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2010年7月11日 (日)

教会に行ってきました。

 小石川白山教会に行ってきました。

 日本基督教団の教会ということです。神父でなく牧師という呼び名なのでプロテスタントですね。

 白山駅からいつも上るゆるやかで長い坂が異常にしんどかったのは,やはり気温が高かったせいなのかな?時間に余裕あったので休み休みゆっくり進んだのでOKでしたが。。。

 10時半礼拝開始なのに10時15分頃着いて早過ぎたかと思いましたが,5分前までに着席ということで問題ありませんでした。

 念のため,以前,御茶ノ水を歩いてたとき無料で配っていたのを貰った英日対訳横書きの新約聖書(NEW TESTAMENT)(写真左)を持参して見せたのですが,もっと訳が新しいという日本語だけの縦書きの新共同訳の大きさ同じの新約聖書(写真右)を礼拝堂入り口で無料で頂きました。

 対訳は老眼鏡で見てもやっと読めるくらいでしたが頂いた縦書きは字が大きいのが助かります。

 もっとも,ちゃんと有料で買った新共同訳の全世界でベストセラーの聖書(旧約・新約)を持ってはいますが。。。ほとんど開いていません。

  昨日であれば,礼拝日ではないので無料のゴスペルコンサートとして入るだけだったのでは?と思ったのですが普通に教会員の方が多かったようです。

 2日とも謂わゆるオープンチャーチで今日は礼拝日として,後で聞いたところでは,非会員(新参者)は昨日22名,今日は私を含め26名ということでした。

 入場者数は見た感じでは全体でもこの倍くらいでしょうか?

 映像で見るのでなく,実際に教会に入ったのは高校の修学旅行での長崎以来で,礼拝は初めての体験です。目が悪いし,ブログ用の写真を取るという目的があったので中央真ん中よりちょっと前に座りました。

 やはり,まず天井が高いのに目が行ってしまいました。これは音響的には楽しみだなと思いました。

 舞台右肩で演奏の(パイプ)オルガンのきれいな音色と共に,当番制らしい司会の方によって礼拝が始まり聖書の本日の題目部分が読まれました。

 私も知っている有名な,「金持ちが神の国に入るのはらくだが針の穴を通るより難しい。」という部分でした。その直前には子供を祝福したという項目があってこの順番にも意味があることを後で教えてもらいました。

 立つことが無理な人以外は全員が起立して歌う賛美歌の歌詞がわからないので突っ立ってじっと聞いてると,後ろから老婦人(スタッフ?)が愛星幼稚園のロゴつきの賛美歌本を貸してくださいました。

 そこで,賛美歌312番とその後の461番は無難に歌いました。

 立って朗読するアーメン(さぞあれかし?)や主の祈りはいいとしても,使徒の誓い?でしたか?イエスが三日後によみがえられたのを信じます云々の信じますというくだりは,私は求道者でも洗礼を授かった信者でもないのでウソを言うのは嫌なため,口をモゴモゴしてました。

 いずれにしろいい経験でした。教会の敷居,少しは低くなったかも。。

 やはり,昔の使徒行伝の時代とは違って,統一教会や「エホバの証人(ものみの塔)」がやってるように向こうからセッセと布教してまわる金集めのカルト教団では無くて,異端でないキリスト教はこちらから積極的に門を叩くべき狭き門なのですね。

 後で献金もまわってきましたが,私は1円にも泣いてる日々で(食って寝るだけで満足すればいいのに。。好きな本(専門書)や酒に金を使わずにね),無料というから入ったのですから,これは正直に遠慮しました。

 牧師さんだってカスミを食べてるわけじゃないでしょうから,余裕あれば神社のお賽銭のように少しはお礼がしたかったのですが。。

 代表者のお礼の言葉は予想はしてましたが,やはりほんの一部を神にお返しするというようなセリフでした。

 細川牧師の「一生の出会い」という本日のテーマは,「イエスとの出会い」という意味でした。これを聞いただけでも本日来たかいがありました。

 "らくだが針の穴。。"の部分の誤解が一つ解けたからです。

 今までは,「金持ちが神の国に入れない。」というのを,「私のように日銭は無いながらも生まれつき飽食の日本人として生まれたことも含め,文字通り日々食べていく以上の余分な金を持った"金持ち"が神の国に入りたかったら,お金を全部を捨てなさい。」という意味と解釈していました。,

