S行列とレッジェ理論(6)
前回の続きです。具体的な形のポテンシャルに対するレッジェ極を調べます。
まず,ポテンシャルとしてクーロンポテンシャルV(r)=Z1Z2e2/rを考え,既に正確に解かれているこの問題について考察します。
上記のクーロンポテンシャルV(r)による散乱の散乱振幅の角運動量lの部分波に対する位相のずれδl(k2)は,exp{2iδl(k2)}=S(l,k2)=1+2ikal(k2)=[Γ(l+1+iγ)/Γ(l+1-iγ)]で与えられることがわかっています。
ここにΓはオイラーのガンマ関数で,γ≡-λ/k;λ≡-(Z1Z2e2m/hc2)です。ただしhc≡h/(2π);hはプランク定数です。
特に,引力の場合,すなわちZ1Z2<0 でλ>0 の場合を考えます。
ガンマ関数Γ(z)はゼロと負の整数に1位の極を持ちますから,al(k2)の極の位置はl+1-iγ=-nr(nr=0,1,2,..)によって与えられます。
このことから,l=-1-nr+i(λ/k)がレッジェ極の軌跡:l=α(k2)を表わすl-k2曲線であることがわかります。
そして,k=iλ/(l+1+nr)により,k2=-λ2/(l+1+nr)2=-λ2/n2<0;n≡nr+l+1 (nr=0,1,2,..)と書けます。
これらは,水素様原子の束縛状態のエネルギー準位:En=hc2k2/(2m)=-hc2λ2/(2mn2)=-Z12Z22me4/(2n2hc2)に,丁度対応しています。
※(注)非相対論的なクーロンポテンシャル:V(r)=Z1Z2e2/r=(hc2kγ/m)/rによる散乱(古典的にはラザフォード散乱,あるいは相対論的扱いをすればモット散乱)を記述する正確な波動関数解φCoul(x)は,φCoul(x)=exp(ikz)F(-iγ,1;ik(r-z))で与えられます。
ただしF(a,b;x)は合流型超幾何関数です。
そこで,これのr→∞ での漸近形はφCoul(x)~ exp(ikz+iγlnk(r-z)[1-γ2/{ik(r-z)}+..]+f(k2,cosθ)exp[ikr-iγln(2kr)]/r;f(k2,cosθ)=exp[-iγln{sin2(θ/2)}Γ(1+iγ)]/{2iksin2(θ/2)Γ(-iγ)}となることがわかります。
したがって,非相対論でのクーロン散乱の微分断面積として,dσ/dΩ=|f(k2,cosθ)|2=|Γ(1+iγ)]/Γ(-iγ)|2/{4k2sin4(θ/2)}=Z12Z22e4/{16E2sin4(θ/2)}なる表式が得られます。
クーロンポテンシャルは湯川ポテンシャルのμ=0 のケースであり,有効レンジ1/μが∞ の特別な場合ですが,ポテンシャルがr→ ∞ で指数的に急減少するという条件を満たしていません。
その結果,散乱解には対数的歪みがあって,通常の散乱境界条件を満たしていませんが.対数的歪みはr→ ∞では他の項と比較して消えるので,これまで通りの解析の適用可能範囲内にぎりぎりで入っています。
ところで,一般に散乱境界条件が満たされる場合の散乱振幅はf(k2,cosθ)=∑l=0∞(2l+1)al(k2)Pl(cosθ);al(k2)≡{exp(iδl)sinδl}/k,al(k2)=[exp{2iδl(k2)}-1]/(2ik)={S(l,k2)-1}/(2ik)と展開されます。
クーロン散乱の場合には上に示した正確な解によって,この展開はf(k2,cosθ)={1/(2ik)}∑l=0∞[(2l+1)Γ(l+1+iγ)/Γ(l+1-iγ)]Pl(cosθ)となることがわかります。
しかも,∑l=0∞Pl(cosθ)=0 ですから,S(l,k2)=[Γ(l+1+iγ)/Γ(l+1-iγ)]なる表式が得られます。(注終わり)※
クーロンポテンシャルは無限個の束縛状態を持ち,そのためレッジェ極は∞まで続いていますが,これは特異過ぎて強い相互作用にとってあまり現実的ではありません。しかし,他に正確に解ける例がないので,ここで例示したわけです。
より現実的な湯川型のポテンシャルに対するレッジェ極の挙動を調べるには通常は数値計算に頼る他ありません。
これらの数値計算例としては,Ahmadzadeh,Burke,Tateらによるものがありますが,これらの結果紹介については省略します。
さて,レッジェ極の符号概念を導入するため,交換力が存在する場合に言及します。
既に見たように,散乱振幅F(k2,Δ2)は異なる有効ポテンシャルV+とV-に対する解に対応して,それを偶部分F+と奇部分F-に分割することによって得られます。
すなわち,F(k2,Δ2)={F+(k2,Δ2)+F+(k2,4k2-Δ2)+F-(k2,Δ2)-F-(k2,4k2-Δ2)}/2,あるいはf(k2,cosθ)={f+(k2,cosθ)+f+(k2,-cosθ)+f-(k2,cosθ)-f-(k2,-cosθ)}/2 です。
そして,F+とF-のレッジェ極は一般に完全に異なるものです。そこで,ゾンマーフェルト・ワトソン変換の結果は次のようになります。
