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2006年8月 1日 (火)

スケートの摩擦(圧力融解説は誤り)

 氷の上でスケートで滑ることができる理由としては,古来から"圧力融解説"というのがあります。

 物理学の専門家でもそう信じている人が大勢いるらしく,かつては私もその一人でしたが,最近の研究では,ほぼ誤りであるとわかったそうです。

 もっとも,スケート靴を体重100kgくらいの人が履いて,表面積が0.5cm以下のエッジで体重を支えた場合,200気圧以上の圧力がかかります。

 先に,述べたClapeyron-Clausius(クラペイロン-クラウジウス)の式を固体の水である氷に適用すると,この場合は, dT/dP<0 です。

 そのため,氷あるいは水にかかる圧力が1気圧大きくなると,"氷点=凝固点"は約 0.0075度ずつ下がりますから,200気圧以上だと,氷点は-2℃くらいになることになります。

※(注):Clapeyron-Clausiusの式というのは相平衡のときの,圧力変化dPと温度変化dTの関係を与える式です。固体と液体が相平衡に ある場合には,潜熱(融解熱)をL>0 として,dP/dT=L/{ T ( V-V) }です。

 ただし,V,Vは液体,固体の比体積(=単位質量当たりの体積)です。

 普通はV>Vなので,L>0 なら,dP/dT>0 なのですが,水と氷の場合はV<VなのでdP/dT<0 なのです。(注終わり)※

※(注追加):水と水蒸気が共存する系なら,Pを水の飽和蒸気圧とし,VwとVvをそれぞれ水と水蒸気の体積として,

 Clapeyron-Clausius(クラペイロン-クラウジウス)の式は,

 dP/dT=L/{T(Vv-Vw)}と表わされます。

 ただし,Lは蒸発の潜熱です。

 これの逆数を取れば,dT/dP=T(Vv-Vw)/Lです。

 普通はT>0,L>0 であり,Vv>>Vwですから,dT/dP>0 です。

 Pが飽和蒸気圧のときの臨界温度:Tは沸点ですから,これは圧力が増加すると沸点が上昇することを意味しています。("沸点上昇"です。)

 沸騰というのは,系の気圧と水蒸気圧が一致したときの沸点における現象ですから,圧力釜により電気炊飯器内の圧力を増加させて,沸点を普通の1気圧での100℃より上昇させて,"ご飯をおいしく炊く"というのがありますね。

 一方,氷と水が共存する系ならTを凝固・融解点の"臨界温度=凝固点温度",Pを臨界圧として,VwとViをそれぞれ水と氷の体積とすると,

 dP/dT=L/{T(Vw-Vi)}  or  dT/dP=T(Vw-Vi)/L となります。

 ただし,この場合の潜熱Lは融解熱です。

 水が凍ると体積が増加することは古来からよく知られています。

 そこで,"凝固点=氷点"付近での同量(1モル)の氷は水よりも体積が大きいので,Vw<Vi,つまりVw-Vi<0 ですから,L>0,T>0 により dT/dP<0です。

 これを圧力による"凝固点降下"といいます。

 つまり,圧力を加えると凝固する温度が普通の 0℃より次第に下がっていくわけですから,圧力が加わると 0℃付近では凍らないし最初凍っていれば融けて水になることになります。(追加注終わり)※

 したがって,氷の表面温度が 0℃くらいの状況なら,これは"氷点=-2℃"より温度が高いということになります。

 確かに多少の氷は融けて水になり,それが潤滑油になって摩擦を消すという効果もゼロではないので,まったく間違いというわけではないでしょう。

 しかし,実際はもっと氷の表面温度が低い環境でもスケートは滑れるわけですから,上述の圧力融解説というのは疑問である,ということになりますね。

 また,スキーでは接触面が大きいので,圧力は小さくて,これが理由では雪が溶けるほど氷点は下がらないと思われます。

 もう一つは,摩擦融解説というのがあり,摩擦の効果で発熱して氷を融かし,そのためにスケートが滑る,というのもあります。

 しかし,そもそも滑った後でなければ摩擦熱は生じないわけですから,融けるのが後追いになるというわけで,止まったら滑れないというお笑いもあり,これはもっと疑問です。 

  あと古来からあるものでは"固体潤滑説=氷の表面は固体の状態でも摩擦係数が小さい。"というのがありますが,これは昔は理由がわからなかったものです。

 しかし,Yasushi.(岡田康志)さんによれば,

 "氷が溶けるほどの圧力がかからなくとも金属表面と氷表面の間の摩擦係数は 0.005程度と極端に小さくなる。" 

