« 赤外発散の初期論文(2) | トップページ | 赤外発散の初期論文(3) »

2010年11月 6日 (土)

カルネアデスの舟板。。。再び

 2009年5月15日に書いた「カルネアデスの舟板」を再掲します。

 要するに,ブログの手抜きです。。。

 
丁度,今旬の話題:中国との尖閣諸島問題,ロシアとの北方四島問題。。

 こうした領土問題が生じたとき,私も含めてよくキレイゴトを言います。

 「そんなのみんな地球人だし別にどちらの国に帰属しようが関係ない。

 別に分け合って仲良くやればいいじゃないか?」という風ですね。

 ジョン・レノンも「イマジン」で似た内容の歌詞を書いています。

理想的にはその通り人間同士仲良くすればいいと思います。

 しかし,現況は食糧の話だけでも世界じゅうの人全員が食べられる

ような理想的社会ではないので,これは悪く言えば「金持ちケンカせず。」

という発想でしょう。

 また,少しはずれるけど,「衣食足りて礼節を知る。」も当てはまる

でしょうか。 

 末端でも飽食している日本という,国内では,ホームレス
になっても

すぐ飢え死にまではしないと思います。

 そこで,「カルネアデスの舟板」が連想されたのです。

 中国という国は日本の10倍の13億人も食べさせていかなきゃならない。

裕福な少数を別にすれば大変だなあ,とか,下司の勘ぐりが働いて。。。

 無人島のようになにもない場所で空腹で死にそうな2人の目の前に

おにぎり1個以外にまったく食べるものがないようなとき,仲良く半分こ

にしますか?

 イヤイヤ,「君とだったら一緒に死のう。」という方もいらっしゃる

でしょうから答を強制はしません。これはあくまで譬えです。

 もっときびしい例でもいいですよ。

 
※さて,以下,再掲記事です。

 「究極の選択」,あるいは「正当防衛」の例として「カルネアデスの舟板」

というのがあります。

 概ね次のようなものですね。これはこの通りの題名の松本清張氏の

著書もあります。

 「1人の人が1枚の舟板をつかんで,かろうじて漂流しながら生きている。

その板は2人が乗ったり,つかまったりすると沈んでしまうけれど,1人だけ

ならつかまっていても沈まないので,彼はそれにつかまっていれば生き

延びられる。

 ところが,そこへもう一人の人が流れてきて,その舟板につかまろうとした

とき,どちらかが相手を蹴落として1人だけ生き残った場合,生き残った側

の相手を蹴落としたという行為を罪に問うことが出来るだろうか?」

という問題です。

 普通の民主的な地域での裁判であれば,彼は「正当防衛」とされて

無罪放免とされるはずです。カンダダ(蜘蛛の糸)にも似てますね。。

 これを初めて知った昔から,私の頭の中に何故かこの課題が残って

いるのは,相手を蹴落とすという話とは逆のことで,,偽善と慈善の判別

に関連していて,自分を犠牲にしても他人を助ける行為の方です。

 カナヅチに毛の生えたような自分ですが,相手を殺して生き残るのは

確かに世間の評価では無罪であっても,私にとっては有罪と思うので,

できたら左の頬も差し出したい。という気分なのですね。

 自分が飢え死にするのを覚悟で,微々たるものでも財産の大部分を

施すのが慈善,2人以上つかまっても大丈夫だからとつかませる余裕

の部分を施すのは偽善に近いかな。。という意味です。ま。。どうでも

イイ話ですが。。。

PS:いや,実は慈善,偽善よりもっと大きな描像である「食物連鎖」,

あるいは「弱肉強食」のことも考えていました。資本主義経済で

言うなら単なる「自由競争」ですが。。。  (キリスト教なら原罪?)

