« 場の量子論における摂動論(3) | トップページ | プルーム上昇のモデル式(1) »

2010年11月25日 (木)

日々是れしあわせ(夢の途中)

 現在,右目の視力が落ちてときどき柱にぶつかるような状態ですが,何故か前よりも食欲があります。(10月に撮った内臓MRIでは写っていた肺の水が去ったのかも知れません。)

 血糖値が下がってきて空腹を感じることは倖せですが,その空腹を満たす糧が乏しいのも困ったものですね。

 眼底出血で10日も過ぎたので,当面は左目だけで十分ですがどこか眼科にかからないと右目あぶないな。(10年ぶりのレーザー治療?)

 思えば21年ほど前,糖尿病で1ヶ月あまり教育入院したのをきっかけに,普通の会社員生活に別れを告げて自分の夢に邁進する道を取ってフリーになったのは1つの正解でした。

 そのまま,同じ生活を続けて,おそらくは普通に妻子を得て暖かい家庭を築けるかどうかわからないけど,それを目指すのももう1つの正解だったでしょう。

 もちろん,それらの両方とも掴めるようなゼイタクな道を得られたらもっと倖せでしょうが。。。

 私の能力では後者の生活を採っていれば恐らく,20代からの夢については忘れていて今の状態とは程遠かったでしょう。

 もっとも,残りわずかな命であろう現在でも道の1割も進んでいるかどうか?という状態です。しかし,ともかく20年程前に再びスタートラインに立って迷いながらも進んでいます。

 夢は夢,かなわないでしょうが,体は病気だろうが貧乏だろうが,今も夢の途中にいることが倖せです。

 いや,どこかの国の民のように自分のせいでもないのに住む家も何もなく飢え死にしたりすることを思えば,何たるゼイタク,何たる余裕なんでしょうか。

 私が実存的な夢を実現することが,誰かほかの人々の癒しとなり倖せをもたらせるならもっと倖せなのですがね。

 イチローのようなスポーツ選手やミュージシャンetc.になる夢であれば,自分の夢をかなえてエンターテインメント,パフォーマンスを発揮することが,そのまま少年少女や多くの人々に癒しや倖せをあげること,多くの人々を抱きしめてあげることに繋がると思うので,そういうのはうらやましいですね。

PS:なにげに,かつて大学のトイレなどで見かけた落書き文の傑作を思い出しました。ノドカでしたね。

 川柳でしょうか,「急ぐとも...に手を添えて外にもらすなアサガオのつゆ」とか,「汝,カミに見放されしときはみずからの手でウンをつかめ」とか,

 「前を見ろ,右を見ろ,左を見ろ,後ろを見ろ,キョロキョロするなバカ」,これはこの順番だったかな?前には右を見ろと書いてあり右を向くと左,左向くと後ろというように順に書いてありました。

 それと,「トイレ(便所)とは空想と思考をするところである。」だったかな?

 まだまだあったみたいですが思い出せません。

PS2:孤独だが自分だけが独善的に自由に生きる道を選んだため,自分を養うことがやっとで,特定な愛する者たちを持ち,守ってあげられる対象があってそれらに束縛される喜びを失なってしまった。

 生きがいはあるが,寂しい長い道だ。。。。

(アクセス数が45万超えたようです。)

|

« 場の量子論における摂動論(3) | トップページ | プルーム上昇のモデル式(1) »

003. 日記・回想」カテゴリの記事

コメント

TOSHIさんは、現代世界の中で「しあわせ」な気分にひたる事が出来て、とってもうらやましいです。

投稿: 凡人 | 2010年11月27日 (土) 11時00分

「自由の裏側は孤独」と言いますからそれで良いじゃぁ、あ〜りませんか?
オイラも経済的や社会的には自由で豊かですが、お利口さんの選ぶ小市民的家庭などとは縁遠く、世間から観ればトホホですが、自分の運命の主人は自分ですもの、自由の代償に孤独なのは、しゃぁないですわ。

投稿: ガンジー | 2010年11月25日 (木) 22時22分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/71281/37829391

この記事へのトラックバック一覧です: 日々是れしあわせ(夢の途中):

« 場の量子論における摂動論(3) | トップページ | プルーム上昇のモデル式(1) »