散乱の伝播関数の理論(18)(応用4)
散乱の伝播関数の理論の続きです。
今日は自由電子による光子の散乱(Compton散乱)の微分断面積の
最低次の計算を行います。
まず,すぐ前の電子による制動輻射(Bremsstrahlung)の
Feynman-diagramを再掲します。
すなわち,電荷:-Ze>0 を源とする静電Coulomb場:
A0Coul(x)=-Ze/(4πε0|x|)
=-Ze∫d3q{exp(iqx)/|q|2}の中を電子が通過する際に
1光子を放出する2次のグラフ:下図7.8です。
このグラフで静電Coulomb場の源:-Zeと交換される仮想光子
が実光子である場合,
つまり正電荷の原子核に相当する源:-Zeは存在せず,単に
自由電子が光子を吸収して放出する過程を想定すると,これが
記述するのは,"自由電子による光子の散乱=Compton散乱"です。
§7.7 Compton Scattering(コンプトン散乱)
前の制動輻射において与えたのと同じ平面波の場:
Aμ(x;k)=(2|k|ε0V)-1/2
εμ{exp(-ikx)+exp(ikx)}を電子線の1つの頂点で
吸収される入射光子とします。
一方,運動量k'μ,偏光ε'μを持つ別の平面波:
A'μ(x;k')=(2|k'|ε0V)-1/2
ε'μ{exp(-ik'x)+exp(ik'x)}が第2の頂点で放出
されて終光子になるとします。
この過程は,k+pi=k'+pfなる関係によって,エネルギー・
運動量保存を示す光子の自由電子による散乱,
つまり,Compton散乱として知られています。
このCompton散乱の2次のS行列要素は,先の制動輻射のS行列要素
Sfi=e2∫d4xd4yψ~f(x)
[-iA(x;k)iSF(x-y)(-iγ0)A0Coul(y)
+(-iγ0)A0Coul(x)iSF(x-y){-iA(y;k)}]ψi(y)
において,γ0A0Coul(y)をA'(y;k')に,γ0A0Coul(x)を
A'(x;k')に置き換えるだけ異なります。
制動輻射の2次のS行列要素の運動量表示は,
Sfi={-Ze3/(ε0V)3/2}2πδ(Ef+k0-Ei)(2k0)-1/2
{m2/(EfEi)}1/2(1/|q|2)
u~(pf,sf)[(-iε){i/(pf+k-m)}(-iγ0)
+(-iγ0){i/(pi-k-m)}(-iε)]u(pi,si)
でした。
この式から,電磁ポテンシャルの置換:γ0A0Coul → A'によって,
Compton散乱の2次のS行列要素SfiCompが得られます。
すなわち,SfiCompの運動量表示として,
SfiComp={e2/(ε0V2)}(2π)4δ4(pf+k'-pi-k)
(4k0k'0)-1/2{m2/(EfEi)}1/2
u~(pf,sf)[(-iε'){i/(pi+k-m)}(-iε)
+(-iε){i/(pi-k'-m)}(-iε')]u(pi,si)
を得ます。
これは,以下の図7.10のFeynman-diagramに対応しています。
このSfiCompの表現式からは,他のk,またはk'の符号が異なる3つ
の追加項を落としました。
これらの追加項は,Aμ(y;k)とA'μ(x;k')の積とその交換
グラフに対応する交代項:A'μ(y;k')とAμ(x;k)の積によ
る計2×4個の項のうち,
exp(iky)exp(-ik'x),exp(-ik'y)exp(ikx)に比例する項,
exp(iky)exp(ik'x),exp(ik'y)exp(ikx)に比例する項,
および,exp(-iky)exp(-ik'x),exp(-ik'y)exp(-ik'x)
に比例する項に由来するものです。
これらのうち,前の2×2個の項は,Compton散乱の4元運動量保存
条件として,pi=pf+k+k',またはpf=pi+k+k'を要求し.
