他人(ひと)の不幸は蜜の味(社会的抹殺)
このところの秋田殺人事件での畠山鈴香容疑者などへのマスコミ報道の過熱ぶりにはいささか辟易している。
秋田の片田舎で起きた単なる事件の一つに過ぎないではないか。昔だったら離れた地域にいる人々はほんの新聞の片隅の三面記事としてちょっと読む程度ですぐ忘れるような記事であろうと思われる。
本当に殺人の犯人であるとしても彼女はやがて服役したり,死刑になることで罪をつぐなうことになるのである。
自供といってもウソかホントかわからないような状況で勝手に警察や検察の流すことを鵜呑みにして身勝手な母親だとか,男たらしだとか,想像で人格を決め付けて非難し,子供虐待の社会問題である,とか言って評論家なども想像で論評している。
彼女は,すでに社会的には抹殺されているのと同じだ。たとえ殺人犯である、としても私は可哀想だと思う。
社会的制裁・抹殺は特に有名人の性犯罪にはきびしい。
つい先日の極楽トンボの山本とか,田代まさし,元早大の植草某などがいい例だ。有名人ではなくても痴漢の冤罪で人生を棒に振った男たちもいっぱいいるらしい。
社会的に抹殺された彼らは今後どうして生きていったらいいのだろう。
警察,検察,マスコミなどが正義面,聖人君子面をして,自分達が当事者,被害者でもないのに平気で彼らを非難しているが「下半身に人格はない。」のだ,おまえらも同じだよ。
ホリエモンや村上世彰のときもそうだった。
「他人(ひと)の不幸は蜜の味」なので,ニュースバリューがあるというわけだから,この時代では仕方ないのだろう。だけどエゲツないぞ。
昔,戒律の一つである姦淫を犯した女を人々が石打ちの刑で殺そうとしていたとき,イエスも言ったではないか。
「まず,罪なき者から石を投げるがよかろう。」と。。。。
「罪なき者=神」であるから人々は冒涜というより大きい罪を犯すことを恐れてちりぢりに離れていったという。
この聖書の故事を知らないのだろうか?
まあ,加害者ばかり擁護しているようだが,加害者を非難できるのは被害者とその身内くらいのものだと私は思う。
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