幸せの1つに出逢えたかも(天職か?)
今の仕事は,いまのところ,給料を貰わなくていいくらいの天職にめぐり逢えたと感じています。
しかし,カスミだけでは死んでしまうので,願わくは体が許せばフルタイム労働させて頂いて,時給として日々の糧を賄えるだけの手当てが欲しいです。
たとえば,金融機関ではなく好意で無利子で寸借詐欺みたいに借りているお金くらいは早く全部返したいですしね。
ところで,「井上ひさし」さん(享年75)に続いて「つかこうへい」さん(享年62)も亡くなられました。
冥福をお祈り致します。
今さらのことで,しかもつか氏には関係ないですが,つい思い出しました。
昔,井上ひさしさんと奥さんの離婚問題について話題が出たときに,若き頃敬愛していた作家:高橋和己の死後奥さんのやはり作家の高橋たか子氏が出した「高橋和己の思い出」を読んだ内容を連想したことを思い出しました。
彼女は,こわれてしまったと思えそうな自分の夫の自己中心で他人(奥さん?)の心を思いやる余裕がない行動,ある意味では彼の書いた小説とは正反対とも見える実像を赤裸々につづっていました。
こういうのは赤の他人が入る余地はないのでしょうが,つい先だって長門裕之氏がこわれた南田洋子氏の映像を全国にさらしていたのと同様,若干ですが私はムカっ腹が立ちました。
さて,話変わって一昨日の選挙の感想です。
あまり選挙がないのも考えモノですが,短い期間に何回も選挙があると学生の及第試験ではないですが,ケツが落ち着かないと思います。
試験ばかりだと,肝心の本分たる人民のための政策についてじっくり腰を据えて検討し論議することができず,政局や責任追求論議の方に目をとられて仕方がないのでは?と邪推します。
政治家というのは1人の"公僕=奉仕(サ-ヴィス)者=ご主人様(人民)のしもべ"ではあるのでしょうが,前にも述べたように,誰であろうとカスミを食って生きているわけじゃないです。
自分の生活の保証が無い,明日にでも路頭に迷ってしまうかも知れないというのでは腰が落ち着かなくて,まず自分の保身が先に立つだろうというのは人間ですから仕方ないと思います。
でも当選した片山さつき氏が「地獄を見た。」と会見されているのは,私の邪推かもしれませんが,ちょっとムカつきました。
あなたのおっしゃる"地獄"ってどんな地獄なんでしょうか。。。それは人には人それぞれあるでしょうが。
かつて,どなたの言でしたか?「金持ちには金持ちの苦労があるんだ。」というご発言を聞いたときにも,「そうした苦労がイヤなら金持ちやめればいいだけじゃん,それで死ぬわけじゃなし。」と勝手に思ったこともあります。
代議員以外は選挙しか政治に参加できない,しかもどんなに声が大きかろうとたったの1票という現在の代議制,選挙制そのものを疑問視しているので,それに共謀する共犯になることはずっと避けて生きてきています。
これは,40年以上も昔,まだ選挙権を得る前の年齢にアジテーションやデモンストレーションというプロパガンダ(情宣活動)や,すわり込み,(ハンガー)ストライキ.etc.のように,ごく偶にお上から下される投票機会にだけ"清き一票"を投じるよりも有効と感じられ充実感も感じられる社会活動,政治活動の洗礼を受けた影響かもしれません。
自分の是とする意見があって,それを主張したいならテロ行動をやれとはいいませんが,"これ=投票だけ"にこだわる必要ないと感じています。
もっとも,昔そうした投票以外のハデに見える"甘えた"活動ができたのは,日本という平和な国で,生まれたときにはふた親もそろっていて,自活で暮らしたとはいえ大学にも行ける余裕があったからです。
どこかの国のように娘の身売りでもしなければ飢え死にするという状況であれば,たとえば投票するだけという以外には"ヒマ=肉体的,精神的余裕"はないでしょうね。
まあ,上からの政治,あるいはマスコミ(所詮はスポンサー様のしもべ)による情宣が人々をそういう状況に追い込んでいるという意味もありますが。。
そこで,今自分に可能であって目指していることは上からの政治とは直接には関係ないことです。
つまり,たとえ偽善でキレイゴトであろうと,外野の目線は気にせず,募金を含むボランティア的な草の根活動です。
いかんせん,障がいがあって(甘え?)自分の世話もままならないのですが,「夢は持ってさえいればいつかはかなう。」のでしたよね。。。
| 固定リンク
「003. 日記・回想」カテゴリの記事
- ノーべル物理学賞(2021.10.08)
- コロナウィルスの自滅仮設(2021.09.22)
- まだ生きてるよ!!(2021.06.28)
- 71回目の誕生日です。 (2021.02.01)
- 学生時代の回顧(どこかの馬の骨の自伝))(2020.07.07)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント