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2006年8月10日 (木)

ゲーデルの不完全性定理

 今日もまた軽い話題を少し。。。。

 ゲーデル(Kurt Gödel)の「不完全性定理」は"通常の数学の公理から出発して証明することが不可能な命題が存在する。"というような定理だったと思いますが集合の「ラッセルの背理」などと同じような範疇に入りますね。

 "一つの数学の体系があるとき,その閉じた体系の枠内から自分自身の体系が無矛盾かどうか?を判定することはできない。”という類の定理なのでしょうね。

 有名なところでは,"クレタ人はみんなウソツキである。とクレタ人が言った。"という文があります。

 この場合,,"クレタ人はみんなウソツキである。"という命題が「正しい」のであればこのクレタ人はウソツキではないので,"クレタ人はみんなウソツキである。"という命題が「間違い」だということになります。

 一方,この命題が「間違い=ウソ」であれば,"クレタ人はウソツキである。"ということが間違いなので,"クレタ人はウソツキではない。"ことになるにも関わらず,"これを言ったクレタ人はウソツキである。"というジレンマに陥ります。

 そこで,この,,"クレタ人はみんなウソツキである。"という命題を含む全体の文,"クレタ人はみんなウソツキである。とクレタ人が言った。"というのは"パラドックス=矛盾"であるというわけですね。

(PS:このクレタ人の話については上では"みんな"という人称を入れて「クレタ人はみんなウソツキである。」という命題を含む文にしました。

 しかし,厳密にはこの命題が「間違い=ウソ」の場合の否定命題は「ウソツキでない人もいる。」ということなので,全体としての文は別に"パラドックス=矛盾"ではなかったですね。

 この文をパラドックスの例として挙げたのは,適当ではなかったことに後で気付くきました。"「私=Aはウソツキである。(Aはウソしか言わない。)」とAが言った。"と1人称の文にすべきでした。

 失礼しました。(多重人格を除きます。))

 まあ,簡単に述べるなら,ゲーデルが証明したことは,"「この文は誤りである。」という文は正しいのか誤りなのかを証明できない。"という類のことです。

 "この文が誤り"であることが"正しい"と証明されれば"この文は正しい"ことになるので,"この文は誤り"であり,逆に"誤り"であると証明されれば"この文は正しい"ことになるので"この文が誤り"というのが正しいことになります。

 彼(ゲーデル)はこうした”証明することができない命題が数学の論理体系の中には必然的に存在する。"ことをカントールの対角線論法を使って証明したというわけです。

 (まあ,数学の公理系の無矛盾性の証明ができないことを証明した。という意味では「この文は正しい」という文が正しいことをこの文だけから証明することはできない。と言ったほうが適切なのですが,それではパラドキシカルな説明ができなくて面白味がないと思ったので逆にしました。)

 説明しようする私自身が完全には理解していないので,既にかなり混乱していますが,結局,"文を次々と枚挙してゆき,それが正しいなら誤りという文をつくって連ねていくと,正しくてかつ誤りであるというような"矛盾した文"が必ずできるということになり,ゲーデルは,そうした文が常に存在する。"ということを厳密に証明したということでしょうか。

 まあ,厳密には形式論理学の"論理式をトートロジー変形していく操作",例えば"「真理の木」のようなダイアグラムを作る操作"を続けていって最終的に矛盾を導くことなをしなければならないのでしょうね。

 参考文献:リチャード・ジェフリー著「形式論理学」(産業図書)

PS:後記事ですがこれの続編として,2007年9/22の記事「ゲーデルの完全性,不完全性」があります。

また,さらに続いて2007年10/4の「形式論理学(1)」に始まり,(1)から(6)までで途中で中断している論理学シリーズ記事もあります。

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302. 論理学・数学基礎論」カテゴリの記事

コメント

 nashさん、こんにちは、TOSHIです。

 「卑怯だ」などとは思っていません。コメントされるのはありがたいことだと思っております。

 私もかなり単細胞な人間です。自分の趣味と違うからといって他人を非難するようなつもりは全くありません。

 これに懲りずまたコメントしてください。

TOSHI

投稿: TOSHI | 2006年8月21日 (月) 06時55分

「健全でない」論理は「ゲーデル」とは何の関係もありませんでしたね。説明不足ですみませんでした。卑怯といわれないように一言付け加えておきます。でも、私が理解した藤原Mさんの伝えたかったことは、ゲーデルの不完全性定理ではなく、グローバリズムの論理は仮定が間違っているということで、単純な私は彼の主張に感銘してしまいました。

投稿: nash | 2006年8月21日 (月) 05時21分

 こんにちは、BASiCKさん、TOSHIです。

>完全性定理における「完全性」と不完全性定理における「完全性」では意味が違うので注意が必要だとのことです。

 うん、それはそうですね。同じものを一方で完全、一方で不完全というと、それこそ矛盾しますね。(^^)

