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2011年6月23日 (木)

日々雑感

 昨日は,帝京大病院で退院後2度目の検診を受けました。

 前夜,手話講習後,まっすぐ帰宅して大人しく寝たので,普通に起床して9時50分には病院の受付が終わりました。

 超音波では網膜剥離は見られず,眼の硝子体の代わりの液体はだんだん澄んできてあと1ヶ月くらいで見えるらしいです。

 10時半,診察終了後,入院していた7階のルーフガーデンにまた行ってみましたが,もうカルガモの親子はいなくてそこらの患者さんに聞いてみても元々いたことさえ知らない様子でした。

  カルガモの代わりに庭園の子供の遊び場や紫陽花など撮ってみました。     

    

     

        

     

 午後は普通に出勤しました。

 以下は,余談というか雑感です。

 私は,棺桶にほぼ両足を突っ込んでいるという諦めの境地や無常感,そして現在の錯綜した種々雑多な価値観に対して,昔から抱いている「価値自由の原則」(各人がいかなる価値観を持とうが自由であり,他人である自分には自己の領域を極度に侵害されない限り,それを云々する理由などない),

 絶対的な価値観,倫理観も存在せず,いずれの価値意識も宗教でなく哲学が目指しているであろう「人間の幸福」にとっては諸刃の剣であり,自分を含む神でない生身の人間にとっては不可知であるという理屈を付けて合理化,あるいは逃避して斜にかまえているような自分がいます。

 人生を「どうせ僅か100年足らずの大いなるヒマつぶし」と嘯き,真面目な行為をもイイカゲンに過ごし,挙句自分自身をも茶化すような荒れた精神状態に甘んじるだけでなく,少しは"人間的な,あまりにも人間的な"部分を露呈して自省をしないと感情が枯渇しそうです。

(↑自分がそんな状態でも他人を巻き込むなよ。>自分)

 ただ,スケベな思いだけは残っているので,それが原動力(リビドー)となって何らかの感情が動くことを期待していますが。。

PS:ベッキーや三船美佳などにも感じていることですが。。

 いい人で美人なのですが,若いのに女性を感じない加藤ローザもやはり女だったみたいですね。。。(女性を感じないのは私特有の感覚かも。。。)

PS2:「沈黙は金」「雄弁は銀」これが述べられた時代は確か銀>金という価値だったような?ただし駄弁のタグイの多弁は雄弁ではないです。

 私の多弁は,かつては「,強迫観念」に起因するものでした。

 部屋にいても全く音のない静寂に耐えられず,在居しているときは,つい眠ってしまったときでなく本格的に寝るとき以外には,必ずしも見るわけでもないのに常にテレビをつけるとか,音の出るものをバックグラウンドとしています。

 もちろん,まだ誰もいないのに,自分でじゃべるという程のことはないです。

 まあ,ときどき気分転換にネット将棋を指しているときは我を忘れてつい大きな独り言を言っていることが多々ありますが。。

 別に,長い都会暮らしの喧騒に慣らされたせいではありません。

 かつて,19歳のとき初めて親元を離れてアパートで独り暮らしを始めた頃,当時は学生貧乏でまだ高価だったテレビもなく,誰もいない部屋の中の静寂にホームシックに似た感情に襲われていましたね。

 そして,新しく引っ越すたびに同じアパート内やその周りに行き来できるような知り合いも行きつけの店もなくなって,同じ寂しさを感ることの繰り返しでした。

 その後,例えば何かの面接などで,人が何人かいても初対面ばかりで誰もしゃべらず,シーンとしている状態では,大抵これに耐えられず言いだしっぺになることがちょくちょくでしたね。

 誰もしゃべってない静寂状態に自己の精神の平静さを保つことができず,自分で勧んでというわけでなく,誰かに無理やりしゃべらされているという感覚,これがシャベリの「強迫衝動」の1つです。

 こうしたことが何度もあって多弁のキッカケになったと思います。

 これはキッカケであって,今は別に「強迫衝動」のためではありません。

 かつては,こうしてしゃべるとテンションが上がり,その無理な状態を続けると精神が疲れて,その反動で後で異常に落ち込むという悪循環もありました。

 今はそうした病気ではなく,多弁であろうが沈黙であろうが,めったにテンションは上がるとか下がるとかの変化はありません。

 多弁行為をやってもほぼ平静なままです。沈黙の方がやや疲れるくらいでしょうか。。。

 躁鬱的な病気との境界は周囲から見ていると微妙なものでしょうが,その差は歴然としていてこれは本質的です。(←わかっているのに躁鬱的多弁に手を貸すのもどうかと思いますが。。。)

 犯罪行為でも心の中で考えるのと実行するのとでは]雲泥の差があるというようなものです。。。例えば痴漢行為とかね。。。

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003. 日記・回想」カテゴリの記事

コメント

この「私」は一つの夢です。

この夢の中に限れば、その論理や物理に従って「私」の成り立ちを因果的に記述できるかもしれません(:因果的還元論)。しかし、この夢の論理や物理に囚われているこの「私」にとって、この夢を、この「私」を支えている実体はどこまでも不可知です(:不可知論)。

そこで、「私たち」はこの夢の論理や物理に従って「私」の成り立ちを因果的に記述することに専念するでしょう(:科学)。そして、「私たち」はその研究の果てに精神のアップロードによる不死や永遠に陶酔し続ける者への切符を手に入れるでしょう(:工学)。ところが、所詮それらの切符はこの夢の、この「私」の永続を保証するものではありえません(:哲学)。

この世は、この「私」は一つの儚い夢です。儚いからこそ美しく美しいからこそ愛おしい一つの夢です(:芸術)。

投稿: TimeComm | 2011年6月23日 (木) 08時49分

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