これに対応するδ4関数に導くものです。
しかし,こうした条件は1つの自由電子が1つの自由電子と2つの
光子に崩壊する過程,またはその逆反応に対応する条件で,これを
満たすことは運動学的に不可能です。
(※例えば,後述する対生成は光子の電子,陽電子対への崩壊に相当
しますが,これも1つの光子だけからの生成は運動学的に不可能
で,2つ以上の光子からの生成のみ可能です。※)
残る第3の項の対は,SfiCompの表現でkとk'を入れかえた項の対
に相当します。
これは入射光子がk'で終光子がkの散乱に対応します。
この項は,δ4(pf+k-pi-k')に比例するため,この項がゼロで
ない場合が,上記のSfiCompの右辺の因子:δ4(pf+k'-pi-k)
がゼロでない場合と共存することは有り得ません。
しかし,SfiCompが(k,ε)⇔(-k',ε')なる交換に対して対称で
あることに着目すれば,
入射光子がk'で終光子がkの場合のCompton散乱の断面積も
同じ値を与えることがわかります。
これは,2体散乱のCrossing Symmetry(交叉対称性)として知られて
いる性質ですが,実は相互作用の2次の摂動近似だけでなく摂動の
あらゆる次数で成立する正確な対称性です。
この交叉対称性は,素粒子論の多くの場合に成立して重要な役割を
果たすもので,"詳細釣り合いの原理(detailed valance)"と呼ばれ
ます。
さて,具体的なCompton散乱の2次の散乱断面積の計算は,これまで
幾つかの例において展開してきたラインに沿って実行できます。
ただし,スピノール(spinor)代数に関連する因子の計算については
ややハードルが高いです。
まず,Compton散乱の2次のS行列要素SfiCompを再掲します。
SfiComp={e2/(ε0V2)}(2π)4δ4(pf+k'-pi-k)
(4k0k'0)-1/2{m2/(EfEi)}1/2u~(pf,sf)
[(-iε'){i/(pi+k-m)}(-iε)
+(-iε){i/(pi-k'-m)}(-iε')]u(pi,si)
です。
このS行列要素の絶対値の平方:|SfiComp|2をTV=(2π)4δ4(0)
で割って単位体積,単位時間当たりの遷移率とします。
そして,散乱断面積の定義に従って,これを入射粒子の流束(flux):
|v|/Vで割り,さらに"単位体積に存在する平均の標的粒子数=
標的密度:(1/V)"で割ります。
最後に,位相空間体積:{V2/(2π)6}d3pfd3k'にわたる総和
(積分)を取ると散乱断面積:dσが得られます。
制動輻射の断面積の式:
dσ={Z2e6m2/(2ε03k0EfEi|vi|)}
∫(|u~(pf,sf)[ε{1/(pf+k-m)}γ0+
γ0{1/(pi-k-m)}ε]u(pi,si)|2/|q|4)(2π)-5
δ(Ef+k0-Ei)d3kd3pf
を参考にしてCompton散乱のdσを求めます。
Compton散乱では,dσ={e4m/(2k0ε02Ei|v|)}
∫(|u~(pf,sf)[ε'{1/(pi+k-m)}ε
+ε{1/(pi-k'-m)}ε']u(pi,si)|2)(2π)-2
δ4(pf+k'-pi-k)d3pf(m/Ef)d3k'{1/(2k'0)}
となります。
ここでまず,初期の標的電子が静止している実験室系:
piμ=(Ei,pi)=(m,0)を準拠系に採用すると,
|v|=c=1ですから,m/(2k0Ei|v|)}=1/(2k)です。
ただし,k≡|k|=k0です。
「散乱の伝播関数の理論(13)(応用2-1)」で書いたように,
d3p/(2E)=∫0∞dp0δ(p2-m2)d3p
=∫-∞∞d4pθ(p0)δ(p2-m2);E=(p2+m2)1/2
なる有用な公式があります。
これを利用し,散乱光子の立体角Ωk'と実験室系でkとk'のなす角
θを固定して,dσの右辺の因子:
δ4(pf+k'-pi-k)d3pf(m/Ef)d3k'{1/(2k'0)}
をk'≡|k'|=k'0 で積分します。
すると,∫d3pf(m/Ef)d3k'{1/(2k')}δ4(k+pi-k'-pf)
=(1/2)dΩk'∫0∞k'dk'∫(m/Ef)d3pfδ4(pf+k'-pi-k)
=mdΩk'∫0∞k'dk'
∫θ(k+m-k')δ({k+pi-k'}2-m2)