 前原さんのその本も「トランクルーム」の方に所持していたと思いますが、積読状態ですね。

>以下のような論理式R(x)が存在する。
  R(0)、R(1)、R(2)、・・は全て証明できる
  ∀xR(x)は証明できない

そうです。まさにこれがカントールと同じ「対角線論法」の詳細ですね。

コメントありがとうございます。

TOSHI

投稿: TOSHI | 2006年8月19日 (土) 13時38分

こちらでは初めまして、BASiCKです

 完全性定理における「完全性」と不完全性定理における「完全性」では意味が違うので注意が必要だとのことです。このあたりはweb上だと次のサイトが良いのではないかと思います。
http://www.math.h.kyoto-u.ac.jp/~takasaki/edu/logic/index.html#lectures

 なお、不完全性定理は次のような表現もできるそうです。出典は、前原昭二「数学基礎論入門」朝倉書店(1977)です。

 以下のような論理式R(x)が存在する。
  R(0)、R(1)、R(2)、・・は全て証明できる
  ∀xR(x)は証明できない

 これって「全てのカラスは黒い」という命題は、いくら個別のカラスが黒いことを確認してもいつまでも証明はできない、という話に似てませんか?
 不完全性定理には「自然数を含む体系では」という但し書きがつきますが、これは無限集合を対象とした場合に上記のR(x)が存在するということを意味していて、実はごく当然のことではないかという気もしてきます。全体を部分に写像できるという無限集合の性質があればこそ、可算無限個の論理式全体を自然数の部分集合であるゲーデル数に写してしまうという離れ業もできたのですし。とはいえR(x)を具体的に構成してしまったというのがゲーデルのすごいところだろうと思います。

 なお上記のR(x)が存在すれば、公理系に新しく∀xR(x)を追加しても¬∀xR(x)を追加しても無矛盾です。

投稿: BASiCK | 2006年8月19日 (土) 08時37分

 ゲーデルには「完全性定理」と「不完全性定理」の2つがありますね。「無矛盾性」の証明が体系の枠内では不可能である、というのは具体的には「ゲーデル数」を使った証明ですがその内容としての、対角線論法の説明としては「ウソツキのパラドクス」で十分だと思います。

TOSHI

投稿: TOSHI | 2006年8月14日 (月) 02時13分

ゲーデルの不完全性定理の話は、その論理体系内の命題で真だとしても矛盾が生じないし偽だとしても矛盾が生じないものが作れてしまうという事だと思います。
「この文章は正しい」という命題Aは、真だとするとAは正しいのだから矛盾は生じず、偽だとするとAは偽なのだからAは正しくないので矛盾が生じません。
あんまりこういう説明は見たことはなく、TOSHIさんのように「この文章は誤りだ」を例にあげているのがほとんどだと思うのですが、「この文章は誤りだ」自体を意味のある命題と言ってよいのかちょっと疑問に思っています。

nashさん、はじめまして。
藤原氏の「国家の品格」は、立ち読みでぱらぱらめくった程度ですが、悲しくなる内容ですね。こんな文章を書く人が数学者を名乗ってていいのだろうかと思うくらい、論理がむちゃくちゃでした。「若き数学者のアメリカ」は昔読んで面白かった記憶があるのですが。

投稿: 耕士 | 2006年8月13日 (日) 23時12分

 nashさん、こんにちは、TOSHIです。

 そういうのは論理が「健全でない。」というだけです。論理学的には仮定の真偽は問えないので、仮定があきらかに偽=「間違い」であれば結論は常に真=「正しい」わけです。

 「おまえが大統領なら、俺は大天才だ」というのは(大統領」であるというのがウソなら必ず「正しい」わけです。

 というわけで「健全でない」論理は「ゲーデル」とは何の関係もありません。

 藤原正彦氏のその本は読んでいないし、読みたいとも思いませんが、藤原肇氏の「小泉純一郎と日本の病理」というのは結構面白かったですね。
              TOSHI

投稿: TOSHI | 2006年8月12日 (土) 11時54分

「国家の品格」の藤原さんもアメリカの論理の落とし穴をこの定理を使って説明していますね。仮定の選び方は人間の情緒で決まり、間違った仮定からは論理が正しければ正しいほど間違った結論しか導けない。

投稿: nash | 2006年8月12日 (土) 03時25分

 そのとおりでしょうが、「この文章は正しい」では私には説明がむずかしいのでこのままにしておきます。

 自己を追求するパラドクスですからもともと無意味なのは承知していますが、通常の論理パラドクスとして素人に説明するにはこんなもんでしょう。

 耕士さん、いつもありがとうございます。

             TOSHI

投稿: TOSHI | 2006年8月11日 (金) 08時09分

「この文章は誤りだ」を不完全性定理の説明のたとえに使うのはあまり良くないように思います。単に無意味な言明だっていうだけな気がしますので。
例えとしては「この文章は正しい」の方が適切な気がします。

投稿: 耕士 | 2006年8月10日 (木) 23時31分

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