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2007年9月 5日 (水)

S行列とレッジェ理論(7)

前回の続きです。

 

今日は相対論的な散乱理論に入るための準備段階として相対論的運動学,特に散乱のs,t,uチャンネルの定義とそれらの交叉対称性などを中心に述べてゆきたいと思います。

まず,相対論的散乱の運動学を解説するための題材として典型的な2体反応a1+a2 → a1'+a2'の運動学について解析します。

 質量も変わる一般的な場合を考えて粒子a1,a2,a1',a2'の質量を,それぞれ,m1,m2,m1',m2'とします。

 

 そして,これらの粒子は全てスピンゼロと仮定して,反応は完全に運動エネルギーと散乱角のみに依存する散乱振幅で記述されるとします。

 

 ところが,実はこのすぐ後でこの一般的解析で得た知見を具体的な中性子-陽子散乱に適用する予定なのですが,その場合は既にスピンゼロという仮定が成立していません。

 

 しかし,要するに,ここでのスピンゼロという仮定は,それほど厳密な意味ではなく,エネルギー・運動量のみを考察の対象と考えて,スピン変数の効果が問題になるケースまで考えると煩雑なので,取り合えずは考えないでおこう,という程度の意味です。

 さて,これらの粒子a1,a2,a1',a2'の4元運動量を,それぞれp1,p2,p1',p2'とします。

 

 このとき,エネルギー・運動量の保存は,p1+p2=p1'+p2'で与えられます。

 

 この反応を記述するには任意の準拠系を選ぶことができますが,よく用いられるのは,a1 or a2が静止している実験室系か,あるいは質量中心系(重心系)です。

 一般に運動エネルギーや散乱角の値は準拠系の選択に依存します。

 

 そこで相対論的不変性を完全に用いるためには,これまで用いていた運動量遷移や散乱角というような系に依存する変数を,系によらない不変変数に置き換えるのが有用です。

 ではどのようにすれば準拠系の選択に依らない不変変数を定義できるのでしょうか?

 

 まず,p1+p2=p1'+p2'ですから,4つの4元ベクトルp1,p2,p1',p2'のうちで独立なのは3つだけです。したがって,例えばp1,p2,p1'のみを考えれば十分であり,残るp2'は保存則から決まります。

 

 保存則を示す等式p1+p2=p1'+p2'は簡単な幾何学的描像で表現できます。

 

 すなわち,4次元ベクトル空間を想定し,そこでp1に等しくベクトルABを描き,p2に等しくBCを描きます。

 

 そして,AB=p1と始点を一致させて,p1'に等しくADを描けば,上記保存則は,ベクトルDCがp2'に等しくなることを意味します。

 

 任意のローレンツ変換は4次元スカラーである空間の2点の間の4次元距離を常に不変に保つので,そうした変換は上記の4面体ABCDの形を保ったままの移動,すなわち平行移動を除く合同変換に対応しています。

 そして,この4面体は全ての辺の長さの平方を与えれば完全に決定されます。(4面体は6つの辺を持ちます。)

  

 そこで,4つの質量を示す不変式p12=m12,p22=m22,p1'2=m1'2,p2'2=m2'2,および2つのスカラー量s≡AC2(p1+p2)2(p1'+p2')2,t≡BD2(p1-p1')2(p2-p2')2を与えれば完全に決まります。

 質量は明らかに固定された不変量ですから,散乱振幅を示すためのk2cosθに代わる変数としては,準拠系の選択に依存しない独立な不変変数sとtを採用するのは妥当であると思われます。

 また,AD=p1'としてDからDC=p2'を得る代わりに,AD'=p2'としてD'からD'C=p1'を得るという,もう1つの選択で4面体ABCD'を作り,これを基準にして定式化することも可能です。

 

 そして,ABCDとABCD'のどちらを優先すべきという先験的理由はないので,t=BD2の代わりにu≡BD'2(p1-p2')2(p2-p1')2を不変変数として採用しても,この反応を記述する変数として対等な資格を持つはずです。

 しかし,独立な不変量は4つの質量とs,t,uの7つのうち,6つだけなので,uは残りの6つの関数で表わせるはずです。

 

 実際,s+t+u=m12+m22+m1'2+m2'22p1(p1+p2-p1'-p2')=m12+m22+m1'2+m2'2なる拘束条件があります。

 

 以上をまとめます。

 