 つまり,私の2009年5/15の記事「カルネアデスの舟板」の内容と同じ意味だろうと思っていました。

 すなわち,新約聖書の別の箇所の「愚か者よ,お前は今夜召される。」とか,「神と富(マモン)の両方に仕えることはできぬ。」などと同義と解釈してました。

 しかし,お金に限らず,"財産=各自が命の他に?最も大事にしているもの全て"(=私ならライフワークの物理,数学や雑学の思想,哲学,趣味の将棋,人助けをしたいという思い上がったエゴの気持ちetc)を捨てろという意味ですね。

 つまり,(神よりも)愚かな人間の考えなどは捨てて,すぐ前の項目の子供が親に甘えるごとく,全てを神に委ねることが解放される,救われる,あるいは死後に復活する道である,「全ての他のしがらみを捨てて私に従いなさい」ということを意味しているらしいです。

 イヤー,自力本願は全部捨てて完全にイエス(神?)に頼るべきという意味であって,イエス後のペトロ教皇以下の宗教,信仰が本当に聖書の中のイエスの意図するところ,イエスの計画かどうかはわかりませんが,確かにこれは人が真に解放される道の1つでしょう。

 私は,不遜にも面白いとは感じましたが自身は今のところエゴを捨てられないし捨てようとも思えないので無理ですね。

 確かに,頬をぶたれようが自己主張をせず,我慢しろという意味にも取れますから,社会革命が必要であると考える輩にとってはその意味で「宗教は人民のアヘン」となるのでしょう。←古るーい。。

 ところで,私がこれまでに把握していた聖書の内容として実際に読んだものは,退屈な聖書そのものでなく,解説書的物語的なものです。(ヨハネ黙示録だけはわからないなりに原文のみですが。。)

 ,主として読んだのは,まず文庫本の「聖書物語」と犬養道子著の「旧約聖書物語」,「新約聖書物語」,および翻訳本の「小説 聖書(旧約篇)」,「小説 聖書(新約篇)」,「小説 聖書(使徒行伝)」です。

 最後の3冊目の使徒行伝は,いつの頃か?心臓病になった頃かな?何らかの理由で途中読みかけのままになってます。

 まだ,パソコン通信時代のニフティサーブの「FLORD(キリスト教フォーラム)」か「FBIBLE(聖書フォーラム)」の会員時代にプレゼント応募して抽選で七十人訳聖書(ギリシャ語)の,さらに邦訳の「創世記」が当たったので送って,頂いたものもまだ大事に持っています。

 ただし,これらを読んだ内容は例えば新約ならマルコ,マタイ,ヨハネ,ルカ,あと何だっけ?の何番であるかとかの細かいことは知らないけれど,例の「忘れない病」という頭の病気のせいか,90%以上を記憶しているので,ブログでも不正確ながらときどき聖書の言葉として引用しています。

 その他,興味が湧くことに神学的解釈も含めて資料を読み漁ったりしています。例えば,心の貧しきものと貧しきものの違いは?とかです。

 FLORDの会議室を読んでいた当時,「心の貧しきものというのは欲がないという意味ですか?」と質問したら,「面白い解釈ですが少し違うのでは?」というお答えでした。

 「心の貧しきもの」というのは物質ではなく霊的な意味で貧しくて求めている人,卑近な表現では愛に飢えていて霊,主を求めるものという意味らしいです。でも聖書の福音の別の部分では,"心の”抜きのただの「貧しきものは幸いである」という表現もありました。

 これは普通の「物質的に貧しい方が神の国に迎えられるので幸福である。」という意味でしょう。福音は一度でなく何度もあったのでしょうね。。

 私は別に,信仰をしているわけではなく,聖書,キリスト教は純粋に好奇心,興味の対象なのです。こんな興味深いものに探究心が湧かないわけがない。 

 映画も「サムソンとデリラ」,「十戒(C.ヘストン)」,「ゴルゴダの丘(ジャン・ギャバン他)」,「奇跡の丘」,「偉大な生涯の物語」,「ベンハー(C.ヘストン)」,「ジーザス・クライスト・スーパースター」,「最後の誘惑」「パッション(メル・ギブソン監督)」etcの聖書が源のもの,

 それに,十字軍の頃のアッシジの修道士の祖:フランチェスコ(フランシスコ)や修道女の祖:キアラ(クララ)を描いた「ブラザーサン・シスター・ムーン」↓

  

 そして,ミッキーーローク主演の同じテーマの「フランチェスコ」など,

 それに,関連した,魔女裁判モノかな?「ジャンヌ・ダルク(リュック・ベッソン監督,ミラ・ジョボビッチ主演)」や,ペンシルバニア州のアーミッシュのような教団の話「ヴィレッジ(シャマラン監督)」(2006年11/22「思い出し泣き(その2)」参照)etc.

