電子の自己エネルギーとDiracの海
"古典的には発散する電子の自己エネルギーが相対論的量子論のDirac(ディラック)の負エネルギー電子の海,いわゆるDirac seaの陽電子の影響を受けて,量子論ではどのように変わるか?"
という問題に関する話題として,1939年のWeisskopf(ワイスコフ)の論文を紹介してみたいと思います。
電子の質量をm,電荷をe<0,古典的な電子半径をaとすると,静止している電子の自己エネルギーはW ~ mc2+e2/aと表わされます。
電子を点と考えると,これはa→ 0 を意味するので,Wは無限大に発散します。
Coulomb場によるエネルギーをWstとおき,電子の位置の付近で距離ξだけ離れた2点に同時に電荷が見つかる確率を表現する量:G(ξ)を,
G(ξ)≡∫ρ(r-ξ/2)ρ(r+ξ/2)dr で定義します。
すると,Wstは,Wst=(1/2)∫[<G(ξ)>/|ξ|]dξで与えられます。
<G(ξ)>は量子論で計算されたG(ξ)の期待値です。
Diracの理論(空孔理論:holetheory)によれば,電荷密度ρは
ρ(r)=e{ψ*(r)ψ(r)}-σ で与えられます。
{ψ1*(r)ψ2(r)}は2つの4成分スピノルのスカラー積を表わします。
σは陽電子の海の効果により差し引かれるべき電荷密度です。
波動関数ψは運動量がqの自由電子の波動関数φqで展開できますから,
ψ=Σqaqφqと表わすことができます。
ここで,系の全体積をVとすると,{φq*(r)φq(r)}=1/V
が成立しています。
ψ=Σqaqφqという表現が成立するならば,ψを"第2量子化=個数表示した場",すなわち個数Nqによる個数表示の波動関数にかかる演算子
とするとき,aqおよびaq*は,それぞれFermi粒子の消滅演算子,および生成演算子と考えることができます。
状態qの電子の個数Nqは,Nq=aq*aqで与えられ,aqaq*=1-Nq
が成立します。
ψ=Σqaqφqをρ(r)=e{ψ*(r)ψ(r)}-σに代入し,それをさらに
G(ξ)≡∫ρ(r-ξ/2)ρ(r-ξ/2)drに代入します。
G(ξ)の期待値に寄与するのは,4つのaqの結合のうちで,
aq*aqaq'*aq'=NqNq'とaq*aq'aq'*aq=Nq(1-Nq')
のみです。
他の結合は非対角成分を持たないので寄与しません。
こうして,<G(ξ)>=e2ΣqΣq'NqNq'/V+e2ΣqΣq'Nq(1-Nq')∫{φq*(r1)φq'(r1)}{φq'*(r2)φq(r2)}dr-2σeΣqNq+σ2V
を得ます。
ここで,r1≡r-ξ/2,r2≡r+ξ/2と置きました。
その頃の従来の理論である陽電子の雲を伴わない単一電子であればσ=0 です。
あるq=q0に対してはNq=1で,q≠q0に対してはNq=0 ですから,第1項はe2/Vとなります。Vが十分大きいのでこれは寄与しません。
そこで,結局第2項のみが<G(ξ)>に寄与します。
それ故,<G(ξ)>=e2Σq∫{φq0*(r1)φq(r1)}{φq*(r2)φq0(r2)}dr=e2∫d3p[exp(iξp/h)/(8π3h3)]=e2δ3(ξ)を得ます。
一方,陽電子論での真空では,全てのq≧0 なるqに対して,
N+q=0 ,N-q=1で,σ=e(Σ-qNq)/Vとおくことができます。
このとき,<G(ξ)>の表式の第1,3,4項は互いに相殺して第2項のみが残ります。
これを<G(ξ)>vacと書けば,<G(ξ)>vac=e2Σ+qΣ-q'∫{φ-q'*(r1)φ+q(r1)}{φ+q*(r2)φ-q'(r2)}drとなります。
<G(ξ)>vacがゼロではなく無限大になるという計算結果を与えるという事実は,真空における電荷のゆらぎが観測されるという現象の1つの反映といえます。
我々の関心は1電子の電荷密度に対応する<G(ξ)>にあります。
q=q0≧0 に対してNq=1,q≧0 ,かつq≠q0 に対してN+q=0 ,
そしてN-q=1なる状態での<G(ξ)>である<G(ξ)>vac+1を求め,
それから<G(ξ)>vacを差し引くことによって,1電子の電荷密度のそれ を計算することができると考えられます。
結局,<G(ξ)>=<G(ξ)>vac+1-<G(ξ)>vac
=e2(Σ+q-Σ-q )∫{φq0*(r1)φq(r1)}{φq*(r2)φq0(r2)}dr
が得られます。
これに自由電子のDirac方程式の実際の解を代入すれば,この表現を数式で評価することができます。
そして"Σ=総和"を"∫=積分"で表現すれば,
<G(ξ)>=e2mc2∫d3p[exp(iξp/h)/{8π3h3E(p)}]
となります。ここでE(p)≡c(p2+m2c2)1/2です。
そして,この積分を厳密に計算すると,
