観測の問題(デコヒーレンス)
今日は観測に伴なって固有状態の干渉項が消滅すること
=デコヒーレンス (decoherence)の現象を最近の理論に基づいて
述べてみたいと思います。
ただし私自身は本質的には多世界解釈の方に傾いています。
まず,"観測可能量(observable)=物理量=線型演算子"O^とその
あらゆる固有値:oiに属する固有状態:|i>の集合,つまり,
O^|i>=oi|i>を満たす|i>の集合があり,これらが
完全系を形成している,すなわち,∑i|i><i|=1
が成立しているとします。
"任意の状態=純粋状態":|ψ>は|ψ>=∑ici|i>と展開可能
でこの同じ状態|ψ>において,物理量O^を状態を乱すことなく
独立に多数回観測したときにはO^の固有値以外が観測されること
はなく,観測値がoiである確率が|ci|2で与えられます。
そして∑i|ci|2=1が成立しているというのが量子力学
の観測に関する枠組みと考えられます。
しかも,通常は固有状態|i>は正規直交化されていて,
<i|j>=δijなのでci=<i|ψ>なる式が成立して
います。
したがって,この純粋状態|ψ>における物理量O^の観測値
の"期待値=平均値"は,
<O>ψ=∑i|ci|2oi=∑i<i|ψ><ψ|i><i|O^|i>
=∑i<ψ|i><i|O^|i><i|ψ>=<ψ|O^|ψ>
で与えられます。
つまり,<O>ψ=<ψ|O^|ψ>であり.
<O>ψ=∑i<ψ|O^|i><i|ψ>=∑i<i|ψ><ψ|O^|i>
=Tr(PψO^)となります。
ここで射影演算子とよばれるPψはPψ≡|ψ><ψ|で定義され,
物理量X^の対角和(trace)は,Tr(X^)≡∑i<i|X^|i>で定義
されます。
そして対角和の値が,これを定義する完全系{|i>}の選択に依ら
ないことも簡単にわかります。
ところで,もしもこの体系が,状態間の干渉が存在するような状態
の重ね合わせのみで成り立つ純粋状態ではなく,
情報の欠如などによって統計的に純粋状態:ψ,φ,χ,...が
それぞれ確率:W(ψ),W(φ),W(χ),...で混合している混合
状態であるとすれば,
O^の期待値は<O>=∑ψW(ψ)<ψ|O^|ψ>
で与えられます。
これも,<O>=∑ψW(ψ)<ψ|O^|ψ>
=∑ψ∑iW(ψ)<ψ|O^|i><i|ψ>
=∑i∑ψW(ψ)<i|ψ><ψ|O^|i>=Tr(ρ^O^)
となり,純粋状態の<O>ψ=Tr(PψO)と同じ形に
書けます。
ここでρ^はρ^≡∑ψW(ψ)|ψ><ψ|=∑ψW(ψ)Pψと定義
されて統計作用素(密度演算子)と呼ばれます。
対象となる体系のHamiltonianをHとすると統計作用素ρ^
も時間に依存する量子力学の線形演算子に相違ないので,
Heisenbergの運動方程式:ihc(∂ρ^/∂t)=[H,ρ^]
を満足します。
ただし,hc≡h/(2π)でhはPlanck定数です。
実は状態|ψ>はSchroedinger表示の時間を含む状態ベクトル
|ψ(t)>で,これがSchroedingerの方程式:
ihc(∂/∂t)|ψ(t)>=H|ψ(t)> を満たします。
逆に統計作用素ρ^≡∑ψW(ψ)|ψ(t)><ψ(t)|が時間
tを含むHeisenberg表示の作用素となるため,Heisenbergの
運動方程式:ihc(∂ρ/∂t)=[H,ρ^]を満たすと考えて
よいわけです。
時間発展の演算子をU(t',t)=e-iH(t'-t)とすると,
|ψ(t')>=U(t',t)|ψ(t)>ですから,
ρ^(t)≡∑ψW(ψ)|ψ(t)><ψ(t)|によって
ρ^(t')=U(t',t)ρ(t)U(t',t)-1となります。
統計作用素ρの時間発展はユニタリ変換によって行われる
のでρ^や,ρ^に関わる関係式は時間発展によって変化しません。
簡単のため,スピンが1/2の区別できる粒子が2個ある体系に
ついて考察します。
スピン1/2の1粒子のスピン角運動量の演算子をsとすると,