 準拠系の選択によらないローレンツ不変な変数として,s=(p1+p2)2(p1'+p2')2,t=(p1-p1')2(p2-p2')2,u=(p1-p2')2(p2-p1')2の3つを取ることが可能です。

 

 しかし,これらのうち独立なのは2つだけです。実際,s+t+u=m12+m22+m1'2+m2'2という関係式が成立します。

 これらの変数には,簡単な物理的解釈を与えることができます。

 

 質量中心系では,121'+2'=0 ですから,s=(p1+p2)2(p10+p20)2(p10'+p20')2;p10(12+m12)1/2,20(22+m22)1/2,10'=(1'2+m1'2)1/2,20'=(2'2+m2'2)1/21222,1'22'2です。

 

 それ故,sには入射2粒子,または散乱2粒子の全エネルギーの平方という意味があります。

 次に弾性散乱のケースを仮定して,1=m1',m2=m2'とすれば,質量中心系では,p10=p10',p20=p20'であり,それ故t=-Δ2=-(1'-1)2=-(2'-2)2となります。

 

 なぜなら,t(p1-p1')2 =(10-p10')2(11')2で,かつ10=p10'であるからです。

 さらに,中性子-陽子散乱のように,1とm2が等しいとみなしてよい場合には,質量中心系で,p10=p10'=p20=p20'なので,u≡BD'(p1-p2')2=-(2'-1)2=-(1'-2)2となります。

 

 そこで,tもuも,運動量遷移の平方にマイナス符号を付けたものと解釈されます。

 ここで,しばらくの間,問題としている2体散乱を具体的な中性子-陽子散乱と考え,中性子と陽子の共通質量をmとします。またを入射時の重心運動量,θを散乱角とします。

 

 このケースでは,s=4(k2+m2),t=-2k2(1-cosθ),u=-2k2(1+cosθ)と書けます。

 既に,これまで論じてきた非相対論的ポテンシャル散乱の理論において散乱振幅:F(k22)=f(k2,cosθ)に対する物理的領域はk20,かつ1<cosθ<1 に対応して,2-Δ2平面で 0<Δ24k2,かつ20 なる領域で与えられることを見ました。

 

 今の場合,新変数s,tによるこの同じ物理的領域の表現はs>4m2,かつ-4k2<t<0 となります。そして-4k24m2-sなので,結局s-t平面での物理的領域は4m2-s<t<0 ,かつs>4m2で与えられることがわかります。

 ところでs+t+u=4m2なので,4m2-s<tはu<0 に対応しています。つまり,今の場合の物理的領域はs=4m2,t=0,u=0 の3つの直線で囲まれた三角形の領域:s>4m2,t<0 ,u<0 で与えられることになります。

 次に非相対論のポテンシャル散乱の場合とは異なり,相対論的散乱においては反粒子の存在があります。このことに関連して相対論的な散乱振幅には粒子と反粒子の交換に対してある対称性があります。

 

 これを交叉対称性(crossing symmetry)といいます。

この交叉対称性を説明するために,ディラック(Dirac)の相対論的量子力学で展開されたパウリの排他原理に基づく空孔理論で保証されたフェルミ粒子(Fermion)の反粒子の因果的表現の1つであるスティッケルベルグ表示を採用し,陽子や中性子の反粒子の表示としてはそうした取り扱いをします。

すなわち,物理的な正エネルギーを持つ反粒子を因果的に逆行する負エネルギーを持ち運動量の向きも反対の非物理的な粒子と同一視する描像を採用します。

 

つまり,4元運動量がqの反粒子を4元運動量が-qの粒子であると見なすわけです。

 陽子-中性子散乱の2体反応を陽にp+n → p+nと書きます。

  

 これらの重心系での4元運動量ベクトルを,改めてp1,p2,p1',p2'と書き,対応する散乱振幅をA(p1,p2,p1',p2')とします。

 

 次に,この2体反応:p+n → p+nの左辺(始状態)に運動量がp2'中性子nと運動量が-p2'の仮想的粒子に対応する反中性子n~を加え,一方,右辺(終状態)には運動量がp2中性子nと運動量が-p2の仮想的粒子に対応する反中性子n~を加えます。

 

すると,4体反応の反応式p+n+n+n~ → p+n+n+n~が得られます。

 