 そうそう肝心な「天使にラブソングを」も見ました。同じウーピーの「カラーパープル」も見たけどこれはクリスト教の映画じゃない。。。

 音楽では,ヘンデルの「メサイヤ」,モーツァルトの「レクイエム」,フォーレの「レクイエム」,グリーグの「ペールギュント」etc.,

 小説ではSF異端モノが中心ですが,斉藤栄「イエス・キリストの謎」,マイケル・コーディ「イエスの遺伝子」,「最後の。。」そして,最近のダン・ブラウンの「ダヴィンチ・コード」,「天使と悪魔」etcも鑑賞しています。

 肝心のコンサートですが,ソプラノの河村靖代さんとピアノの鳥原和代さんはキリスト教的意味ではなく本当の姉妹でした。

 彼女たちによる歌唱は美しい日本語訳の歌詞の賛美歌らしいものでした。たった数曲でしたが生のソプラノの声感動しました。。来て良かったあ。。

 

 ただ,これらは本当にゴスペルなの?と私は感じました。

 もっともゴスペルは奴隷当時のアメリカの黒人が唄ったものという以外に明確な線引きがあるの?ということさえ,私は知らないのですが。。どうも明るすぎると感じただけです。

 例えば,ジャズなら私なりのブルースの概念があります。

PS:7月12日(月)早朝です。スペイン優勝おめでとう,決勝を夜中の3時半から見る予定でしたが珍しく疲れて朝まで寝てしまいました。

 ゴルフの全米女子オープンは朝方に見ましたが。。解説のアヤコさん相変わらずカワイらしい!って関係ないか。。。

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003. 日記・回想」カテゴリの記事

コメント

Just hear me out!
If the Universe is God then we can say safely we are the parts of God.

投稿: 凡人(Layman) | 2010年7月13日 (火) 21時43分

どもT_NAKA7さん。TOSHIです。

 私も学としての神学,聖書学への興味があるだけです。

 日本の古事記,日本書紀,風土記,あるいは仏教や私の母校の金光学園の金光教を含む特に大本教などの新興宗教,法華経,般若心経

 その他世界史,日本史への何でも見境ない興味とほぼ同じです。

 頭でっかちなので素直な信仰心を持てそうにありません。持てたらシアワセになれるんだろうなあ。

 歴史,特に考古学的なものは正統派より異端,SF的いわゆるトンデモ解釈のほうに興味あります。

 トンデモといっても自然科学じゃないし実験的な検証はむずかしいですからね。

「イエスのミステリー」持ってますよ。バーバラ・スィーリング女史でしたか。。

「死海文書」と「クムラン」関係は,その他,「イエスの秘密」etcそして最近J.キャメロンの「イエスの棺」を買って読んでます。

 だいたいイエスの神性を否定して人性を描いたものは「最後の誘惑」に似てますね。

             TOSHI

投稿: TOSHI | 2010年7月13日 (火) 03時41分

私は宗教というと仏教しか知らないので、あまり正確なことは言えないのですが、「イエスのミステリー」という死海文書を扱った本に出てくるエッセネ派の「義の教師」の話が「最後の誘惑」に似ていると思いました。
ここら辺に歴史的イエスの謎があるような気がします。またエリエット・アベカシスの『クムラン』というミステリー小説も同じようなことを書いているようです(未読なので受け売りですが)。さて、このエッセネ派クムラン宗団は自分たちのことを“貧しき者”と呼びあっていたとのことです。
まあ私は不信心者なので、神学的関心よりも単なる興味でしかないですが、記事を読んで思い出したので、コメントしてしまいしました。ちょっと内容と外れているかも知れませんから、無視していただいて構いません。

投稿: T_NAKA | 2010年7月12日 (月) 11時57分

Your God is always playing dice games, isn't he?
Therefore I guess your God can't afford to remedy us.

投稿: 凡人(Layman) | 2010年7月12日 (月) 00時44分

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