対称操作の群とメタンのSP混成軌道
今日は量子化学のごく軽い話題について述べましょう。
多電子原子分子の量子状態を定める分子軌道法は分子内の個々の電子が核と他の電子の作る平均場のポテンシャルV(r)の中を互いに独立に運動しているという描像から出発します。
この近似(独立電子近似)では,全電子系の状態は分子軌道ψj(r)を個々の電子が占めた状態として記述されます。
ψj(r)は,もちろん,Schroedinger方程式;
Hψj≡[-{hc2/(2m)}∇2+V(r)]ψj(r)=εjψj(r)
を独立に満たします。(hc≡h/(2π)はPlanck定数)
そして分子が,ある対称性を持っていれば,それはポテンシャルV(r)に反映され,「分子軌道法」の立場ではV(r)は分子ψ(r)と同じ対称性を持つものと考えます。
すなわち,分子をそれ自身に重ね合わせる対称操作(例えば座標軸の回転操作など)の群をGとし,その1つの元をR^とするとR^によって空間座標rがr'に移されるとき波動関数がψ(r)からψ'(r)に変わることはψ'(r)=R^ψ(r);ψ'(r')=ψ(r)で定義されます。
R^は単に分子を分子に重ねる操作ですから,R^によってrがr'に移されたとしても,電子が感じるのは同じ場であるはずなのでV(r')=V(r),あるいはV(r)ψ(r)=V(r')ψ'(r')です。
定義によって,V'(r)ψ'(r)≡R^V(r)ψ(r),
ψ'(r)≡R^ψ(r)ですから,
対称性の反映であるR^によるポテンシャルの不変性:
V'(r)≡R^V(r)=V(r')=V(r)によれば,
V(r)R^ψ(r)=R^V(r)ψ(r)です。
これを簡単に書くならVR^ψ=R^Vψとなります。
VR^ψ=R^VψでVを∇2に置き換えた等式:∇2R^ψ=R^∇2ψも
明らかに成立するので,結局,Hamiltonian:
H=-{hc2/(2m)}∇2+Vに対して,H R^=R^Hが成立
します。
つまり,対称性の群Gの任意の変換R^に対して,
HR^ψj=R^Hψj=εjR^ψjが成立しますから,R^ψjも
ψjと同じエネルギーεjに属する固有関数です。
ここで,より一般的にはエネルギーの固有状態は縮退していますから,
固有値εαはd重に縮退しているとして,それに属する固有関数を
ψαν(ν=1,2,..,d)と表わすことにします。
そこで,たった今述べたことから,R^ψανはεαの固有関数で展開
できて,R^ψαν=Σμ=1dψαμDαμν(R)と表わされます。
そして,この両辺にQ^∈Gを施すとき,
もちろんP^≡Q^R^∈Gですが,P^,Q^についても同じ論旨から
展開行列Dα(P),Dα(Q)が定まり,Dα(P)=Dα(Q)Dα(R)が
成り立ちます。
すなわち,{Dα(R)}R∈Gは変換群Gの1つの表現を与え{ψαν}は
その基底になっています。
そして,通常は1つの主量子数nと軌道量子数lに属する縮退した
エネルギー固有関数を基底とするような表現は既約表現であると
考えてよいと思われます。
したがって次の法則性を仮定することができます。
(1) 各分子軌道準位,および固有関数は,その対称性,すなわち
固有関数が張る表現空間に対する既約表現の種類:Γでラベル付け
することができる。
もちろん,軌道は無数にあるので異なるエネルギー準位が同じ
種類の既約表現Γに属することも起こり,Γだけで準位を分類し
尽くせるわけではない。
(2) 異なる対称性を持つ関数,すなわち異なる既約表現ΓとΓ'の基底,
それぞれψγ(Γ)とψγ'(Γ')でHamiltonian:Hを挟んだ行列要素は
ゼロでなければならない。
すなわち,<ψγ(Γ)|H |ψγ'(Γ')>=0 である。
これは,もしそうでなければ,このような関数でHamiltonianの対角化
を行なったとき,1つのエネルギー固有値に2つ以上の既約表現の
関数が属することになってしまうからです。
これに反して,"同じ既約表現を示す基底=同じ対称性を持つ関数"
の間ではHの非対角要素は一般にゼロではありません。
こうした2つの法則性から,有限個の原子軌道関数:φ1,φ2,..,φN
の1次結合の範囲でHamiltonian:H^を対角化してその固有関数と
して分子軌道を求めたい場合には,
これらの関数から群Gの既約表現Γの基底となるような1次結合:
ψγν(Γ)=Σi=1Nci(νΓγ)φiを何らかの方法で作り上げることに
より,その方法は大幅に簡素化されると考えられます。
原子価結合法では,分子の成分原子が互いに相互作用を及ぼしあって
分子を形成する,という見方から出発します。
特に電子対結合(共有結合)近似では,それぞれの原子に対して結合
ごとに結合相手の方向を向いた軌道を考えて,それらに1つずつ
電子を詰めていきます。
この際に,原子軌道そのものよりも,エネルギー差の比較的小さい
幾つかの原子軌道を重ね合わせて結合相手の方向に大きく伸びた
混成軌道を作り,これを用いた方が軌道間の重なりも大きく化学
結合をより強くするので,この混成軌道で分子構造を説明しようと
することがあります。
例えば,メタン(methane)の分子CH4における1つの炭素原子Cは
主量子数n=1のエネルギーの基底状態に2つ,n=2 の状態に4つ
の合計6個の電子を持ちます。
これらのうちでHと相互作用するのは外郭にある4つの電子と考え
られ,それらは1つのs軌道(2s)と3つのp軌道(px,py,pz)の上
にあると思われます。
しかし,この場合には炭素原子Cの4つの外郭電子は正四面体の頂点
にある4つの水素原子Hの方向に伸びた4個の同等な混成軌道:
φ1,φ2,φ3,φ4の上にあるとしたほうが対称性の表現には適してい
るように思えます。
メタンを構成する4つの水素原子は正四面体の頂点に対応し,これに
対するメタン分子における対称性の群Gはその正四面体の形状を不変
に保つ4次の交代群と同型な正四面体群Tdで与えられますから,
混成軌道φ1,φ2,φ3,φ4は,そのTdの可約な4次元表現Γを張る関数
であるはずです。
このG=Tdの可約表現Γを簡約して既約表現に分解すると,既約な
状態を示す関数sやp=(px,py,pz)が得られるのですから,
その逆変換によりΓの基底φ1,φ2,φ3,φ4を作り上げることができ
るはずです。
まず,φ1≡as+bpx+cpy+dpzとおくと,これが[111]の回り
の回転で不変なことを要求することから,b=c=dを得ます。
すなわち,φ1=as+b(px+py+pz)です。
さらにGに属する幾つかの対称性操作の回転を行うことにより,
φ2=as+b(px-py-pz),
φ3=as+b(-px+py-pz),
φ4=as+b(-px-py+pz)
が得られます。
係数a,bは対称性からは決まらない定数ですがφ1,φ2,φ3,φ4が
直交規格化されているとすれば,a2=b2,a2+3b2=1ですから,
a=b=1/2を得ます。
こうして得られたメタンに対するsp混成軌道をsp3混成軌道と呼びます。
参考文献:犬井鉄郎,田辺行人,小野寺嘉孝 著「応用群論」(裳華房);L.Fonda and G.C.Ghirardi 「Symmetry Principles In Quantum Physics」Theor.Phys.Vol.1(Mercel Dekker Inc.New York 1970)
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