すなわち,f(k2,cosθ)=(i/4)∫-1/2-i∞-1/2+i∞dl{(2l+1)/sin(πl)}[al+(k2){Pl(-cosθ)+Pl(cosθ)}+al-(k2){Pl(-cosθ)-Pl(cosθ)}]+(1/2)∑j[βj+(k2){Pαj+(k2)(-cosθ)+Pαj+(k2)(cosθ)/sin{παj+(k2)}+(1/2)∑j[βj-(k2){Pαj-(k2)(-cosθ)-Pαj-(k2)(cosθ)/sin{παj-(k2)}]]です。
ただし,βj±(k2)≡{(2αj±(k2)+1)}Res{al±(k2)}|l=αj±(k2)でRes()は()の中の関数の留数をです。
ところが,l=α+(k2)が奇数を通るとき,そこでsin(πl)=sin{πα+(k2)}は消えますが,同時に{Pl(-cosθ)+Pl(cosθ)}も消えます。
同じように,l=α-(k2)が偶数を通るとき,そこでsin(πl)=sin{πα-(k2)}は消えますが,同時に{Pl(-cosθ)-Pl(cosθ)}も消えます。
そこで,こうした極は存在しても,そこでは分子も分母もゼロで共に1位の零点なので相殺して振幅は正則になるため,これらは見かけの特異点で実質的には散乱振幅の極ではありません。
そこで,α+(k2)の物理的領域は偶数のみ,α-(k2)の物理的領域は奇数のみであると考えられます。そしてα±(k2)の上添字±をレッジェ極の符号と呼びます。
話を元に戻して,ゾンマーフェルト・ワトソンの公式:F(k2,Δ2)=f(k2,cosθ)=(i/2)∫-1/2-i∞-1/2+i∞[(2l+1)al(k2)Pl(-cosθ)/sin(πl)]dl+∑j[βj(k2)Pαj(k2)(-cosθ)/sin{παj(k2)}]が成立すること,
および,極α(k2)}の近傍ではβ(k2)Pα(k2)(-cosθ)/sin{πα(k2)}~β(kl2)Pl(cosθ)/[π(∂α/∂k2)k2=kl2(k2-kl2)]+(正則関数)と近似できることに着目します。
これから,非物理的領域での大きいcosθ=1-Δ2/(2k2),つまり固定したk2に対してΔ2の大きい値に対する散乱振幅F(k2,Δ2)の漸近的な挙動がわかります。
ルジャンドル関数Pν(z)=F(ν+1,-ν,1-z)の形を調べると,これはReν=-1/2のときには,|Pν(z)|~|Γ(-2ν-1)/[2ν{Γ(-ν)}2]+Γ(2ν+1)/[2ν{Γ(ν+1)}2]||z|-1/2と近似できます。
そこで,ゾンマーフェルト・ワトソンの公式の右辺第1項のRel=-1/2上での積分項は,|z|→ ∞ では消えます。
一方,Reν>0 の場合,|z|→∞ でるジャンドル関数の漸近形はPν(z)~ Γ(2ν+1)zν/[2ν{Γ(ν+1)}2]となります。
そして,複素数角運動量lに対し,|cosθl|=|cosθ|Relexp{-ang(cosθ)Iml}ですが,もしも複素cosθ平面のある方向で,cosθ→ ∞ とするなら,cosθの偏角:ang(cosθ)は固定されており,|cosθl|の漸近的挙動は本質的には|cosθ|Relにのみ依存します。
そこで,|cosθ|→ ∞,つまり|Δ2|→ ∞ での散乱振幅F(k2,Δ2)では,最大の実部Relを有するレッジェ極l=α(k2)に対応する項の寄与が支配的になります。
したがって,Re{α(k2)}が最大のレッジェ極が存在する場合には,それをα1(k2)と書いて散乱振幅の極における留数などの比例定数を無視すると,|cosθ|→∞ (|Δ2|→ ∞)では散乱振幅の漸近的な形式として,f(k2,cosθ)~(cosθ)α1(k2),またはF(k2,Δ2)~(Δ2)α1(k2)が得られます。
この結果を評価する際には2つの注意が必要です。
第1には,これをΔ2が負で絶対値が大きいときの挙動と考えたときには,既に論じたように振幅F(k2,Δ2)はΔ2<0 の領域に非常に多くの特異点を持ちますから,上の結果は,そうした無数の特異点があっても結局Δ2→-∞では滑らかな挙動になるということを示しています。
これはとても奇妙に感じられることです。
第2には,上記の結果は非相対論的ポテンシャル散乱に関する限り,あまり興味深い事実であるとは言えず,相対論的S行列の問題を扱うときにのみ,これの十分な意味と物理的な示唆を受けるということです。
これは,Δ2の大きい値は非相対論的ポテンシャル散乱では物理的領域からはるかに離れていて,そうした領域での挙動に意味がなさそうに思えるのに対し,後に見るように,相対論での扱いでは,これが物理的領域と無関係ではないと考えられる側面があるからです。
今日はこのくらいにします。
参考文献:R.omnes,M.Froissart「Mandelstam Theory and Regge Poles」W.A.Benjamin,Inc,New York(1963),猪木慶治,川合 光 著「量子力学Ⅰ,Ⅱ」(講談社),岩波講座「現代物理学の基礎(第2版)3:量子力学Ⅰ」(岩波書店)
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