこともありましたが,こんなことくらいで自殺してたまるか,と思いとどまったものでした。
よく自殺志願者に「死ぬ気になれば何でもできる。」などとはげます人がいますが,これはある意味で逆効果ですし,何の気休めにもなりません。
そもそも,本人にとっては「やるべきことがどうしてもできなくて,死ぬ以外に道はない。」と思っているのですから"死ぬ気になれば,死ぬ"しかないわけですからね。
ともあれ,この状況でも仕送りのない私が生活してゆくにはバイト(アルバイト)するしか道はなかったので,S市から離れたK市やH市まで行ってとびこみのバイトを続けました。
そして,結局,就職も決まっていましたが,精神不安定のためあきらめて,親戚がたくさんある関西の大学院をかたっぱしから受けて,ひとつだけ引っかかりました。
そして,その大学の病院の精神神経科で薬物療法を受け,その後,就職して東京へ移っても 病院で同じ薬物を投与され,次第にその量を減らして快癒していき現在にいたるわけです。
快癒の鍵となるのは「妄想を抱いている本人が思うほど他人は暇じゃないので私のことなど眼中に無い時間のほうがはるかに多いものだ。」と自然に思えるようになれることです。
しかし,それでさえ渦中の最中にあるときの私には,薬物を用いて,自意識過剰の状態から感性が眠ったように麻痺した状態へと無理に移行させる必要があったわけです。
こうしたトラウマは,時偶夢の中でイジメられている自分がいて汗びっしょりになって目覚めることがあることから考えても生涯消えるものではありません。
そもそもトラウマというのは漫画家の赤塚不二夫氏のウナギ犬に似た発想で吾妻ひでお氏がパロッたところの虎と馬の合体動物:虎馬ではなく「心的外傷=心に受けた傷跡」のことです。
これは「トロイメライ」というシューマン作曲の楽曲にもあるように"ドイツ語ではトロイメ(die träume)=英語ではドリーム(dream)"という言葉のラテン語かギリシャ語から派生したと思うので,夢でうなされるのも無理はないのかもしれません。
とにかく,イジメた側は年月が経つとほとんど覚えていないのに対し,一人で多数を相手に精神的に戦ったイジメられた側は生涯覚えているもので,忘れたようでもトラウマがあるものです。
だからこそ,近年の事件の中でも大阪の池田小学校での殺傷事件や,高校時代の恨みを数年後にはらした,という殺人などもおこったのではないかと思うわけです。
もちろん,別にこれらを正当化するつもりは毛頭ありませんが,イジメられる側にもイジメの責任の一端があるという考えには大反対で,自分が経験したから言うわけではないけれど,絶対にイジメる側に全ての責任があると思います。
犯罪人に対するマスコミによる社会的抹殺という権力による刑罰に加えての二重の刑罰もイジメのひとつだと思います。
まあ,三面記事に興味を持つ人民が顧客ですから,商売上仕方ないというところでしょうけど,そういう風にもっと大切な事柄から人民の目を逸らすという意味でも私は支持したくないことです。
ただ,イジメというのは悪口(陰口)を言うことと同様,一種人間,いや動物の本能に根ざしているものだとは思います。
子供のころ,田舎の自宅で狭い小屋に20羽ほどのニワトリを閉じ込めて飼っていたのですが,明らかにただ1羽は背中の部分の羽が一部なくて地肌にこづかれた傷がたくさんありました。
要するに狭い小屋に閉じ込められているというストレスから,1羽が選ばれて他の全てのニワトリからイジメを受けていたのだと思います。
聞いた話だと,飯場の土方たちは雨が続いて仕事ができないと"精神的に一番弱い"土方をイジメる,らしいです。まあ,社会的ストレスというのは狭い日本にはいくらでもあるので本能的なイジメも"神の摂理"なのでしょうかね。
こうした人間の性分は,かつての権力者の分割統治にも利用されていましたね。いわゆる,平等なはずの人間にわざわざ身分というものを与え,庶民同士で「身分が上だ下だ。」といがみあわせて権力者への風当たりを弱くするというやり方です。
ときの権力は四民の下にさらに「人であって,人に非ず。」という,現在では差別語でもある"エタ(穢多?),非人"という身分まで作るという周到さでした。「俺たちはイチバン下じゃない,下には下がいる。」ってことでしょう。
現在でも「職業に貴賎なし。」などというのはウソっぱちで,ある種,セレブなどという身分もあるようです。
その昔,江戸城などのお城から"汚穢(おわい)"を搬出した人,街頭の死体を片付け処理した人,牛や豚を屠殺し解体して,肉や皮革を扱った人,河原乞食と称して現在の芸人(芸能人)の源をつくった人々(出雲阿国ら)などの子孫たちを被差別部落民として部落に押し込めていた過去があります。
そして,比較的自由になった今でも,被差別部落出身人の名簿なるものが出回っているらしいです。こうした病んだ社会の構造も,このイジメの本能を権力者が自在にあやつってきた結果でしょうね。
うつ病の話に移りますが,独立国家となった当初から個人主義が徹底してゆきわたっていたという,かの大国ではうつ病も肩こりもないらしいですね。
この,うつ病,あるいは私のような強迫神経症?は被害妄想という自意識過剰のいやらしさを必ず伴います。
そもそも,全ての精神病,神経症について,「多いほうが正常で,少ないほうが異常である。」と考えるのはウソだと思います。病気の方には,明らかに「妄想=被害妄想」が伴いますから,たとえ,そうした人の方が多くなっても,とても正常であるとは思えません。
また,「天才と気違いは紙一重である。」などと言って,「頭のいい人は気違い=精神病や神経症になることが多い。」という迷信のようなのもありますね。(サヴァン症候群という迷信ではない例もありますが。。。)
まあ,実際,ニュートンやショーペンハウエルは一時期,被害妄想のために田舎で静養したりしているし,晩年のニーチェは鞭で打たれる馬の首にすがって「許してくれ。」と泣きわめいたといわれています。
もっとも,ニーチェは心因性ではなくて,親の梅毒?のせいかどうかで脳梅になったのだ,と言われていますから,他の二人とは違うようですね。
私はといえば,大して頭がいいわけでもないのに,眠れない,食べられないという晩年のゲーデルと似た症状で,かつて30代に80kg近くあってブタといわれていた体重(身長は176cm)が50kg程度まで落ちて,次第に衰弱していっているようで困ったものです。
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