 舟板が大きく立派で漂流者全員がつかまっても沈まない。。。。

国全体,イヤ地球全体(全世界)に全員がつかまって生きていける程

の十分な「生産性(食糧,衣,家など)」があれば本来振り落とされて

沈む人はいないはずなんですが。。。
(再掲終わり)※

 日本も北欧型の高税金の福祉社会をまねるといいのでは?という

ご意見もありますが,北欧諸国の総人口を調べると,ノルウェー:463万人

スウェーデン:904万人,フィンランド:525万人,デンマーク:543万人,です。

 これらの国の総人口は東京都の人口よりも少ないくらいですね。

 また,国土の面積もデンマークを除けば,日本よりもはるかに大きく,

人口密度は1km四方当たり342人という日本を基準にすると,ノルウェー

では,その3.5%,スウェーデンでは5.8%,フィンランドでは4.4%くらいで

日本の1/10以下,デンマークでも36.5%で日本の4割以下です。

 なので,日本のように何でも行列ができて混むようなことはないはず

です。

 人口の規模だけを見ると,東京や大阪くらいなら日本でもすぐに可能

かと思える施策ですが,,現実的に生活活動はそうした規模が何倍fで

あろうと同じというような相似形ではないため,国同士の人口規模の

違いを考えただけでもすぐに当てはまるかどうかは疑問です。

 ついでに,似た話で2009年1月6日の記事「平等と悪平等」から。。

※以下再掲記事です。

 税金の配分に関して,昔読んだ新約聖書の話を思い出しました。

 イエスの説教を聴くために集まった恐らく食べるのにも不自由している

であろう大勢の貧しい人々に対し,説教の途中でイエスが使徒達に「聴衆

にパンを配ってやれ。」と言うのです。

 使徒たちは,「主よ,全員に行きわたるほどのパンはありません。」

と答えます。イエスは奇跡を行う人(神の子?)ですから,どこからかパン

が湧いてきて(イヤ湖でペテロが取った魚?)全員に与えたというような

話ですね。

 まあ,旧約聖書でも,エジプトからモーゼが大勢を連れ帰ったものの

全てを失って不毛の地に帰ったわけですから,たちまち食うに困って,

民衆は逃げてきた苦労も忘れ,「少なくとも生業を持っていて食うには

困らなかったエジプトにいた方がましだった。」などとモーゼに恨み言

や不平不満を言うのです。

 しかし,実はそれから約40年間は食べていくスベは無かったにも

関わらず,天から"マナ"という恵みの"神のパン"がずっと降ってきた

ため,人々が飢えをしのいだという話もあります。。

 イエスは,カナの婚礼で母親マリアのために,唯一個人的にやった

奇跡:「ぶどう酒の奇跡」とか,元々漁師であった使徒が池に網を打って

上げると中には持ち上げられないほどの大量の魚が入っていて,

それを聴衆に分配したこともありましたね。


 聖書にこと細かくは書いてはいないけれど,こうした食べ物について
の奇跡はたびたびあったらしく,説教の内容だけでなく食べ物がもらえる

というのもイエスの人気の背景だったでしょうね。

 このように全員が空腹をしのげるほどのパンや魚があるなら,実際に

平等ということを全う(まっとう)する際に何の問題もありません。

 しかし,何百人も聴衆がいて,もしもパンが数個しかなく増やす魔法も

ないなら,平等であるからといって,1個のパンを百分の一にして全員に
配るとか,あるいは,おにぎりであったとしたら,ゴハン粒を1粒か2粒ずつ

配っても,誰一人として満足を得ることはできないでしょう。

 こうした行為は確かに平等なのですが,「悪平等」と呼ばれますね。

 何百人も空腹な聴衆がいても,例えばおにぎりが10個しかない場合

には,その行為は平等ではないので,クジがはずれたとかでその他の

貰えない大多数は不満でしょうから,彼らには罵られることを承知で,

10人だけを選んで彼らに特別に1個ずつ配る,または1個を半分ずつ

2個にして20人だけに1個ずつ配った方がはるかにましでしょう。

 選挙で落ちるとか多数に罵られるのがイヤで,私から見ればアホで

不毛ですが,あくまで八方美人を通して平等な行為を実行するという

手もあるにはあるでしょうがネ。。。

(再掲終わり)※

 以上,よくやる手抜きでした。。。

|

« 赤外発散の初期論文(2) | トップページ | 赤外発散の初期論文(3) »

006. 社会・経済・政治」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: カルネアデスの舟板。。。再び:

« 赤外発散の初期論文(2) | トップページ | 赤外発散の初期論文(3) »