 そうです。

 さらに,

 "富山大学のグループが,低温低速での測定により融解水による可能性を排除した条件で,単結晶氷を用いて結晶面による摩擦係数の異方性を報告。

 更にこれを応用して低摩擦係数表面を持つスケートリンクを作ることで実証。逆に,『摩擦融解説』的には低温低速下での摩擦係数低下でスケートの速度向上というのは矛盾するので『摩擦融解説』に対する反証ともなった。"

 ということです。

 そこで,固体潤滑説が有力になり,あとの問題は,氷の表面の性質という"表面物理"の問題に還元されたのでした。

 そして,結局,低温でも金属と氷の間において氷の表面はこわれやすく,そこに液体の水が存在するということで摩擦係数が小さくなる,という現象が観測されたということになったわけです。

 普通のスケートリンクの条件だと,

 氷を作るためのパイプラインの中の温度が-10℃,氷の温度が -7℃,気温が 10℃前後なので,圧力による融解というのは,ちょっと厳しいですね。

 結局,現在では,

 "金属と氷のように極端に融点が違う物質間では摩擦力が低下する,つまり氷の表面での金属の効果による,摩擦係数の減少がスケートが滑る原因である。"

という結論になったわけです。

 圧力融解説は誤りであろうということになりました。

PS:バックナンバーでなく後記事ですが,2010年12/20のブログ記事「水滴の成長と蒸発 (2)」に,Clausius-Clapeyronの公式について書いたものがあります。

 参考のために,記事のその部分を再掲しておきます。

(↓※再掲記事)

②Clausius-Clapeyronの公式

 さて,2相(液相,気相)平衡状態の飽和水蒸気esat(T)の温度保存式を求めます。

 熱力学によれば,平衡の条件は液相,気相のGibbs自由エネルギーについてGw=Gv(34),またはμw=μvが成立することです。

 

 Gw,Gvは1モル当たりの水,水蒸気のGibbs自由エネルギーです。

 

 また,μwvは1モル当たりの水,水蒸気の化学ポテンシャルですが,Gw=μw,Gv=μvであり,同じものを別記号で表わしているだけです。

 温度TがT+dT,圧力pがp+dpになっても(34)の関係が維持されるためには,その際のGw,Gvの増加分dGw,dGvについてもdGw=dGv(35)が成立することが必要です。

 ところで,熱平衡状態ではdu=Tds-pdvでG=u+pv-Tsですから,dG=-sdT+vdpです。

 

 ただし,u,sはそれぞれ1モル当たりの内部エネルギー,エントロピー,vは1モル当たりの体積です。

 したがって,dGw=dGv (35)は-swdT+vwdp=-svdT+vvdpを意味します。

 

 つまりdp/dT=(sv-sw)/(vv-vw)(36)を意味します。

 ところが,T(sv-sw)=Lew (37)ですから,これは

  dp/dT=Lew/{T(vv-vw)}とも書けます。

同じ1モルでは水の体積は水蒸気の体積よりはるかに小さいので,この式の右辺で水蒸気の体積vvに比して水の体積vwを無視します。

  

左辺のpp=esat(T),右辺のvvにvv=RT/esatを代入すると,

  

(1/esat)(desat/dT)=Lew/(RT2)(38)を得ます。

 

これが,有名なClausius-Clapeyronの公式(クラウジウス・クラペイロンの公式)です。

 

念のため,改めて追記するとLeは単位質量当たりの蒸発の潜熱,Mwは水の分子量です。

 

     (↓下図はネット検索で入手した図の転載です。)

  

  

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コメント

最近では冷間のプレス技術でGPa越えが相次いで報告されていますね。翻って考えてみるとやはり、プロテリアル(旧日立金属)製のマルテンサイト鋼の頂点に君臨する高性能冷間ダイス鋼SLD-MAGICの登場がその突破口になった感じがしますね。今ではよく聞く人工知能技術(ニューラルネットワーク)を使ったCAE合金設計を行い、熱力学的状態図解析によって自己潤滑性を付与したことが功を奏した話は業界では有名ですからね。CAE技術もさらなる可能性に満ち溢れているということでしょうね。

投稿: シリコロイ | 2023年5月19日 (金) 01時35分

 どもケモノメカニカルさん。TOSHIです。
 
 貴重な情報ありがとうございます。

 このブログ記事を書いたときにはあらゆる分野に好奇心旺盛な頃でした。

 今はより基礎物理的な方に気持ちが傾いていますが熱しやすく醒めやすい性格なので新しい情報はありがたいです。

 とはいえ,寿命は待ってくれないのでモチベーションが継続するかどうかです。

 個人的余談ばかりですみません。

             TOSHI

投稿: TOSHI | 2014年6月11日 (水) 08時07分

 確かに、トライボロジーには熱力学的観点が重要ですよね。圧力では融解せずに、固化するのがEHLの教えですから。しかしその先を行く理論が出来上がりつつある。日立金属の開発したSLD-MAGICという工具鋼の自己潤滑性の理論化を試みたCCSCモデルというものがある。これによると表面に存在する有機物は固化をとおりこして分解し、3種類の炭素結晶になり摩擦を作用するのだという。これは摩擦試験を行っているものには直感的にわかりやすい話だ。この話を聞いて新たな開眼に至ったような心境だ。

投稿: ケモメカニカル | 2014年6月 5日 (木) 22時58分

どうもDOSAN児さん,ずいぶん前の記事ですが,コメントありがとうございます。TOSHIです。

 界面物理については詳しくないのですが,おっしゃる通りずいぶん低い温度でもスケートが滑るのは否定できませんから,今思えば表面融解現象によって滑るというのが正しいのだと思います。

 こうして,バックナンバーを読んでおられる方もおられると思うととてもうれしい気持ちになります。いろいろチェックなどしていただけるとありがたいです。

           TOSHI

投稿: TOSHI | 2008年6月20日 (金) 13時56分

スケートが滑る原因は、表面融解という現象が関わっていますね。
水であれば、真空中でも−40度くらいまではこの現象が起きていて、数分子の厚さで表面に疑似液体層が生じ、そのために摩擦係数が小さくなるんでしたね。

投稿: DOSAN児 | 2008年6月20日 (金) 12時08分

どもhirotaさん。。TOSHIです。コメントありがとうございます。この調子で全ブログの内容をチェックしてもらえると有り難いですね。

 どちらかというと「力なしでも水が存在する」という方が正しいようです。金属表面には目には見えないが微小な隙間があり容易に水が 浸入できるらしいです。

 これは私が自身くわしく表面物理などを勉強したものではなくて、ニフティの掲示板でワイワイやっているうちに最終的な結論として落ち着いたもので、当時東大の生物物理の研究員であった岡田康志さんからの伝聞ですから、私自身はそうした水の存在理由についてはよくわかりません。

 私自身は「圧力融解説」を主張しましたが一蹴されました。実は現在でも完全には結論が出ていないという話も聞いています。

              TOSHI
 

投稿: TOSHI | 2007年6月29日 (金) 16時50分

>金属と氷の間において氷の表面はこわれやすく、そこに液体の水が存在する
これは、少しの力で表面がこわれて水になるのか、力なしでも水が存在するのか、どちらですか?
「少しの力」の方なら、「クラペイロン-クラウジウスの式」が当てはまらないだけで、「その式に限定されない圧力説」が正しいということになりませんか?
「力なし」の方なら、金属が融雪剤みたいです。( こっちの方は「こわれやすい ( → こわれるとは限らない ) 」という言い方が変だな )

投稿: hirota | 2007年6月29日 (金) 13時27分

界面の現象は面白いですよね。
例えば、水は1気圧下では100℃で蒸発しますが、金属表面に付着した水の最後の1分子層くらいは300℃くらい(すみません、正確な値は忘れました)にならないとれないというデータを見たことがあります。

投稿: 耕士 | 2006年8月 4日 (金) 22時41分

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