働くことは美徳か?
かつて,1960年代から70年代にかけての日本経済の高度成長期,つまり日本においてブルーカラーが減少し,ホワイトカラーが増加していきつつあった時代に,海外からは「日本人はエコノミックアニマルである,働き過ぎ=ワーカホリックである。」などと揶揄されていました。
まあ,日本だけではないでしょうが,特に日本では昔からずっと「労働=働くこと」は一種の美徳である,という考え方が主流を占めています。しかし,果たして単純に働くことは美徳である,と言い切れるのでしょうか?
「理想的社会=ユートピア」であれば,そこでは働く必要があるのかどうかわかりませんが,もし社会にとって必要だとしたら,確かに働くことは,それが報酬に結び付くわけではない,という意味で何の代償も求めないボランティアそのものですから,それは美徳である、と言っていいかもしれません。
しかし,現実社会では多くの人々は営利を目的とした企業の手足となって働いているわけで,労働することは必ずしも社会的貢献をすることに結びつくわけではないし,今の日本のように就職難の社会では他人の2倍も働く人が多ければ、事実上人件費が半分で済むのだから,合理化,リストラをもくろむ経営者にとっては美徳と感じるでしょうね。
同じ賃金でAさんがBさんの2倍働く働き者なら,Aさんはそれで自己満足を感じているとしても,Bさんは不要だからと解雇されるかもしれません。
経営者に労働を提供する側にとっては働き者が好ましい美徳である,と単純に考えるわけにはいきません。
かつてはブルーカラーを中心として労働組合が組織され,資本家を相手取ってストライキやサボタージュが企画され,ストライキ中でも働く働き者をスト破りと呼んで糾弾する場面もよくありました。
こういうことを述べているからといって,別に私自身が働かずに報酬を得ようと思っている単なる怠け者であってそれを正当化しようとしている,わけではなくて,自慢じゃないけど,むしろ自分は働き者に属していると思っています。
ただ,働き者と怠け者という構図で優劣を決めるのは,実は支配者,あるいは経営者の側のイデオロギーであるわけです。
たとえ労働者の側がそういう働き過ぎない人や仕事の能力が劣っている人と同一賃金なのは不公平であると感じているとしても,実はそれも経営者側の意図するところで,彼らに好都合なイデオロギーに取り込まれている考え方であるだろう,と私は思うわけです。
観念論ですが,ニーチェは「道徳の系譜」の中で「その時代の支配的イデオロギーは時代の支配者にとって好都合なものだけが淘汰されて残ったものである。」ということを見抜いていました。
中世においては「忍従することこそ美徳である」ということを教えるキリスト教思想が支配的だった,のもそうしたことの裏づけになるでしょうね。
そういうわけだから「我々も支配者=英雄になることを目指すべきだ。」と説いたのがニーチェだとしたら,支配される側の立場にたって同情道徳を説いたのがショーペンハウエルであると云えるでしょう。
同じようでも「イデオロギーが淘汰される」ということを弁証法的に捉えて唯物論として「時代そのものが支配的なイデオロギー=観念を生み出すのである。」と考えたのがマルクスです。
そして彼は社会の矛盾はやがてブルーカラーを主人とする政治革命を通じて結局は社会革命が完遂されることによって止揚されると考えたのですね。
まあ,商品とすることだけが目的ではなくて衣食住の生活必需品を生産することが目的である労働なら,ある意味で有意義な美徳かも知れませんが,先進国であるほどそうした第1次産業に関わる人々が少ないのも現実です。
やみくもに働き者が称賛される風潮を好み,労働意欲向上などと騒ぎ立てるのは,むしろ不労所得のほうがメインの収入である層の人々だけであると感じるのは私だけでしょうか?
ヨーロッパだけが世界であると考え,先進国と発展途上国の格差が起きるという不均等発展までは見抜けなかったマルクスに対して,これを見抜いたレーニンの「帝国主義論」などもあります。
実際,日本を含む帝国主義(あるいは国家独占資本主義)本国における社会矛盾は発展途上国にしわ寄せすることで解決できる,ということが少なくとも経済的には実現しています。
具体的には,帝国主義本国ではブルーカラーが消滅してゆき,その労働力を発展途上国からの移民や発展途上国に工場をつくることによる安い労働力で代替し,本国では中流意識を持ったホワイトカラーが増えてゆくということになります。
(日本は米国の植民地であるから主体的な独立国家としての意思を持っていないので帝国主義本国ではない,というようなどこかの政党の主張の受け売りのような意見を述べられる人もときどきいます。
しかし,そうした被害者意識でものを考えるのはそろそろやめて途上国に対する加害者の国の国民であるというような加害者意識でものを考える習慣を身に付けたほうがいいと思います。)
そして,これに伴ってブルーカラーを中心としていた労働組合は次第に解体してゆき,それを母胎としていた政党が消滅していったり,共産党とは名ばかりでブルーカラーを母胎としたのでは票が得られないため,市民という名前のホワイトカラーや中小企業者というプチブル(小ブルジョア,小市民)を母胎とせざるを得なくなり,自ら変容を遂げていく政党もあります。
ロシアや中国など「一国革命」を遂げた国々も,元々まわりを囲む資本主義国の圧力に耐え,しかも自国の人民を統治してゆくためには独裁者が出現するほかはなく「権力を得た者は必ず腐敗する。」というわけです。
かつてトロツキーは「永久革命論」を提唱していたのですが,こうした革命国家は社会主義とは名ばかりの官僚独裁の形態を持った「歪曲されたプロレタリアート国家」に成り下がり,やがてベルリンの壁が壊されて資本主義化してゆく道を歩むに至ったのです。
話が脱線したので,ここらでやめますが,私のような考えでは,やはり「アナクロ=時代錯誤」なのでしょうかねえ。
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