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2008年1月23日 (水)

多原子系の方法論(分子軌道)(3)

分子軌道法(MO法)のさらなる続きです。

多原子系において,u()を断熱ポテンシャルとすると,系を構成する原子核の1つAに働く力Aは,A=-∇A()で与えられるというところまで述べました。

系に存在する電子数密度をρ()=ρ(x,y,z)とすると,微小体積要素:d=dxdydzに存在する電子数はρ()dになります。

 

系の全電子数をNとすれば, ρ()はもちろん∫ρ()d=Nを満たすよう規格化されています。

 

そして,もしも系の電子軌道iを占有する電子の数niがわかっていれば,"軌道iの波動関数=軌道関数"をφi()とすると,ρ()=Σiii()|2と書けます。

 

ただし,Pauliの排他原理(パウリの排他原理:Pauli's exclusion principle) or Pauliの禁制原理によって,i0,1,2 のいずれかの値しか取ることはできません。

運動方程式を解いて,占有数分布niがどのような値を取るかという情報が全て得られれば,それから電子の空間分布ρ()がわかります。

 

そこで,負電荷の密度-eρ()が既知となって,個々の原子核に作用する力の陽な詳細表現式がわかり,その結果が再び運動方程式に反映されることになります。

すなわち「個々の原子核に作用する力は他の原子核から受ける静電的な斥力と,上記電子密度から受ける静電的な引力を全て加え合わせた合力に等しい。」といえます。

 

これをFeynman(ファインマン)の静電定理といいます。これは独立電子近似での自己無撞着な近似を原子核の系に適用して独立原子核近似としたものといえるでしょう。

ところで,原子番号がZAで正電荷QA≡ZAeを持ち,位置Aにある原子核Aが,位置にある電荷Qによって受けるCoulomb力AA{1/(4πε0)}QQA(A)/|A|3で与えられます。

 

A=-QA;A{1/(4πε0)}QA(A)/|A|3と書いて逆に原子核Aによって電荷Qの受ける電場:A(r,RA)による表現式としFeynmanの静電定理をそのまま書き下すと,これはA=∫eρ()A(r,RA)d-ΣB≠AeZBA(B,RA)なる形になります。

以上から,核Aに働く外力について,A=-∇A()=∫eρ()A(r,RA)d-ΣB≠AeZBA(B,RA)なる簡明な表現式を得ることができました。

 

なお,A(r,RA)は原子核Aの感じる電場ではなく,原子核Aが電荷に及ぼす電場を表わしているので,作用反作用の法則によって,通常の引力と斥力を示すベクトルの向きに対して,式の符号が反対になる表現となっています。

原子核の個数が2つのみの場合,"原子核の間に引力の働く領域=結合領域"は2つの原子核が挟む領域の1部であると思われます。

 

この領域の電子密度が非常に大きければ,そこに在る電子が両側の原子核を自分の方に引き付ける結果,その引力が核間斥力を上回り全体として核間に引力が働くと思われます。

 

一方,"核間に斥力の働く領域=反結合領域"は原子核の挟む領域の外側の領域であり,この領域の電子密度が大きいときには,これらの電子は核間のCoulomb斥力を助長して結合を妨げると考えられます。

したがって,多原子系の中に上記のような結合領域が存在してその範囲が大きい場合には,この多原子系の原子核の結合した安定な状態が存在可能なわけで,こうした説明は化学結合の定性的な仕組みを表現していると考えられます。

ここで,唐突ですが原子分子系や天体に関連した物理学において,よく用いられるビリアル定理(virial theorem)について説明します。

 

まず,今の多原子系のケースではビリアル定理とはどういうものか?定理はどのように表現されるのか?ということから説明します。

 

系の全ハミルトニアン(Hamiltonian)をとすると,これは今の場合,=Kn+Ke+Unn+Une+Ueeなるいくつかの項の和として与えられます。

 

これの運動エネルギー部分をK≡Kn+Ke,ポテンシャル部分をU≡Unn+Une+Ueeと書いて,普通の力学系で通常そう表わされるようにK+Uと簡単な2つの部分の和の形に書きます。 

そして,例えばKの期待値を<K>etc.と書くことにすれば,ビリアル定理は,2<K>+<U>-Ru()=0 なる等式が成立することで表現されます。ただし,この等式の左辺第3項のRu()はΣAA(∂()/∂A)を意味します。 

一応,この定理の証明を与えておきます。

まず,一般に系のビリアル(virial):Gとは系を構成する個々の粒子の位置と運動量の内積の総和を意味しますから,今の場合のビリアルはG≡ΣAAA+Σiiiなる量で定義されます。 

ここでGの時間微分を取るとdG/dt=ΣA[(∂G/∂A)(dA/dt)+(∂G/∂A)(dA/dt)]+Σi[(∂G/∂i)(di/dt)+(∂G/∂i)(di/dt)]=ΣA[A(∂/∂A)-A(∂/∂A)]+Σi[i(∂/∂i)-i(∂/∂i)]となります。

