ロートレアモンとサド
モーリス・ブランショの評論に「ロートレアモンとサド」というのがあります。
彼はモンテヴィデオの怪人イジドール・デュカス=ロートレアモン伯爵とマルキ・ド・サドとの間に共通性を見出していたと思われます。
私も両者の間に,大きな共通性を見出しています。
「マルドロールの歌」という悪魔=マルドロールを崇拝した詩集,と「ポエジー(詩学断想)」,ロートレアモンの作品はこれだけしかないですが,私の受けた衝撃は計り知れないものがあります。
人生においてモラルというものを完全に拒否したいと考えるようになり,ただ価値というのは"美"というものだけしかない,と考えるに至ったきっかけとしては,これらの作品から,マルクスによるものと同じかそれ以上の影響を蒙っています。
「深い森の奥に『エルマフロジット=両性具有者』が住んでいる・・・」
なんと魅力的な響きでしょうか。彼の作品を読むとランボーもボードレールも中原中也もなぜか色褪せて見えます。
マルキ・ド・サドにも私は若い頃,大きな影響を受けました。
なぜだかわかりませんが,「悪徳の栄え=ジュリエット」よりも,妹の「美徳の不幸=ジュスチーヌ」の方が好きです。
「ソドム百二十日」については読んだけど訳が下手なのか理解不能でした。
彼の作品は,その後の日本の村上龍などにも影響を与えていると考えられますが,こちらの日本人の作品は読んだことがありません。
この芥川賞作品の題名からそう感じただけです。
話変わりますが,恐らく同時代の天才レイモン・ラディゲの「肉体の悪魔」も短編ですが,珠玉の反モラル小説ですね。
数学者,エヴァリスト・ガロアと共に,これらの人物を慕う私は19世紀のフランスに恋しているのかもしれません。
モラルに反する,という意味では,亡命ロシア人ウラジミール・ナボコフの「ロリータ」もあります。これも私は好きです。
"ロリータ=本名ドロレス・ヘイズ"に恋したために母親と結婚するハンバート・ハンバートの欺瞞は,ヘイズ夫人には気の毒ですが,わかるような気がするのは,私もロリコンであるせいかもしれません。
モラルを嫌い,それに忠実に生きようとするがために,私は不遇な生活でも,退廃的な満足感が常にあるような気がしています。
一時の快楽,現実逃避のため,私は今日も酒を飲む。
決して禁酒しようとか禁煙しようとかという感覚は持ってないし,
これからもそうであろう。。。
話は違うけれど聖なる娼婦である「罪と罰のソーニャ」や無邪気な娼婦であるマノン・レスコーとは違ったタイプの,新しい私の観音様になるかもしれないAV女優を見つけました。
大阪の「紅音(あかね)ほたる」さん。
聖なるとは完全に逆のキャラクターです。
昼間は娼婦のごとく夜も娼婦のごとくです。
ファンになろうかなあ,本当に最高ですねえ。。
ってここはアダルトブログじゃぁないよ。まあ,私の場合,何でもアリですけどね。
http://fphys.nifty.com/(ニフティ「物理フォーラム」サブマネージャー) TOSHI
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著者:小川 洋子 |
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