それは2行2列の行列表示では,Pauliのスピン行列σを用いて,
s=(hc/2)σと表わされます。
σz の固有値+1,-1の固有状態を,それぞれ|α>,|β>とします。
2つの粒子それぞれのこうした状態を,それぞれ,|α(i)>
と|β(i)>(i=1,2)で指定することにします。
このとき,全系の任意の状態ベクトルは|α(1)>|α(2)>,
|α(1)>|β(2)>,|β(1)>|α(2)>,|β(1)>|β(2)>の1次結合
で表わされます。
そして,例えばスピンがゼロの状態は,
|0>=(1/21/2)(|α(1)>|β(2)>-|β(1)>|α(2)>)
で与えられます。
この状態での統計作用素ρ^0は,
ρ^0 =(1/2)(|α(1)>|β(2)>-|β(1)>|α(2)>)
(<α(1)|<β(2)|-<β(1)|<α(2)|)
=(1/2)(|α(1)><α(1)|⊗|β(2)><β(2)|
-|α(1)><β(1)|⊗|β(2)><α(2)|
-|β(1)><α(1)|⊗|β(2)><α(2)|
+|β(1)><β(1)|⊗|α(2)><α(2)|)
となります。
ただし,記号⊗は直積を表わしています。
このρ^0は確かに,純粋状態を示す"統計作用素=射影演算子"
です。
ここで,一般に粒子1のみに関する物理量S(1)を測定する場合
を想定すると,このときも対象としては全体系ですから,
物理量を表わす作用素はS(1)⊗1(2)です。
その期待値は,
<S(1)⊗1(2)>=Tr(ρ^S(1)⊗1(2))
=∑i∑j<i(1)|<j(2)|ρ^S(1)|j(2)>|i(1)>
=Tr(ρ^(1)S(1)) と書くことができます。
ここで,ρ^(1)≡<j(2)|ρ^|j(2)>=Tr,2(ρ^) です。
そして,部分系である粒子1の物理量S(1)の測定の期待値は全て
<S(1)⊗1(2)>=Tr(ρ^(1)S(1))の形で表わせるので,
実質的には,ρ^(1)が部分系である粒子1の状態を示す統計作用素
であると見なすことができるでしょう。
ここで,ρ^=ρ^0 の場合には,
ρ^0(1)=<α(2)|ρ^0|α(2)>+<β(2)|ρ^0|β(2)>
=(1/2)(|α(1)><α(1)|+|β(1)><β(1)|) です。
そこで,全系が純粋状態でも,部分系である粒子1の状態は
z成分のスピンが上向きと下向きが1対1に混合した混合状態
となることがわかります。
話を戻して,体系の状態が|ψ>で物理量O^の固有状態での
展開が,|ψ>=∑ici|i>(∑i|ci|2=1) で与えられると
します。
O^の測定装置はマクロな物体ですが,装置も状態ベクトル
で表わすことができると仮想して,その初めの状態を|o>A
とします。
そして,対象が状態|i>にあるとき,それを測定したときの
"対象=体系と装置"の変化を|i>|o>A → |i>|i>A
とします。
そこで,|ψ>を測定したときには,
|ψ>|o>A → ∑ici|i>|i>A となります。
この最後の状態はもちろん純粋状態であって,物理量O^の期待値
を取れば当然|,i>|i>A 間の干渉が現われるはずです。
最初の状態が純粋状態であって時間発展がユニタリですから当然
それは予想されたことです。
しかし,我々の観測の経験では,測定の最後の状態は
|i>|i>Aの状態がW(oi)=|ci|2の確率で混じり合って
いて,決して干渉作用など起きない混合状態です。
簡単のために,1電子のスピンのz成分を観測するStern-Gerlach
の実験のようなものを考察します。
これは,不均一な磁場の中にスピン磁気モーメントを持つ電子
が入射してスピンが上向きか下向きかが検出される実験です。
入射電子はある一定のスピン状態にあって,
|ψ>=(c1|α>+c2|β>)|φ>,(|c1|2+|c2|2=1)
であるとします。
ただし,|φ>は電子線の空間的運動を表わす状態ベクトルです。
