ベルの不等式(量子論と実在)
今日は「量子論と実在」の問題と関連したEPRのパラドックス
(Einstein- Podolski-Rosen's Paradox)と関わる1つの不等式
の話をします。
量子論の確率解釈に対して,それに反対したEinstein(アインシュタイン)
の有名な「神はサイコロ遊びをなさらない。」というセリフにある
ような, 実在性の問題="隠れた変数"と関わる問題は,
謂わゆるEPRのパラドックスを検証する方法が見つかれば解決する,
とされてきました。
そして,こうした問題は,"実在(隠れた変数が存在する)"であれば
成立するはずの「ベルの不等式」という,論理学での2値論理に
基づく1つの不等式が,量子論においては成立しない,ということ
がアスペ(Aspect)らの実験などにより実証された,という形で,
1980年代には解決しました。
では,この「ベル(Belll)の不等式」とは,一体どういう内容の不等式
なのでしょうか?
今日はデスパ-ニャ(B.D'espagnat)の「量子論と実在」というレポート
に基づいて,これを説明しようと思います。
さて,EPR実験と同様ですが,元の実験よりはるかに考えやすい,
と思われる1つの仮想的な思考実験を与えます。
いくつかの陽子対について,それらのスピンを測定する装置がある
とします。
初めに,2つの陽子は,ごく接近した位置にあるとします。その後,
2つの陽子が運動して互いにある巨視的な距離の程度に離れたとき,
ある種のテストを行なうものとします。
量子力学によれば,陽子のようなスピンが1/2の1つの粒子の
ある任意の軸方向のスピン角運動量ベクトルの成分は,
アップ(上向き:+1/2)とダウン(下向き:-1/2)の2つの値
しか取らない.,ことがわかっています。
以下では,この2つの値をアップ,および,ダウンの代わりに,それぞれ,
+(プラス),および,-(マイナス)で表わすことにします。
そして,それぞれの対をなす2個の陽子は一緒になって,
シングレット(Siglet:一重項状態)と呼ばれる量子力学的配置
を取っているとします。
(※↑ 一重項状態とは,陽子対全体ではスピンがゼロという意味です。)
このとき,それらのスピン成分は確実に負の相関を持っており,
両方の粒子について同じスピン成分を同時に測定すると,
1方の陽子のスピン成分がプラスなら,必ず他方の陽子のそれは
マイナスであり,逆の場合はその逆として観測されます。
そして運動の初期状態,すなわち,陽子対に対応する陽子達が比較的
接近していたと思われる状態では,実験対象の多数の全ての陽子対に
ついてこの相関は十分に確立されていた,とします。
量子論によれば,たとえ,どんな装置があろうと,一度に2つ以上の方向
のスピン成分は測れませんが,1つの装置で任意に選ばれた3つの軸の
どの1つの向きのスピン成分でも測れるように,調節可能なものを作る
ことはできます。
以下では,これらの3つの軸をA,B,Cで表わし,実験結果を
次のように書くことにします。
A軸方向のスピン成分がプラスであればA+と表示し,B軸方向の
スピン成分がマイナスであれば結果はB-で与えられる,等々です。
そこで,多くのシングレット状態にある陽子対を用意して,
これらの対の両方の陽子について,それぞれのスピンのA成分
を測る場合を考えます。
ある対のうちの1つの陽子ではA+であり,他の対の1つはA-である
ということがあるのは当然ですが,ある1つの対の1つのメンバーが
A+であるときにはいつでも,そのもう一方のメンバーはA-である
ということになります。
もしも,それとは別にB方向のB成分を測れば,1つの陽子がB+なら
それとシングレットを組んでいる相手はB-であり,
同様に,1つのC+陽子は必ず1つのC-陽子を伴っています。
そして,以上の結果は軸A,B,Cの空間内での向きに無関係に
成立します。
局所的実在論的理論では,量子論では否定され,現実にはあり得ない,
とされてうますが,現在の実験では測定できなくても実は隠れてた性質として存在しているに違いない,として,
単一の粒子のスピンの2つの成分を同時に測定する手段が何か存在する
と仮定してよい。とされます。
そこで,仮にそうした装置が存在するとして,それで測定した結果,
2つのスピン成分としてA+とB-を同時に持つと認められた陽子
の個数を,N(A+B-)と表記することにします。
このとき,通常の論理に従えば,陽子達のスピンのA,B,C3つの成分
は測定するしないに関係なく,元々確定していたと考えることができて,