 

これはGの時間微分をPoisson括弧式[ ]P.B.で表現した式:dG/dt=[,G]P.B.を陽な形に書き下したものであるともいえます。 

ここで,全ハミルトニアン:K+Uを構成する運動エネルギー部分Kに着目すると,これは運動量の2次の同次式ですからΣAA(∂/∂A)+Σii(∂/∂i)=ΣAA(∂K/∂A)+Σii(∂K/∂i)=2Kとなることがわかります。

 

一方,-ΣAA(∂/∂A)-Σii(∂/∂i)=-ΣAA(∂U/∂A)-Σii(∂U/∂i)ですから,結局,dG/dt=2K-ΣAA(∂U/∂A)-Σii(∂U/∂i) =2K-RU-∇Uなる表式が得られます。 

今の結合した1分子の系のように,系全体の存在領域が有限に制限されている場合,dG/dtの長時間平均<dG/dt>timelimT→∞(1/T)∫0(dG/dt)dt=limT→∞(1/T)[G(T)-G(0)]はゼロになると考えられます。

 

そこで,2<K>time-<ΣAA(∂U/∂A)>time-<Σii(∂U/∂i)>time0 ,つまり,2<K>time-<RU>time-<∇U>time0 と結論されます。

 

これがビリアル定理の古典的表現です。

ところが,通常のCoulombの法則により,位置1,2に電荷q1,q2が有る系ではクーロン力のポテンシャルはU={1/(4πε0)}q12/|12|ですから,実際にこれを微分して積和をとると-Σi=12i(∂U/∂i)=Uが成立します。

 

それ故,一般に系に働く力の場がCoulomb力の場しか存在しない場合には,-ΣAA(∂U/∂A)-Σii(∂U/∂i)=-RU-∇U=Uなる等式が成立します。 

したがって,先に与えたビリアル定理の古典形は今の静電Coulomb力のみの場合には,2<K>time+<U>time0 に帰着します。

古典論から量子論に移行して,長時間平均<dG/dt>time0 をΨ(,)=EΨ(,)なる定常状態の波動関数Ψの期待値の意味:<dG/dt>≡<Ψ|dG/dt|Ψ>=∫Ψ*(,)(dG/dt)Ψ(,)d=0 に解釈します。

 

すると,先の古典的ビリアル定理: 2<K>time+<U>time0 は 2<K>+<U>=0 になります。

ここで,<U>に関してのみ,改めて<U>=-<ΣAA(∂U/∂A)>-<Σii(∂U/∂i)>=-<RU>-<∇U>と,2つの項の和に分割し,より詳しく考察します。

Ψ(,)=EΨ(,)を満たす定常状態の波動関数Ψ(,)はΨ(,)=φ()ψ(,)と分離されて,ψ(,)についてはe(,)ψ(,)=u()ψ(,)が成立しています。

 

ここにe(,)は電子ハミルトニアンであり,e=Ke+Uです。そしてψ(,)は電子のみの波動関数です。

電子のみの波動関数ψ(,)のみならず全波動関数Ψ(,)についてもe(,)Ψ(,)=u()Ψ(,)なる固有値方程式の関係が保持されるので,<e>=u()=<Ke>+<U>となり,∇u()=ΣAA(∂()/∂A)=<RU>が成立するはずです。

 

しかし,期待値の記号< を全波動関数Ψ(,)とdによる期待値を表わすものでなく,電子のみの波動関数ψ(,)とdによる期待値を表わす,という意味に取るなら,

 

期待値<U>は<U>=-<ΣAA(∂U/∂A)>-<Σii(∂U/∂i)>=-<RU>-<∇U>でなく,<U>=-<Σii(∂U/∂i)>=-<∇U>と表わされます。

 

一方<e>=u()=<Ke>+<U>を電子のみの波動関数ψ(,)による期待値の意味に取れば,この期待値の意味でも∇u()=ΣAA(∂()/∂A)=<RU>なる等式は不変です。 

そこで,Born-Oppenheimer(ボルン・オッペンハイマー)近似に準じて核の運動エネルギーは小さくて無視できるとして,<K>~<Ke>と近似します。

  

量子論での,"電子のみの波動関数の期待値"という意味でのビリアル定理の最終形式として, 2<K>+<U>-Ru()=0 なる等式が得られます。

 

こうして,先に述べた形のビリアル定理が成立することの証明は完了しました。

さて,ビリアル定理 2<K>+<U>-Ru()=0 において,2原子分子の場合には,平衡核間距離:R=Reにおいて{du(R)/dR}|R=Re0 が成立します。

  

そこで,原子系が平衡配置R=Reにあるなら左辺第3項のR()はゼロになります。

 

それ故,系が平衡状態の配置にあるときには 2<K>+<U>=0 が成り立ちます。

 

すなわち,-<U>/<K>=2 なる式によって分子などの多原子系が安定平衡であるための1つの必要条件が与えられます。

 