入射電子が磁場の中を通るとスピンの向きによって空間的運動
は上下に分裂するので,
|ψ> → |γ>≡c1|α>|φ+>+c2|β>|φ->
となります。
そして,上下にある検出装置の統計作用素=密度行列をそれぞれρAα,ρAβ,対象と装置の全体系の"統計作用素=密度行列"をη0と
すると,
η0=|γ><γ|⊗ρAα⊗ρAβ
=(|c1|2ρ+++|c2|2ρ--+c1c2*ρ+-+c2c1*ρ-+)⊗ρAα⊗ρAβ
と書けます。
ここで,
ρ++=|α><α|⊗|φ+><φ+|,
ρ--=|β><β|⊗|φ-><φ-|,
ρ+-=|α><β|⊗|φ+><φ-|,
ρ-+=|β><α|⊗|φ-><φ+|
です。
測定装置が状態ベクトルで表わされている状況では,ユニタリ性の故,
測定の結果として,干渉項ρ+-,ρ-+が消えることは決して有り得ないことです。
そこで装置は初めから混合状態にあると考えます。
すなわちマクロな装置はN個~ Avogadro数個程度の粒子の集合系
であり,このN粒子の系の多数の状態ベクトルの混合状態が装置を
表わしていると考えるわけです。
そして,測定にはある時間にわたって全体系の密度行列η0を調べる
必要があります。
それぞれ,N,N'粒子系から成る上下の検出装置に対して
η0(N,N')≡|γ><γ|⊗ρAα(N)⊗ρAβ(N') と定義
します。
相互作用が起こる直前の時刻をt0 として,時刻tでの全体系の
統計作用素をN,N'を省略してη(t)と書くと,η(t0)=η0に
対し,
η(t)=∑N,NW(N)W(N')U(t,t0)η0(N,N')U(t,t0)-1
(ただし∑W(N)=1)
と書くことができます。
η0(N,N')=|γ><γ|⊗ρAα(N)⊗ρAβ(N')において,
例えばρ+-に関わる部分は,
|α><β|⊗|φ+><φ-|⊗ρAα(N)⊗ρAβ(N') です。
装置との相互作用部分がスピンに依らないとすれば,時間発展
は,U(t,t0)|φ+>ρAα(N)<φ-|ρAβ(N')U(t,t0)-1
となります。
ここで,|φ+>はρAα(N)のみ,<φ-|はρAβ(N')のみと相互作用
するので左右に分けました。
tを相互作用が終わった時刻とし,N個の粒子の個数に比例する
運動長さの単位をL(N)とすると,そのオーダーはL(N)~N1/3
です。
そして,比例定数として波数因子kを掛けた位相の変化がある
と考えられるので,
左のU(t,t0)|φ+>ρAα(N)は因子eikL(N) を,
右の<φ-|ρAβ(N')U(t,t0)-1は因子e-ikL(N')
を含むはずです。
ここで,η(t)=∑N,N’...を連続化して積分式にすると,
η(t)=∫dL∫dL'W(L-L0)W(L'-L0)U(t,t0)
η0(L,L')U(t,t0)-1(ただし∫dLW(L-L0)=1)
となります。
位相部分だけに着目すると,L(N)~N1/3が大きい極限で
密度行列要素は,それぞれ,
ρ++→ 1,ρ--→ 1,ρ+-→eik(L-L'),ρ-+→e-ik(L-L')
となります。
ところで,Riemann^Lebesgueの定理によれば,L,L'が無限大の
極限では,
∫dL∫dL'W(L-L0)W(L'-L0)eik(L-L') → 0
となります。
このことから"統計作用素=密度行列"からρ+-とρ-+の干渉項
が消えてρ++とρ--の項のみがそのままの形で残ることになり,
事実上デコヒーレンスが実現されることになると考えられます。
ただし,清水明氏の「量子測定の原理とその問題点」に書かれて
いますが,
"測定装置の他に環境も含めたとしても干渉項のオーダーは
観測時間をT,光速をcとして,exp[-(正定数)×cT3]が限界
であり決して正確にゼロになって消えるわけではない。"
という問題は残っています。
一方,szの測定によって必ずしもσzの固有状態である
|α>,|β>が観測されると考える必要はないという本質的な
問題もあります。