=mdΩk'∫0k+mk'dk'δ({2m(k-k')-2kk'(1-cosθ)})
=dΩk'(k'/2){1+(k/m)(1-cosθ)}
を得ます。
ただし,最後の式では,k'=k/{1+(k/m)(1-cosθ)}
です。
すなわち,∫d3pf(m/Ef)d3k'{1/(2k')}δ4(k+pi-k'-pf)
={k'2/(2k)}dΩk'であり,k'=k/{1+(k/m)(1-cosθ)}
=k/{1+(2k/m)sin2(θ/2)} です。
したがって,dσ={e4m/(2k0ε02Ei|v|)}
∫(|u~(pf,sf)[ε'{1/(pi+k-m)}ε
+ε{1/(pi-k'-m)}ε']u(pi,si)|2)(2π)-2
δ4(pf+k'-pi-k)d3pf(m/Ef)d3k'{1/(2k'0)}
において,Ω=Ωk'と書きe2=4πε0αを用いると,
次のようになります。
すなわち,dσ/dΩ
=α2(k'/k)2|u~(pf,sf)[ε'{1/(pi+k-m)}ε
+ε{1/(pi-k'-m)}ε'u(pi,si)|2
です。
これは,始状態,終状態で電子と光子が共に偏極している場合の
Compton散乱に対する微分断面積を表わしています。
ここで,準拠系では初期と終期に光子が横方向に偏極していると
して行列要素SfiCompを単純化します。
すなわち,εμ=(0,ε);εk=0,ε'μ=(0,ε');
εk'=0 とします。
このとき,piμ=(Ei,pi)=(m,0)なので,εpi=ε'pi=0
も成立します。
また,スピン行列γμの反交換性から,
piε=2piε-εpi=-εpi であり,
同様にpiε'=-ε'pi です。
そこで,自由粒子のDirac方程式から,
(pi+m)εu(pi,si)=-ε(pi-m)u(pi,si)=0
が成立します。
同様に(pi+m)ε'u(pi,si)=0 です。
また,kε=-εk,kε'= -ε'k です。
スピノル因子の寄与は,
u~(pf,sf)[ε'{1/(pi+k-m)}ε+ε{1/(pi-k'-m)}ε']
u(pi,si)
=u~(pf,sf)[ε'(pi+k+m)ε/(2kpi)
+ε(pi-k'+m)ε'/(-2k'pi)]u(pi,si) です。
これに上記の横波光子の性質を用いると,
-u~(pf,sf)[ε'εk/(2kpi)+εε'k'/(2k'pi)]u(pi,si)
と単純化されます。
これをdσ/dΩ
=α2(k'/k)2|u~(pf,sf)[ε'{1/(pi+k-m)}ε
+ε{1/(pi-k'-m)}ε']u(pi,si)|2に代入し,さらに
終電子spin:sfについて総和し初期電子spin:siについて平均
します。
すると,dσAVE/dΩ=(1/2)Σsi,sf(dσ/dΩ)
={α2/(8m2)}(k'/k)2Tr[(pf+m){ε'εk/(2kpi)
+εε'k'/(2k'pi)}(pi+m)]{kεε'/(2kpi)
+k'ε'ε/(2k'pi)}]
を得ます。
そして,トレース定理から,
Tr[(pf+m)ε'εk(pi+m)kεε'
=Tr[εε'k'(pi+m)kεε'(pf+m)
=Tr[(pf+m)εε'k'(pi+m)kεε'です。
以下トレースの途中計算を省略すると,
Tr[(pf+m){ε'εk/(2kpi)+εε'k'/(2k'pi)}
(pi+m)]{kεε'/(2kpi)+k'ε'ε/(2k'pi)}]
=2{k'/k+k/k'+4(εε')2-2}
を得ます。
結局,Compton散乱に対する有名な
Klein-Nishina(クライン・仁科)の公式:
dσAVE/dΩ={α2/(4m2)}(k'/k)2
{k'/k+k/k'+4(εε')2-2}
が得られます。
この2次のCompton散乱の断面積は,軟光子弾性散乱:
k=k'→ 0 の極限では古典Thomson散乱(トムソン散乱)の
微分断面積の公式:(dσAVE/dΩ)k→0=(α/m)2(εε')2
になります。
ここで,電子質量mに対しては,
α/m=e2/(4πε0mc2)~ 2.8×10-13cmですが,
これはいわゆる古典電子半径です。
また,散乱角θ→ 0 の前方散乱ではk→k'であり,低エネルギー
(k~0)だけでなく全てのエネルギーのkに対してCompton散乱
断面積が正確にThomson散乱断面積に等しくなることがわかります。
