青春の尻尾
41年前。。。その3月20歳になって1ヶ月後の頃。。。青春の1ページ。。。
千葉県成田,三里塚芝山連合空港反対同盟。。プロレタリア学生同盟(プロ学同)下部組織赤色戦線の一員として。。。
トビ職の松本の屋根屋さんの家。。農家兼業。。
農家といっても不毛な関東シラス台地を開墾した畑。。取れるのは落花生やイモ。。この土地を強制的に取り上げて空港にするという。
私は昼間慣れない手つきで,大きな落花生の皮むきなどして援農。。
夕食は思いっきりショッパイおしんことご飯と味噌汁。。。
奥さんはまだ30歳前後くらいでお子さんはいなかった。。。
お風呂をいただいてるとノックもなく入ってきて「湯加減どうだかね。」と。。
モンペをはいてる姿。。。
まだ,初(うぶ)であわてた私を見てケラケラと朗らかに笑う。
夜,暗くてコワイ庭のポットン便所に行く。お尻を拭くのは縄か新聞紙。。
春休み中,そこにいたため,教員免許の単位「憲法」の再試を受けられず。
結局,大学で高校の教員免許は取らなかった。(少し心のこり。。)
その5月は確か「牧の原」のお茶工場で徹夜で新茶作りのアルバイト。。
何故か昼間はゴロ寝で夕方から朝まで女の人が畑からお茶を摘んで90kgのカゴをかついでくるたびに,ひっくり返し,足で炉にカキ入れ続けるような作業。。。
イブす熱気で暑い。。。 まだまだ元気だったなあ。。
私の20歳はオンナのコとデートしてアソんだというような記憶は全くない。。
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コメント
そうでしたか。
方向は違いますが同じような青春でしたね。
かけっこ(陸上)に夢中で、母校で教育実習をしましたが、不勉強で県の採用試験はダメでした。日本史の先生になって陸上部の監督になるのが夢でした。
投稿: ミハッチ。 | 2011年7月 8日 (金) 17時46分