その個数をN(A-B+C-),N(A+B+C-),etc.と表記できます。
そして,それらは,当然,N(A+B-)=N(A+B-C+)+N(A+B-C-)
という式を満足するはずです。
同様に,N(A+C-)=N(A+B+C-)+N(A+B-C-),
N(B-C+)=N(A+B-C+)+N(A-B-C+)
も成立するはずです。
それ故,N(A+C-)≧N(A+B-C-),N(B-C+)≧N(A+B-C+),
かつ,等式:N(A+B-)=N(A+B-C+)+N(A+B-C-)が成立する
はずですから,
これから,N(A+B-)≦{N(A+C-)+N(B-C+)}
なる不等式が得られます。
この不等式は,以上のように全く形式的に導き出されてはいますが,
ある単独の陽子の2つの成分を独立に同時測定できる装置が存在
しない以上,このままでは,これを実験によってテストすることは
できません。
しかし,個々の陽子ではなく,相関を持つたくさんの陽子対に対して
測定を行なう実験では,上述の不等式の成否を確かめるのに,
そうした不可能な測定を行なう必要はありません。
すなわち,AかBかCかのどれか1つのスピン成分について,
それぞれの陽子をテストする,という実験を行います。
偶然の一致で1つの対の中の両方の陽子に対して,実験で同一の成分
を測ることがときどき起こることになるだろうと考えられますが,
この種の結果は新しい知識を提供しないので無視すると,
残った対では,AB,AC,BCで表示される異なる軸のスピンを
測った陽子対になります。
そして,こうした陽子対の個数をそれぞれn(A+B+),n(A-B+),
...etc.と表わすことにします。
N(A+B+)とn(A+B+)の違いは,N(A+B+)が単独の陽子の
2つのスピン成分を持つ陽子の個数を示すのに対して,
n(A+B+)は2つの陽子の一方がA+,他方がB+の陽子対の個数
を示していることです。
N(A+B-)というのは,ある1つの陽子が確実にA+かつB-を持つ
とされる陽子の個数なので,それと対をなす相手のメンバーの陽子
は確実にA-かつB+を持つと考えられますから,
そうした個数は,N(A-B+)=N(A+B-)を満たします。
そこで,多くの陽子対の同一のサンプルに対し,独立にA,B2つの方向
について測定された2つの実験では,統計的相関から近似的に
n(A+B+)はN(A+B-),またはN(A-B+)に比例(すると
考えてよいことになります。
同様にして,n(A+C+)はN(A+C-)に,n(B+C+)はN(B-C+)に
比例すると考えられ,これらの比例係数は共通であると予想されます。
したがって,不等式N(A+B-)≦{N(A+C-)+N(B-C+)}は,
不等式n(A+B+)≦{n(A+C+)+n(B+C+)}と変換される
ことになります。
これがベルの不等式の1つの形式です。
(※別の形式の不等式もありますが意味は大同小異です。)
これなら,現実の実施可能な実験によってテストすることが
可能なわけです。
そうして,この不等式(または別の形のそれ)がアスペの実験を始め,
多くの実験により"否定的な結果,
つまりこうしたベルの不等式は成立しないという結果"を得たため,
Einsteinらの実在論者は敗北し,「量子論の非局所性」が
正当化されるきっかけとなったのでした。
参考文献;B.デスパニャ(Bernard D'espagnat)「量子論と実在」(The Quantum Theory and Reality.) (日経サイエンス1980年1月号から)
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コメント
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https://himajinnohimana.blog.fc2.com/blog-entry-147.html
を見てください。
投稿: 暇人 | 2021年5月26日 (水) 22時07分
>量子論の非局所性
というのは「非局所性の相関が現れる」ことでいいでしょうか?
というのは、
「量子論の基礎」p214
>
局所性により、、、
月(光円錐の外)での測定時に何をしようが(不意にθをかえても)結果は何も変わらない。
これが量子論でも(局所実在論論と同様に)核心的な仮定になっている
<
ですから、標準的な量子論は、局所非実在論 だと
僕は思います。
投稿: kafuka | 2008年8月23日 (土) 22時20分