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2010年5月31日 (月)

またまた,犬も食わない自己分析

 どうでもいいことですが,念のためです。

 私が最近このブログでよく書いている内容:

 "他人にやさしくせよ,とか汝の敵を愛せ云々"とかの言は,私自身が私自身を律するための戒めの言葉であって,決しておこがましくも"他人にこうせよ"などという勧言を書いているわけではありません。

 そもそも,私自身がやろうとしてもできないから戒めているのです。自分にできないことを他人に勧めるわけがないでしょう。

 せいぜい,肩に力入ってると疲れるから無理しないようにね,と同情心程度です。(↑ ヤな奴だねえ。。)

 それに,私の行動や考え方の規範(大げさですが)は,一人前にものごころがついた前後から一貫して"価値自由の原則"というものです。

 つまり,各個人が如何なる価値観を持とうが,それはその人の自由であって自分と関連して何らかの精神的物質的衝突が起きない限り,何ら私の関知するところではないということです。

 まあ,"他人(ひと)は他人(ひと),私は私"という,よく言えば個人主義,悪く言えば隣人が困っていようと無関心な薄情者ですネ。

 私には,その他に"来るものは拒まず,去るものは追わず"という自分ではあまり意識してない行動原理もあるようです。

 これも,感情のない天人か仙人にでもなったようです。

 殴ってでもこちらを向かせたい,とか,去っていく人に泣いて追いすがる,とかの激情など起きず,やはり本質的に薄情者なのかもしれません。

 イヤ,今となってはリビドーがホト走る若い感性は非常に取り戻したい形質の1つですね。(下半身ももっとホト走って欲しい。トホホ。。)

 とは言っても,別に"危うきに近寄らず"とか"さわらぬ神に祟りなし"とかの事無かれとは逆で事が起こるのを期待している好事魔てす。

 むしろ,流れ弾に当たるのは望むところです。そして,まあケンカは弱いのですが,"ヤルときはヤル"という感じですかね。。。

 ただし,面倒くさくなるとプイと横向いたりして飲み屋なら唄でも唄っています。勝手なもんです。

 いずれにしろ,私は教育者でもなければ教祖でもないし,他人に主張できるものは私自身の利己,エゴのみです。(他人に下手なアドバイスをしてお金をもらえる商売ならイザ知らず。。)

 "近頃の若い者は云々"とか普通にグチは言いますが,それを以って本当に他人に説教しようとは思いません。(殴られるのもイヤだしね。)

 これらは,単に悪口,陰口のたぐいであって,結局自分に都合のいい解釈をして,自分の価値観,自分の小さな経験や尺度の中で他人様を利己的に批判してるに過ぎません。

 まあ,偶々,最近になって"利他こそが私の利己である。"というようなホトケゴコロ的心境が湧いてきただけのことで,それを書いています。

 決して,私以外の他人様にまで"ホトケ様やイエス様になれ"と説いているわけではないですヨ。

 以上,上から目線の自己分析でした。ナハハ。。

PS:6/1手話教室3回目(全体で5回目)受けてきました。初めて遅刻せずフルタイム見て(聴いて)きました。取り合えず,3日坊主まではきましたね。

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