例えば,|χ±>≡(1/21/2)(|α>±|β>)(複号同順)はσxに
対してのスピンの+,-の固有状態です。
先の統計作用素において非干渉成分として,
ρ++=|α><α|⊗|φ+><φ+|,ρ--
=|β><β|⊗|φ-><φ-| の代わりに,
ρ'++=|χ+><χ+|⊗|φ'+><φ'+|,
ρ'--=|χ-><χ-|⊗|φ'-><φ'-|
が残ると考えても何の不都合もないからですね。
こちらの問題は(猫生)か(猫死)のどちらか一方のみの状態が観測
されるとして定式化しても,
それらの重ね合わせ状態が観測されるとして定式化しても,
"統計作用素=密度行列"のデコヒーレンスだけからは,
それらは全く同等である,ことから多世界解釈の問題でもあり
超選択則に関わる問題ですね。
例えば変換群の異なる既約表現にまたがる重ね合わせ状態は
観測されない,とかの原理的問題であると思います。
具体的には既約表現の問題とは,ちょっと違うかもしれないです
が,アイソピン(荷電スピン)に関わる2次元特殊ユニタリ群
SU(2)において,
陽子と中性子の重ね合わせ状態は決して観測されない,という
のも超選択則の例です。
これに対して,φメソンやKメソンにはむしろ混合(mixing)が
ある状態で存在する方が普通なので,自然がどういうメカニズム
になっているのかは不思議なことです。
これに関しては,観測を行なう以前の物理系の状態を記述する
"波動関数や密度行列をも実在であると考えるかどうか?"
という哲学的な問題も関連あるかもしれません。
参考文献;町田茂 著「基礎量子力学」(丸善),
ボーム 著「量子論」(みすず書房)
http://fphys.nifty.com/(ニフティ「物理フォーラム」サブマネージャー) TOSHI
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コメント
>事実上デコヒーレンスが実現されることになると考えられます。
ということですね。そのためには、
>装置は初めから混合状態にあると考えます。
何か引っかかるので、こう考えたらどうですか?
「装置はアボガドロ数個程度の粒子の集合系であり,一部が混合状態になると、
「この記事のメカニズム」により、
将棋倒し的に、装置全体が混合状態になる」
まぁ、愚説です。
あと、
>測定装置が状態ベクトルで表わされている状況では
>ユニタリ性の故に測定の結果として干渉項ρ+-,ρ-+ が消えることは
>決して有り得ません。
ですが、
僕の大好きな「Caldeira-Leggett模型」では、
>熱的環境に浸された一つの調和振動子がユニタリ性を失う事を理論的に示した。
そうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8F%E5%AD%90%E3%83%87%E3%82%B3%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B9
これを、もう1ひねりして、
「状態ベクトルで表わされていた環境」が、なぜ熱的になるかというのは、
上記の僕の愚説から言えそうです。
それから、
清水明氏の「量子測定の原理とその問題点」、、、
>正確に 0 になって消えるわけではない
についても愚説があるのですが、
これは、置いておきます。
投稿: kafuka | 2008年8月23日 (土) 22時01分
参考までに、
>ρや,ρに関わる関係式は時間発展によって変化しません。
ですが、
http://www4.ocn.ne.jp/~johnny/quant06.htm
によると、
>密度演算子の時間発展を表す方程式
、、、
ハイゼンベルグ表示の物理量の時間発展の方程式とは右辺の符号が違います。
この方程式は、状態の時間発展を表す方程式であり、シュレディンガー表示の方程式です。
<
とあります。
トンチンカンかも知れませんが、、、
投稿: kafuka | 2008年8月23日 (土) 21時32分