可逆と不可逆のはざ間(エントロピー増大則)
「覆水盆に還らず。」というように,この世の中では"逆に戻ることができない現象=不可逆過程"が数多く存在します。
熱物理学では,"何も仕事をすることなく,ひとりでに冷たい物体から熱い物体へと熱が流れることはない。"という表現で「熱力学第二法則」という経験則が原理とされています。実際,それを破る事実は見つかっていません。
これは数式的には,"孤立系ではエントロピーは減少することはない。増大する可能性しかない。"という形で定式化されています。
実際,冷蔵庫やエアコンなどでは,モーターによる電気的仕事をすることによって低熱源から高熱源へと熱を移動させているわけで,冷えているものをさらに冷やすには仕事(熱以外の力学的エネルギー)が不可欠なのです。
しかし,例えば,コップから床に水をこぼした映像を逆回しして映写すれば,こぼれた水はコップの中に戻っていくのが見られます。こぼした水の1粒,1粒をつまんで戻せば逆行可能なのではないか?とも思えます。
まあ,人事をつくせば可能かもしれませんが,もう一つの例である,水の入った容器に少しだけ赤インクをこぼして放っておいたら拡がっていって,水はうすい赤色に変わった,とかいう現象を映像のように逆に戻すのは大変ですね。
そもそも,元の現象はひとりでに起こったものです。仮にそれを逆行させることが可能だとしても,その逆行はひとりでに起こるものではありません。
こうした現象過程のことを不可逆過程と呼ぶわけです。
そしてこうした事実が,一般に向きに関して対称な空間と,非対称で決まった向きにしか進まない時間とを区別していると思います。いわゆる「時間の矢」というものが存在する原因とも考えられるわけです。
しかし,通常の力学的現象をつかさどる古典的なニュートン(Newton),あるいはアインシュタイン(Einstein)の運動方程式は,時間反転に対して全く対称な形をしています。
また.量子論の方程式も,波動方程式の複素共役を取るなど工夫することで,時間反転対称と考えられます。
したがって,古典論,量子論のいずれにしても,時間 t を-t に変えても本質的に方程式の形は変わらないわけですから,普通の軌道上である時刻に位置は同じで速度の向きだけを逆転した初期条件を与えてやると,その時刻,その点から後は,逆回しのように,元来た道筋を戻っていくわけです。
ところが,もしも摩擦などの散逸があれば力学的運動方程式の力を与える項に変数として巨視的な速度が含まれるため,方程式が時間反転に対し非対称になることがあります。
しかし,摩擦などによる散逸の構造も,微視的レベルで分子論的に考察すれば,時間反転対称になります。
そして,全ての物質はこうした時間反転対称な挙動しかしない分子,の巨大な集まりからできている,ということを考慮するなら,"全ての事象は可逆である=逆行可能である。"ということを否定できません。
では,どこから不可逆という時間の向きが生じたのでしょうか?
19世紀にボルツマン(Boltzmann)は,次のようにして微視的な可逆力学から巨視的不可逆性が生じることを証明しました。
簡単のため,特定の気体などが容器に込められているような状況を考え,ある時刻 t に位置 r の付近の単位体積当たりに速度が v とv+Δv の間にある気体分子数を f ( r,v )Δv とします。
衝突によって速度 v ~ v+Δv のΔv から毎秒出て行く分子数を A , このΔv の中に入ってくる分子数を B とすると,Δv の中で1秒当たりの分子数の増分は,B-A= (∂f/∂t )Δv です。
ただし,(∂f/∂t )Δv は衝突による変化のみを問題にしているとします。
つまり,∂f/∂t は分子の軌跡( r ,v )を通じての時間微分,つまりラグランジュ微分であって,衝突以外の移流による効果は既にこれに含まれており,分子の正味の流出入は衝突の効果しかないわけです。
2つの分子を考察し,衝突前の速度をそれぞれ v, v1衝突後の速度を v', v1' とします。
衝突断面積をσとし,運動量とエネルギーの保存を考慮します。
さらに,"時折繰り返される衝突は完全無秩序である"という仮定=「分子数無秩序の仮定」を導入し,一方の分子の速度領域Δv を固定して他方の分子の領域Δv1で積分するという式で(∂f/∂t )Δvを表わすと,(∂f/∂t )Δv =-∫σ ( f ・ f1-f' ・ f1')dv1Δvとなります。
ただし,f = f ( r , v ) , f1= f ( r1, v1), f' = f ( r', v' ), f1' = f ( r1', v1')と略記しました。
ここで,BoltzmannのH関数:H≡∫( f log f ) dv を導入します。このHを t で微分すると,dH/dt =∫(∂f/∂t ) ( log f +1)dv ですから,先の式を代入して,dH/dt =-∫σ ( f ・ f1-f'・ f1' ) ( log f +1)dv1dv となります。
この表式でvとv1 を入れ替えても値は変わらないし,さらにその2つの式で v と v' ,v1 と v1'を同時に入れ替えても値は変わらないので,同じ値を表わす4つの式が得られます。
それら,4つの表式を全て加えて4で割ると,dH/dt=(1/4)∫σ ( f ・ f1-f'・ f1' ) log [f '・f1'/ (f ・f1)] dv1dv となりますが,容易に証明できるように,これは決して正にはならない量です。
つまり,どんな時刻 t であろうと dH/dt ≦ 0 であり,Hは時間と共に減ることはあっても増えることはありません。
これを「BoltzmannのH定理」と言います。
ところで,別の統計力学的考察から, f を∫f dv = n ( n は系の単位体積当たりの分子数)となるように規格化したとき,系の単位体積当たりのエントロピーをS としkBをBoltzmann定数とするとS=-kBHとなることがわかります。
そこで,「BoltzmannのH定理」は「エントロピー非減少(増大)の原理」を証明したことになります。
Boltzmannは元の個々の分子の可逆な(時間反転不変な)方程式から,"時間が1方向にしか進まない"="エントロピーは増大するのみで減少することはない"という不可逆性の法則を導いてしまったことになります。
一体,どんなマジック(魔法)を使ったのでしょうか?
