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2011年8月14日 (日)

久しぶりの雑感

 落ち着いた気分になってきたし少しは私の本分たるものをやりたいと思いますが食べなきゃ生きていけないし,入院でもしなければ無用な五欲が邪魔をしてどうしようもないですね。

 神が生物として種族を永らえるためにと賦与されたものですが何か悟性的ことを為さんとする際には煩わしいことこの上ないです。

 五欲というのは食欲,性欲,睡眠欲,排泄欲,いや排泄欲は食欲や性欲に入るんだっけ,後はこれにつながる人間特有の金銭欲とか名誉欲でしたか?

 それなら,私が思っている煩わしいというのは五欲ではなくて,三欲か四欲と言うべきでした。

 私の本分は恐らく後者の財欲や名誉欲に属するものでしょうから,言ってることが矛盾しますから。。

 しかし,煩わしいことこの上ないのですが,これがまた快楽の源でもあるし,そして,精神的不幸=悩みの源泉でもあるわけです。

 欲(=三欲?)があるからこそ,生物,人間。。。これを捨てて生きても全然幸せではないです。自己満足をしても種族保存の本能が満たされないなら幸福感も半分です。

 私にとって生きてるのは他人の幸福に寄与することで得る満足感も含め,自分が幸福感を味わうためです。悟って仙人のようになり神に近づくことが生きる目的ではありません。(まあ,それも一種の幸福感ですが。。)

 今頃になって,まるで悟ったように(イヤ逆かな?)これに気付きつつあるのですが,時は既に遅過ぎました。

 感性が鈍化して欲による快楽にも苦痛にも鈍感なってしまった今,やっと,気付いてるのですから。。。。

 例えば私の片親は90歳にして,まだ健在ですが,昔から「孝行したいときには親はなし。」とか言われます。感性も,その存在の重さ,有難さはそれが無くなって初めて感じるものなのでしょうね。

 快楽のみを懐かしがって苦痛の方を忘れているから,近頃偉そうに,「悩みがあるからこそ人間」などと言ってますが,悟りとは「苦痛を昇華できる能力=鈍感さ」の獲得です。

 それは,生物としての輝き,若さを失って得るもの,そんな能力欲しくないです。

 ↓仏現寺(本文とは無関係の気まぐれです。)

  仏現寺

PS:彼岸には天国,あるいは極楽浄土があるからと「現世は捨てて今はただ念仏を唱えろ」とか,「信じるものは救われる」とか西洋中世や日本の昔のほとんどの宗教は現世での救いは捨てて来世での幸福を求めているようで厭世的に見えます。

 それは現世の生活があまりにも苦痛でしかもそれを避けるスベがなかった時代,それを乗り切るためには来世を夢見るしかない。,それが現世での処世術だったからです。

 それを,心から本当に信じた者は当面の苦しみを忘れて救われる,という意味であったろうし,必ずしも宗教の布教者自身も来世を信じてなかったかも。。

 と思います。

 もっとも為政者にとっては暴動,一揆は起こさず,例えば日蓮のように大声で辻説法などすることもなく,ひたすら黙って我慢してくれる宗教であればあるほど都合のいいものであったでしょうが。。

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005. 心身・思想・哲学」カテゴリの記事

コメント

 どもTOSHIです。

 私は早生まれですが,高校同級生のミハッチさんなので同じような境地を理解されてもおかしくはないです。

             TOSHI

投稿: TOSHI | 2011年8月27日 (土) 09時38分

なるほどですね。
なんとなくわかるような歳に、私もなったようです。

投稿: ミハッチ | 2011年8月19日 (金) 15時13分

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