この比はビリアル比と呼ばれ,計算で求めた波動関数が正しいかどうかの検証などに利用できます。

元の論題に戻って,分子軌道(MO)というのは原子における原子軌道(AO)の分子の場合に対応する電子の波動関数のことですが,これを求めて問題を物理化学的に扱う方法が分子軌道法です。

 

先述したように,具体的には独立電子近似と変分原理に基づきHartree-Fock(ハートリー・フォック)方程式をやや簡略化したSCF法(自己無撞着近似;Self-Consistent Field近似)を使用します。

すなわち,予め変分原理に基づいて最適な試行関数として用意したF個の基底関数をχ12,..,χFとします。

 

独立電子の軌道関数i}をこれらの線形結合:φi≡Σp=1Fipχの形に限定して最良の係数{Cip}を数値計算などで求めるわけです。

結局は,Ritz(リッツ)の変分法に類似したF次の永年方程式を基本方程式として,SCF解が得られるまで逐次的に解いて,最適係数{Cip}と個々の独立電子の軌道エネルギー{εi}を獲得します。

 

また,系全体の基底状態のエネルギーEGに対する近似値も得られますが,これをSCFエネルギーと呼びELCと表記します。 

 Hartree-Fock近似で求めた基底状態のエネルギー近似値をEHFと表記すると,一般にEG≦EHF≦ELCなる不等式が成り立つことがわかっています。

 

既に,述べたように不等式の等号が成り立つのは独立電子が近似ではない1電子の系であるときだけで,一般に多電子系では電子相関エネルギーΔE≡EHF-EGは正になります。 

これらHartree-Fock法と電子相関の詳細については,分子ではなく原子についてですが,既に記事「多電子原子の構造」に比較的詳しく書いたのでここで繰り返すことはしません。

 

基本的にこうした計算は分子であっても原子核の運動を除外した近似では原子のそれと同じです。

 

そしてSCF法と呼ばれる方法は現実的な効率性なども考慮しているためにHartree^Fock法よりも悪い近似ですが,電子相関エネルギーについてのΔE≡ELc-EG0 になるという性質は同じです。

具体的に近似として軌道関数i}と軌道エネルギー{εi}が求められたなら,Slator(スレーター)行列式を作ることによって,全体の波動関数Φ=det[φi(j,sj)]と全エネルギーの期待値E=Σiiεiの近次解を構成することができます。

 

ここで,占有数ni0,1,2 は軌道φiの占有電子数のことです。

,スピン変数sは無視してφiは軌道だけの関数を示しているとすると"軌道φiに収容される電子の数=占有数ni"はPauliの原理によって0,1,2のいずれかです。

 

もしもni1 または 2 なら,この軌道を被占軌道と言い,ni0 の軌道を空軌道と言います。被占軌道はni1のとき半占軌道(SOMO)と呼び,この軌道に収容されている電子を不対電子と呼びます。

 

i2のときには,全占軌道,電子対と呼びます。

被占軌道のうちエネルギーが最も高いものを最高被占軌道(HOMO)と言い,空軌道のうち最もエネルギーが低いものを最低空軌道(LUMO)と言います。

 

HOMO,LUMO,SOMOはFrontier軌道(フロンティア軌道)と呼んで他の軌道と区別します。

 

これらの軌道は特に化学反応性と密接に関わっています。

不対電子が全くない電子配置を閉殻といい,不対電子が存在する電子配置を開殻といいます。

 

i}と{εi}による全体の波動関数Φの中で全エネルギー期待値E=Σiiεiが最も小さい電子配置を基底電子配置といいます。この基底電子配置が基底状態に相当しているわけです。

偶数電子系の基底電子配置はエネルギーが低い軌道から順にHOMOまで全て電子対になっています。

 

ただし,HOMOよりエネルギー的に上位のLUMOまでのエネルギー差が小さい場合や,HOMOとLUMOが同じエネルギーで縮退している場合には,原子の場合と同じく,

  

Huntの規則(フントの規則):「①できる限り異なる軌道に入る。②スピンの向きはでき得る限りそろえる。」が成立することから推論されるように,電子が対を作るよりもスピンの向きが平行な2つの不対電子に分かれたほうが安定です。

基底電子配置から,いくつかの電子を別の軌道に移して得られる,よりエネルギーの高い電子配置を励起電子配置といいます。

また,電気的に中性なN-電子系=(多電子原子 or 多原子分子)に対して電子数をいくつか増減してN+z電子系の電子配置を組み立てることができます。

 

z>0 ならz価の陰イオン,z<0 なら陽イオンになります。イオンの電子配置はイオン化電子配置と呼ばれます。

今日はこれで終わります。 

参考文献:大野公一 著「(化学入門コース)量子化学」(岩波書店)

  

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コメント

2<K>+<U>-R∇Ru(R)=0 ですが
大野公一 著「(化学入門コース)量子化学」では
2<K>+<U>+R∇Ru(R)=0 となっております。どちらが正しいのでしょうか。

投稿: 斉藤 佳久 | 2016年10月26日 (水) 10時39分

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