最後に,個々の断面積を終状態光子のspin(偏光)にわたって総和し,
始状態光子のspinについて平均すると,散乱光子が偏光していない
場合の断面積:dσ~/dΩを得ることができます。
それを得る手順は古典電磁気学における光の散乱と全く同じであり,
その結果を借りると,
dσ~/dΩ={α2/(2m2)}(k'/k)2(k'/k+k/k'-sin2θ)
です。
※(注18-1):kとk'のなす角がθのとき,一般に,
k^'=sinθcosφε(1)+sinθsinφε(2)+cosθk^と書くことが
できます。ただし,k^≡k/k,k^'≡k'/k'です。
また,ε(1)'=lε(1)+mε(2)+nk^;l2+m2+n2=1
とおけば.ε(1)'k^'=0 より
lsinθcosφ+msinθsinφ+ncosθ=0
です。
(ε(1)',ε(2)',k^')が右手系の正規直交基底をなすという条件
から,ε(2)'=k^'×ε(1)'
=(nsinθsinφ-mcosθ)ε(1)+(lcosθ-nsinθcosφ)ε(2)
+(msinθcosφ-lsinθsinφ)k^
です。
故に,全ての偏光(spin)にわたる総和:Σε,ε'(εε')2は,
(ε(1)ε(1)')2+(ε(1)ε(2)')2+(ε(2)ε(1)')2+(ε(2)ε(2)')2
=l2+(nsinθsinφ-mcosθ)2+m2+(lcosθ-nsinθcosφ)2
=1+cos2θとなります。
そこで,始光子偏光状態による平均としては,
(1/2)Σε,ε'(εε')2=(1+cos2θ)/2です。
ε=(0,ε),ε'=(0,ε')より(εε')2=(εε')2なので,
(1/2)Σε,ε'(εε')2=(1+cos2θ)/2 を得ます。
(注18-1終わり)※
微分断面積:dσ~/dΩ
={α2/(2m2)}(k'/k)2(k'/k+k/k'-sin2θ)は光子の立体角
Ωについて容易に積分されて全断面積σ~が得られます。
すなわち,σ~=(πα2/m2)∫-11d(cosθ)
{(k'/k)2(k'/k+k/k'-sin2θ)}
=(πα2/m2)∫-11dz[1/{1+(k/m)(1-z)}3
+1/{1+(k/m)(1-z)}-(1-z2)/{1+(k/m)(1-z)}2]
です。
これから,低エネルギー:(k/m)→ 0 では全断面積は
σ~~ (πα2/m2)∫-11(1+z2dz=(8π/3)(α/m)2となります。
これはThomson散乱の断面積です。
一方,高エネルギー:k/m>>1では,全断面積は
σ~~{πα2/(km)}{ln(2k/m)+1/2+O((m/k)ln(k/m)}
となります。
右辺の支配的な対数項は被積分関数の[]の中の第2項:
1/{1+(k/m)(1-z)}に由来します。
※(注18-2):ζ=1-zとおけば,
(πα2/m2)-1σ~
=∫02dζ{(1+kζ/m)-3+(1+kζ/m)-1
-(ζ2-2ζ)(1+kζ/m)-2}
=[{-m/(2k)}(1+kζ/m)-2+(m/k)ln(1+kζ/m)
+(m/k)2ζ-{2(m/k)2+(m/k)3}(1+kζ/m)-1
-2{(m/k)2+(m/k)3}ln(1+kζ/m)]02 です。
すなわち,σ~={πα2/(km)}
[{1-2m/k-2(m/k)2}ln(1+2k/m)+1/2+4m/k+(m/k)2
-(1+2k/m)-2] を得ます。
そこで,k/m>>1のとき,右辺の[ ]の中で(m/k)の2次の項を
無視すると,
σ~ {πα2/(km)}{(1-2m/k)ln(1+2k/m)+1/2+4m/k
-(1+2k/m)-2} となります。
故に,
σ~~ {πα2/(km)}{ln(2k/m)+1/2+O((m/k)ln(k/m)}
が得られました。(注18-2終わり)※
今日はここまでにします。
参考文献:J.D.Bjorken & S.D.Drell "Relativistic Quantum Mechanics"(McGrawHill)
どういうやむにやまれぬ理由か?はわからないが,自分の子供殺すくらい
なら オレにくれ。。育児ノイローゼコミで引き受けて,最後の命けずって育て
たるサカイ。。。
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