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2006年5月 1日 (月)

靖国問題(つづき)

 以前,首相の靖国神社参拝問題と信仰の自由との関連について述べましたが今日はそのつづきを述べます。(3/20の記事「 靖国問題」参照)

 首相自身は「個人が何を信仰して何を拝もうと信教の自由である。日本のために亡くなった英霊を拝んでいるのだから,韓国や中国などにそれを批判されても見当違いである云々」なる意趣の発言をなされています。

 これについては公人たる首相が信仰の自由を盾に「オウム真理教だろうと何だろうと,これを拝むのは勝手だ。」というのはいかがなものか,という話をしました。

 しかし,振り返ってみると,これは首相の一種のポーズかもしれないし,または「お姉さん」や秘書官によって引き起こされた作為の発言かもしません。

 裏には選挙公約であるとか,参拝したほうが政治的に有利であるとかの意図があって,信仰の自由である,とかの取って付けたような稚拙で誰でも簡単に反迫できるような言辞を弄するのは,実は腹に一物あってのことかもしれません。

 国の主権とか,内政干渉だとかの理由については,わが国は過去に軍隊による侵略という大きな内政干渉を起こした国ですから,その被害国による干渉に限ってはわが国が批判するには値しないと思います。

 まあ,中国国内での反日運動については,それはかの国の1つの戦略という面もあるでしょう。

 また,日本は過去の侵略の清算などもあってODAなどで多大な経済援助をしていますが,それらは中国共産党の幹部を含む一部の富裕層のみが独占していて,過激な反日デモをしている庶民たちは日本の援助の事実さえ知らないらしい。ですからある意味では仕方のないことかもしれません。

 韓国との竹島問題についても,たかが小さな島の一つや二つと思っても実は国土の二百海里以内とかいう領海における漁業権という利権の話がメインであろうと思われますから,かなり大きな問題なのは事実です。

 しかし,日本の庶民よりも韓国の人々のほうがはるかに過熱しているように思えるのは,かの国が日本よりも「愛国心=ナショナリズム」の意識が高く,またそれを扇動する国のフィクサーたちの「政治的意図」も働いているのでしょう。

  とにかく,日本だけではなく各国の政治的思惑がからんでいるらしいので,単純に信仰の自由とかの道義的問題だけではないのは確かだと思います。

  しかし,国の主権とか利権とかで争うのはいいかげんにしたらどうだろうかと私は思います。

 例えば,竹島問題では両国で仲良く漁獲量の上限を決めるとかして妥協することも必要でしょう。中国との尖閣列島の油田の問題にしても同様です。

 とにかく全ての地域で宗教や人種などの問題で反目しあっていた人々によるそれぞれの民族の独立が終わったあかつきには,次には国境のない地球という理想に向かって欲しいです。

 これを達成するために,永続的な社会革命によってしか得られないとも言われている全人類個々の意識革命による人間性の変革を完成させる必要があるでしょう。

 「存在が意識を規定する」のですから,他者と社会的に関わること無しには自己の変革は有り得ないわけだし,逆に社会が変わるためにはすべての各個人の変革をもってするしか道はないと考えるわけです。

   

   ↑ 靖国神社(Wikiより)

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