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2011年1月 3日 (月)

久しぶりの雑感

 個人であれば,各人とも実存的人間と社会的人間(平たく言えば自分の利益追求(エゴ)と他人の利益(公益)への奉仕)の両面があって,対立しやすい両面のどちらを重要視するか?で価値観が大きく左右されます。

 しかし,仕事以外の家庭人である場合ならともかく,政治家(屋)や公務員(役人)は,仕事そのものが本来社会的であるにも関わらず,仕事中でも自分と人民(国民,市民etc.)の2つの"ご主人様"に仕えて諸刃の剣?に苦慮していると見えるのは困ったものです。

 家庭に帰ればともかく,少なくとも建前では仕事中は(民の幸福)>(自分の利害)でしょう。

 たとえ自己の現在的利益が消滅することになっても,その他大勢の利益に奉仕するのでないなら,所詮100年に1度の危機など解決できるはずもなく,ただ嵐が過ぎ去るのを待って息を殺してやり過ごすだけなら無政府の方がましです。

 しかし,マスコミ会見などに見られる建前の上でも,(自分>民)という価値意識が見え見えで前言は平気で撤回するし責任は極力回避してメンツとか自己保身に汲々としてる様は明らかです。

 まるで,酒乱でもあるかのように昔なら非難されたであろう明らかにムチャクチャなことばかりやってるのに,この状態がそのまま続いてるのはとても不思議ですね。(← 傍観者,評論家モード)

 話は変わって,諸刃の剣で思いつきましたが世間の事物は全て諸刃の剣のようなものですね。

 極端な話,今は年を取ってかなり失われましたが,"五欲=(飲)食欲,睡眠欲,色欲(性欲),財欲,名誉欲"などはなければないほうが幸せということもあります。

 神様,仏様,天使,天女とかにはこういう煩わしいものはないんでしょうね。

 人間の諍いや精神の葛藤とそれによる戦争,疾病,犯罪などは全てこれらの欲から派生しますから,そういう意味では,欲がなくて悟りきった仙人のような状態なら人は幸せであるというべきかも知れません。

 しかし,生き物である人間は飲食しないと死んでしまうし,睡眠もまた然りです。色欲(性欲)がなくなると人類は子孫がなくなって滅びるでしょう。

 これらは本能と呼ばれるものに根ざしています。(← 神が種が滅びないよう授けてくれたものでしょう。)

 私は,むしろ,今ではもはや失って取り戻すこと不可能な"旺盛な五欲に溢れていた若さ"に憧れています。

 無用と思われる,やはり欲に根ざすであろう羞恥心とかがなければ,私の若い頃中心の精神的長患いもなかったでしょうが,にも関わらず羞恥心もないような枯れたオジタリアンと化したくはないです。

 諸刃の剣であることを承知でその剣を持ちたい気分ですね。

 たとえ煩わしくても欲があるからこそ人間です。

 痛み,悲しみ,苦しみもあるけどだからこそ歓び,喜びもある。何も感じない悟り切った仙人になるなどは棺桶に入った後でいい。

 この世は飲ん兵衛が引き受けた。あの世はあんたにまかせたぜ。。( ← 京山幸枝若が唄う「浪花しぐれ!!,桂春団治」のセリフから、、)

PS:ふと,私が40年くらい前の学生運動時代に身分差別問題をカジるために読んで今も所持している井上清著「部落の歴史と解放理論」に書いてあった「矢田事件」(矢田教育差別事件)を思い出しました。

 かつての大阪市教組の,"同和教育は進めたいが,それにより教師の負担が増えるのは困る。"という話で,これが原因で「解同」と「共産党」が袂を分かったのが「矢田事件」ですが,これなども諸刃の剣ですかね。

 こうした話には「狭山事件」の石川一雄さんの話も含め,ここ20年以上も能動的に関わってはいませんが,今もまだ風化してないのでしょうね。

(2006年6/9の記事「狭山差別裁判」を参照 ← 石川さん仮釈放時のビデオは"旧マル中"の知り合いから譲り受けて今も所持していますが。。)

PS2:年末の12/28に元女優の高峰秀子さんが肺がんで亡なくなられてたんですね。年末のドサクサで今日(4日)まで知りませんでした。 

 享年86歳ということですから私の母(90歳)と同年代です。

 母が好きだった木下恵介などのテレビでの作品で何度も見ているはずですが,私にはあまり印象はなく,美人で知的で昔風の非のうちどころのないスターというイメージしかありません。

  

 ご冥福をお祈りします。

 アリャリャ。。若い嫁さんもらって74歳で長女ができて故:上原謙の記録を破って元気なのに注目していた歌舞伎の中村富十郎さんまで亡くなりました。

 まだ81歳です。子供が成人していませんよ。。

     

          合掌!! 

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005. 心身・思想・哲学」カテゴリの記事

コメント

にせものの天国に酔いしれる人と言うものは
かなりいて、なかなか、その事に気付くのは
難しいようです

やはり、地獄からしか見る光しか
真に光り輝くものではないのですから

そして、その地獄を地獄と思うようでは
光など、全く無い、ただの暗闇でしか無い
のですから。。。

私は、地獄というものが
そのままで、天国と等価なものと考えます

投稿: like-mj | 2011年1月 3日 (月) 13時22分

ですが、また
地獄に出会いたくて出会う人というものも
いないというのも、また真実であると思います

無理矢理、地獄に叩き落とすのも
おもしろいかも知れませんが
待っていても、地獄など向こうから
やって来るので、心配ご無用です

つまり、どんな人であれ
どんな金持ちであれ、どんな名誉ある人であれ
いづれは死んでしまうのですから。。。
その時点で、幸せであるのが
一番だと、そう思います

投稿: like-mj | 2011年1月 3日 (月) 13時13分

ほとんど欲とは無縁のTOSHIさんが
おっしゃるからコソの
欲あってコソ人だという意味は重要であって

つまり、欲の中に身を置かずに
欲に突き動かされる人と真に向き合う事など
不可能だというように思います

つまり、天国などというものは
地獄のど真ん中にしか無いという事です
でも、こうした過激な考えは
中々、一般には受け入れられないでしょうね


投稿: like-mj | 2011年1月 3日 (月) 13時04分

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