そして,これらの操作が実質的に元の反応p+n → p+nには何の影響も及ぼさないと考えます。

 

p+n+n+n~ → p+n+n+n~の両辺で,全く同じ運動量を持つ共通な真ん中の2つの中性子(n+n)を両辺から取り除くと,この4体反応は2体反応:p+n~ → p+n~に帰着します。

   

この2体反応での粒子の4元運動量は順にp1,-p2',p1',-p2となっています。

一方,これとは別に4元運動量ベクトルがそれぞれq1,q2,q1',q2'の一般的な2体反応:p+n~ → p+n~の散乱振幅をA(q1,q2,q1',q2')と定義します。

 

交叉対称性というのは,元の2体反応p+n → p+nから上述の"同値変形"によって得られる2体反応p+n~ → p+n~の散乱振幅が,実質的に元の反応のそれと同じものと見なせるという性質のことです。

 

すなわち,交叉対称性は,散乱振幅に関して等式A(p1,p2,p1',p2')=(p1,-p2',p1',-p2)が成立することと定義されます。

しかし,同値変形で得られた交叉反応p+n~ → p+n~の方の物理的領域は,一般に元の反応p+n → p+nの物理的領域とは異なっています。

 

物理的領域というのは,反応が物理的,つまり現実に可能であるための条件ですが,p+n~ → p+n~では(q1,q2,q1',q2')≡(p1,-p2',p1',-p2)で定義された変数(q1,q2,q1',q2')の満たすべき条件として与えられるはずです。

そして,これを元の反応に対する不変変数s,t,uの満たすべき条件として表わすために,逆に(p1,p2,p1',p2')=(q1,-q2',q1',-q2)と書けば,s=(p1+p2)2(q1-q2')2,t=(p1-p1')2(q1-q1')2,u=(p1-p2')2(q1+q2)2となります。

 

そこで,p+n → p+nのuチャンネルがp+n~ → p+n~のsチャンネルになっていて,sとuが逆転しています。

 それ故,p+n~ → p+n~でのpの質量中心系での運動量遷移をu,散乱角をθuと書けば,u=(p1-p2')2(q1+q2)24(ku2+m2),t=(p1-p1')2(q1-q1')2=-2ku2(1-cosθu),s=-2ku2(1+cosθu)となります。

 

 したがって,p+n → p+nの物理的領域Ⅰ:s>4m2,t<0,u<0 を得たときと同様に考えると,p+n~ → p+n~の物理的領域Ⅱ:u>4m2,t<0,s<0 が得られます。

 そして,s,t,uは不変変数として完全に対称ですから,もう1つtチャネルを中心とした物理的領域も存在して,それは物理的領域Ⅲ:t>4m2,s<0,u<0 で与えられます。

 

 結局,元のp+n → p+nも含め,これと散乱振幅が同じの交叉対称性を持った反応の完全なセットをリストアップすることができます。

 

 これは,p+n → p+n;p+n~ → p+n~;p~+n → p~+n;p~+n~ → p~+n~;p+p~ → n+n~;n+n~ → p+p~の6つの反応です。

 一般の反応では,1つの反応は交叉対称性だけでなく,時間反転対称性も有するので,合計12の異なる反応と連接しています。後者の時間反転とは,例えばπ+p → Λ+KとΛ+K → π+pのような逆反応の関係です。

 

 粒子-反粒子の交換という荷電共役()反応と関わる交叉対称性と同じく,"逆反応=時間反転()"の対称性も同じ物理的領域を持ちますが,これ(詳細釣り合いの原理)については深入りしないことにします。

 そして,以下では交叉対称性によって共通な値となる散乱振幅A=A=Aを1つの共通記号A(s,t,u)で表現することにします。

今日はここまでにします。

参考文献:R.omnes,M.Froissart「Mandelstam Theory and Regge Poles」W.A.Benjamin,Inc,New York(1963)

 

ところで思うところあって,2006年5月11日の記事「波動関数の位相と電磁場」を昨日ほぼ1日がかりで大幅に修正というよりも加筆しました。

 

まあ,この部分は私自身が最も専門としているQEDの量子異常(アノマリー)に関わるもので,今回は具体的にくりこみを行う手順を明示して,結果として量子異常項が得られるところまで言及しておきました。

 

ただし,肝心のその昔参考にした論文が部屋の中にあるはずですがどこにあるのか不明なので,まだ参考文献を明記していません。

   

http://folomy.jp/heart/「folomy 物理フォーラム」サブマネージャーです。

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