当然のことながら,彼は方々から激しい批判を受け,結局Boltzmannは自殺してしまう,という悲劇を迎えるのですが,特に「Loschmidtの逆行性批判」と「Zermelo-Poincare'の再帰定理(recurrence theorem)」というのは有名です。
このうち,再帰定理というのは大したものではなく,水に赤インクの例でいうと,"非常に長時間=宇宙の年齢よりもはるかに長い時間"が経った後には最初の状態に戻る可能性もある,という定理です。
これは,そもそも逆行性=可逆性についての批判ではありません。また,巨視的現象の時間スケールとしても,妥当なものではありません。
例えば,量子論では分子,原子という粒子も確率の波ですから,どこに存在する確率もゼロではありませんから,檻の中にいるライオンでもそれを構成する1つ1つの分子に着目すると,全ての分子が檻の外に出る確率は全くゼロではないということになります。
これは,"ほんのたまにはライオンはひとりでに檻の外に出てしまう",ということもある,ということを主張しています。
実際,ライオンが檻の外に出る確率はゼロではありませんが,計算するまでもなく,そんなことは宇宙が誕生してから今まで,を1億回繰り返しても,1回も起きない事象であることは明らかです。
再帰定理の時間スケールは,こうした話と大差ないと思えます。
一方,「Loschmidtの逆行性批判」は正に当を得ていて,今この瞬間に全ての分子で時間を逆行させる(つまり全ての分子で速度を逆転させる)と,全ての分子はその向きを逆に変えて運動するわけですから.ボルツマンのHは過去に向かっても減少するしかないわけです。
そうすると,"どの時刻でも今のHが最大である。"ということにしかなりませんから,これは明らかに深刻なパラドックスです。
ランダウ(Landau)の「統計物理学」では,"今のエントロピーが最低である=エントロピー増大則も時間反転不変である。"ということを主張しています。
そして,それを説明するのに,何事にも始まりがあり,測定を始めた,あるいは宇宙が始まった時刻をゼロとして負の時刻(それより前)は考える必要はない,という説明をしています。
しかし,どんなマジックにも種があります。実は導入した「分子数無秩序の仮定」,あるいは「衝突数算定の条件」というものから確率という要素が入ってくるというのが種なのです。
これは微視的には,"時折繰り返される衝突は完全無秩序である"とか,"衝突前には2粒子間に統計的相関がない"というものです。
これには,既に時間は無秩序の向きに進むという非対称性が含まれているわけで,無秩序であるということには大きい体積にいる方が確率的に可能性が高い,など確率の条件が含まれた結果として,H定理が得られたわけです。
そして,元々エントロピーは伝統的な熱統計物理学では平衡か局所平衡の場合に限って定義される量ですが,ボルツマンのH関数は,より普遍的なものなので,S≡-kBH で逆に非平衡なときのエントロピーの定義を与えることができる,と解釈することもできます。
情報理論では情報エントロピーの定義は,正に f を∫f dv = 1と1粒子分布関数,つまり,確率密度として規格化したときのBoltzmannのH関数に負号をつけたものに一致するわけです。
そして,情報エントロピーが大きい,というのは情報量(知っていること)が少ない,ことに対応します。
初め,何らかの情報を持っていても"何もしなければ"時間とともに情報量は減っていきます。情報は古くなるとひとりでに価値が減少していきますからね。
時間の向きは,"何も知らない向き=無秩序の向き"に向かって進むというわけです。知らないことが多いほどエントロピーが大きいというのは通常の物理学でも同じことです。
例えば,地球上で普通に暮らしているときは近くの景色を見ると,その詳細である家や人や道などが細かくわかりますが,次第に遠ざかって東京タワーの展望台などから見ると塊にしか見えず,さらに宇宙旅行すると"地球は青かった"程度の情報しか得られないことになります。
こうして遠くから俯瞰した状況を"粗視化する"と言います。「分子数無秩序の仮定」というのは正に"ディテールを無視して粗視化せよ"と述べていることに相当するのです。
というわけで,結局,不可逆性が生じるのは微視的な巨大な個数の分子はその個性を失い,"確率的=粗視化"した状況と見た結果だということになります。
しかし,天気予報や地震予知などは初期条件,境界条件のカオス(混沌)的な無知の効果を受けて,完全な予測計算が不可能である,とは言っても,流体における乱流と同じく,もし完全な知識があれば全く誤差のない実験などと同じように,原理的には完全な予測が可能です。
このような意味で,"カオス=無知"でもって「ラプラスの悪魔(Laplace's demon)」を完全に退治することはできません。
「Laplaceの悪魔」というのは,"我々個人が,どのような決断をしたつもりであっても,宇宙開闢の初めから人間を含む全ての物質はそれを構成する分子,原子の基本的な運動方程式に従って動くだけで,運命は決まっていてどうすることもできない。"という運命論(人間機械論)を悪魔になぞらえたものです。
人間の自由意志が「Laplaceの悪魔」を完全に退治するためには,量子論の粒子と波動の二重性,すなわち,分子も原子も確率の波であって,その軌道すら原理的には決められない,という実在主義の否定が必要だと思います。
(参考文献;テル・ハール著「熱統計学」(みすず書房)、一柳正和著「不可逆過程の物理」(日本評論社)、豊田正著「情報の物理学」(講談社) )
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