多世界解釈と超選択則
量子力学の観測の問題では,状態の収縮という悩ましい話があります。
こうした観測における収縮のメカニズムなどの合理的解釈が不明であっても,物理学として理論展開したり,工学的に応用するなどについては,量子力学に問題はありません。
しかし,測定装置と干渉して観測と同時に波動方程式からはずれて固有状態に収縮するという話にはかなり無理があり,"ユニタリ性(unitarity)=連続的時間発展の局所時刻での確率の保存"を破るというのは,いかがなものかとは思います。
まず,観測と同時に波動関数で記述される純粋アンサンブルの状態から,密度行列でしか記述できない混合アンサンブルの状態に飛躍する,といういわゆるデコヒーレンスの問題があります。
これは測定装置そのものが莫大な粒子から成る巨視的存在であるという理由から,位相を伴なう部分は激しく振動するためにリーマン・ルベーグの定理により消える,つまり"干渉部分は消え落ちる=デコヒーレンスが起きる"という理論で解決される,という理論がかなりもっともらしいです。
これは,最近の「並木・町田理論」を例示するまでもなく,かつてのボーム(David Bohm)の標準的著書「量子論」の中に,その思想が見られる興味深い話ではあります。
しかし,観測によるデコヒーレンスという問題ではなく,実際に観測でただ1つの状態が如何にして選択されるのか?という問題もあります。
これについては,「数理科学」という雑誌の中の記事で和田純夫氏の報告を読んだだけですが,上記の問題を説明するために多世界解釈という理論があるという話には,かつて私は大いに感銘を受けました。
つまり,"この世界=宇宙全体を記述する状態ベクトル=波動関数"は観測に関係なく,ホイヘンスの原理のように,あらゆる経路の途中で分岐し,かつ重ねあわされて発展していくというわけです。
創始者のエヴェレット( Everett )流の素朴な解釈のままでは,幾分SF的な多重宇宙の存在という話になりがちですが,こうした多世界解釈の現代的理解は状態の時間発展を経路積分で定式化したときの物理的イメージと重なるものと考えることができます。
そもそも,量子論そのものがそういう時間発展形式をしているのですから,"観測行為とは状態を乱すものではなく,状態の経路のうちの1分枝を捉える作業に過ぎず,決して波動関数が収束するわけではない。"という思想はとても素晴らしいと思いました。
ただ,ロジャー・ペンローズ(Roger Penrose)氏らの"状態ベクトル,あるいは波動関数そのものが実在(reality)である。"とみなす立場からは,ある物理量,例えばスピンの固有状態,つまり固有値のみが観測され,何故重ね合わせ状態は観測されないのか?という問題は多世界解釈では説明がつかないと主張されています。
すなわち,多世界解釈では,いわゆる「シュレーディンガーの猫」の生死各々の状態と同じく生と死の重ね合わせ状態も対等に観測可能な状態である,という意味で何の解決にもなっていないではないか?という批判があります。
実際,物理量の固有値,そして固有状態が何故その固有値をとる状態のみが観測の際に特別視されるのか?,何故,猫の生と死という特別な2つの状態のみが観測において選択されるのか?という問題があります。
あるいは,スピンなら,何故アップとダウンのみが選択されるのか?,核子なら,何故質量殻上ではアイソスピンのアップ・ダウン固有状態である陽子と中性子のみ選択されて,それら陽子と中性子の重ね合わせの状態は観測されないのか?というような問題もあります。
これらは,量子力学の観測という狭い論題ではなく,むしろ,人間の脳が生死という択一的な状態しか認識できないという認識能力の問題に抵触する話で,単に物理学だけでは割り切れないデリケートな哲学的問題ではないかと思っています。
これらは,量子論ではいわゆる超選択則というルールを導入することで簡単に片付けられていますが,観測問題においてはとても悩ましい問題である,と私は感じています。
これについては,多世界解釈に限らず,現状の如何なる観測解釈でもまだ十分な説明はなされていないでしょう。
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コメント
kafukaさんと論議していて、時空が離散化、或いは、量子化されていると捉えれば、量子は観測した時(他の物質と相互作用をした時)には、量子論的純粋状態→古典論的混合状態→古典論的純粋状態というように、(見かけ上)連続的・(本質上)段階的に状態が発展して行く事が可能ではないかと閃いたのですが、いかがでしょうか?
投稿: 凡人 | 2007年10月25日 (木) 00時45分
こんにちは。じょうじさん。コメントありがとうございます。TOSHIです。
量子エンタングルメントという言葉はよく聞きますが私はよく知りません。
検索してみると、量子相関、EPR相関のことらしいですね、それなら理論としてはよく知っています。
量子コンピュータや量子通信については既に、「公開キー暗号」や「量子通信」(神はサイコロ遊びをなさる)という題目で5月4日に書いていますが、私自身、工学畑ではないので技術的にはよく知りません。
まあ、非局所性で光速を超える相関性について、これを実際に利用できる、ということになると、相対論的因果律が現実に破れることになるので、現実の世の中の巨視的因果律を破らず実現される可能性しかないでしょうね。
もっとも「不確定性原理」についても、標準偏差の意味での「ケナードの不等式」は間違いないですが、素朴な実験誤差の意味では「ハイゼンベルクの不等式」は誤りで東北大学の「小澤の不等式」が正しいらしい(「ハイゼンベルクの顕微鏡」石井茂著、参照)ので結構、進展はあるようです。
TOSHI
投稿: TOSHI | 2006年6月 5日 (月) 13時46分
観測問題、悩ましいですね。物理を本職にできるほどの能力のなかった物理出身者としては永遠の大好きな課題です。最近はエンタングルメントの現象が研究が進んでいるようですが、この解釈はどういう具合に落ち着いているのでしょうか?大変興味があります。
投稿: じょーじ | 2006年6月 5日 (月) 00時14分