<G(ξ)>={ie2mc2/(2πhξ)}(∂/∂ξ)H0(1)(ξ)
が得られます。
ここで,ξ=|ξ|であり,H0(1)(x)は第1種のHankel関数です。
※(注):ここで,自由粒子波動関数の規格化は∫V{φp*(r)φp(r)}dr=1 ({φp*(r)φp(r)}=1/V )としているようですが,
空間体積のローレンツ収縮を考慮するなら∫V{φp*(r)φp(r)}dr=E(p)/(mc2)とするのが正しいはずです。
しかし,この式と,<G(ξ)>=e2ΣqΣq'NqNq'/V+e2ΣqΣq'Nq(1-Nq')∫{φq*(r1)φq'(r1)}{φq'*(r2)φq(r2)}dr-2σeΣqNq+σ2Vとの比が,[mc2/E(p)]となっているようなので,結果的には正しいようです。※
H0(1)(x)はx= 0 に特異性を持ち,x>>1に対しては指数関数的に減衰します。
結局,ξ<<[h/(mc)]に対しては,
<G(ξ)>={e2/(4π2)}(mc/h)ξ-2,
ξ>>[h/(mc)]に対しては,
<G(ξ)>={e2(mc/h)2{h/(2π3mcξ2)}1/2exp(-mcξ/h)
という近似式が得られます。
電子の自己エネルギーのCoulomb部分Wst は,
Wst=(1/2)∫[<G(ξ)>/|ξ|]dξ で与えられます。
結局 Wst={e2/(4π2)}∫d3p[mc2/{h3E(p)p2}]
=limP→∞{mc2e2/(πhc)}log[{P+(P2+m2c2)1/2}/(mc)],
あるいは,P=h/aとおくことにより,
Wst ~ lima→0{m2c2e2/(πhc)}log{h/(mca)}
と書き表わせることがわかります。
古典電子半径aがゼロに近づくとき,電子の自己エネルギーは古典的には1次の発散をするのに対して,
量子論では対数的に発散するという意味で,電子がCompton波長:{h/(mc)}程度の広がりを持つという効果が現われて発散は緩和されています。
これは後のくりこみ理論(Renormalization theory)との関連性を示唆していると思えます。
参考文献:V.S.Weisscopf「On The Self-Energy and The Electromagnetic Field of The Electron」Physical Review, Vol.56 pp72-85(1939)
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コメント
ども凡人さん。TOSHIです。
指定のホームページをチラッと見てみましたが,既に私が高校の物理でも習った半導体の正孔のことかな?と思いました。
陽電子についての「デイラックの海」のアイデアが先なのか,半導体での「Nの欠損がP(正の孔)になる」というアイデアが先なのかは私はよく知りませんが。。
その程度の話題ではないでしょうか?
TOSHI
投稿: TOSHI | 2010年12月14日 (火) 08時20分
TOSHIさん
KEKが↓「グラフェンとディラックの海」で「ディラックの海」について解説していますが、やはりディラックの海は、特殊な条件化では実在するのでしょうか?
http://www.kek.jp/ja/news/highlights/2010/graphene.html
投稿: 凡人 | 2010年12月11日 (土) 19時43分
TOSHIさん
http://oskatlas.blog71.fc2.com/blog-entry-843.html
にて親切な方からご教示を頂いたのですが、この様な問題が場の量子論で起きる事は、結構「常識」だったみたいですね。
申し訳ありませんでした。
投稿: 凡人 | 2010年12月 1日 (水) 02時16分
ディラックの海の場の量子論的解決の過程で現れる「真空の負の無限大のエネルギー」については、TSVF(Two-State Vector Formalism)で解決出来るという事はないでしょうか?
投稿: 凡人 | 2010年11月14日 (日) 11時55分
TOSHIさん
http://members3.jcom.home.ne.jp/nososnd/field/diracf.pdf
の内容を私なりに解釈した結果、場の量子論では、ディラックの海の負の無限大のエネルギーを真空の負の無限大のエネルギーに置き換え、反粒子のエネルギーを粒子の生成と消滅のエネルギーの差と見做し、真空の負の無限大のエネルギーを無視する事によって正当化していると考えましたが、このような「トリック」は、一般相対性理論におけるエネルギーと重力場の等価性の法則に抵触しないのでしょうか?
投稿: 凡人 | 2010年11月11日 (木) 23時37分