日々雑感
最近の時事ニュースに鑑みて感じたことを無責任に書きなぐってみます。
由紀さおりさんの1969年にヒットした「夜明けのスキャット」が40年経った今全米で大ヒットしているらしいのは驚きです。
当時それほど美形でもない(失礼)彼女が,ことさら口を細めて歌うアップを見て美しくないのに何故?と思ってましたが,
最近カラオケで素人ながら自分も口の形まで気にして発声するようになって意味がわかりました。童謡歌手の安田姉妹は,繊細な美しい声を出すため,そうする必要性があったためでしょう。
アメリカ主導だから反対というTPPはともかく,関税で保護されていて農協という形式以外の集団農場的会社形態や株式会社形態の病院等は法令的にないためか?コスト軽減の対策もできず高価で海外競争力もなく,
実は世界でもトップクラスの優良食品や優良医療や薬品開発技術が,日本国内だけの需要にのみに供されたりする国民的エゴは何とかならないのでしょうか?
日本人だけ安全な水,安全な食品を食べて飽食していいのですか?
子供の心臓移植では日本人は募金活動のおかげで米国,カナダまで出かけて医療の恩恵を受けていて批判も浴びています。
米国やカナダ,本国そして発展途上国も含めて移植を受けたくても受けられない人々がゴマンといると聞きます。
日本人が保護されてるのはいいのですが逆に海外から積極的に日本の医療,薬の技術,医療保険のノウハウ等を役立てるのは,株式会社とか営利企業とかいう意味も含め,何らかの意味ありと思います。
あらゆる非保守的行動は必ず諸刃の剣ですが,マイナス側面だけ強調するのはイカガなものでしょうか?
また,2011年10/24の記事:「小沢一郎関連の過去記事」でイヤというくらい述べたので,司法検察への不信感は今更,言いたくもないのですが,
とにかく冤罪の感が強い,鈴木宗男さんお帰りなさい。
実際の黒白は別にして,金メダリスト:内柴さんについても起訴前から一方的なマスコミ報道です。私はコレに乗っかってスグに掌を返したりはしません。
マスコミは,軽犯罪くらいであっても,特に下半身のモラル関連では面白おかしく報道して,以後の生活も有名人であるが故に極端に左右されてしまう風潮はイカガなものか?と思うだけです。
風潮といえば,放射能関連では風評,風評と叫ばれています。確かに風評もかなりあるでしょうが。。。
事故直後の頃なら混乱を防ぐため「風評だ。安全,安全」と声高に叫ぶのも必要な手続きだったのかも知れませんが,
こうしたコトについてはむしろ「最悪の事態」を想定して対策を講じ100%危険という出発点から消去法で「これは安全」と塗りつぶしていくベキだと外野の私は前から思っていました。
せっかくの義援金も法律で決めなきゃ先に進まない,のであれば,こういうときこそ「超法規的措置」でしょう。
リーマンショック直後の失業者大量難民の日比谷公園での支援活動でも,当面対象の失業者ではないホームレスが混じって不正に援助を受けてるとの「クモの糸のカンダダ的」批判もありましたが,
不正受給者云々と選別することより前に,そうしたリスクも承知の上,リスクこみで義援金を迅速に配る行き当たりバッタリで考えるより行動が先の誰かさんが「超法規的措置」を行なうのがベターと,またまた外野の評論家は思ってしまいます。
物価スライドで年金支給額を減らすというのも,昔バブルの時代までは右肩上がりで成長してきた物価や初任給,何よりも保険料の増加に対して,
大きな傾向として年金支給額の上昇の仕方が少ないのは無視していたと感じるのは私だけでしょうか
年金制度ができたのは1959年頃?の初任給が数万円以下の頃です。
Wikipediaから国民年金の保険料と支給額の推移を転載しておきます。
私の父が亡くなったのは1965年(昭和40年)の4月でしたが当時の父の源泉徴収票を盗み見た記憶では,最後の前年の年収が税込みで77万円でした。
地方公務員で46歳の課長クラスでしたし比較的高給だと思われます。
この当時であっても,10万円未満の国民年金だけでは暮らせないでしょうが,現在も40年間保険料払ったという前提の満額で79万円です。
扶養してくれる家族も無く無収入でヨボヨボなら,どうやって暮らしていける保証があるのでしょうか?
取りやすいところから取って増収をはかるのではなく,まず,取りにくくても取られても痛みの少ないところから取ったらどうですか?
(※転載開始)
改正年月 | 毎月の保険料 | 改正年月 | 毎月の保険料 | 改正年月 | 保険料水準×改定率=保険料 |
---|---|---|---|---|---|
1961年4月~ | 100円/150円 | 1984年4月~ | 6,220円 | 2005年4月~ | 13,580円×1=13,580円 |
1967年1月~ | 200円/250円 | 1985年4月~ | 6,740円 | 2006年4月~ | 13,860円×1=13,860円 |
1969年1月~ | 250円/300円 | 1986年4月~ | 7,100円 | 2007年4月~ | 14,140円×0.997≒14,100円 |
1970年7月~ | 450円 | 1987年4月~ | 7,400円 | 2008年4月~ | 14,420円×0.999≒14,410円 |
1972年7月~ | 550円 | 1988年4月~ | 7,700円 | 2009年4月~ | 14,700円×0.997≒14,660円 |
1974年1月~ | 900円 | 1989年4月~ | 8,000円 | 2010年4月~ | 14,980円×1.008≒15,100円 |
1975年1月~ | 1,100円 | 1990年4月~ | 8,400円 | 2011年4月~ | 15,260円×0.984≒15,020円 |
1976年4月~ | 1,400円 | 1991年4月~ | 9,000円 | 2012年4月~ | 15,540円×改定率 |
1977年4月~ | 2,200円 | 1992年4月~ | 9,700円 | 2013年4月~ | 15,820円×改定率 |
1978年4月~ | 2,730円 | 1993年4月~ | 10,500円 | 2014年4月~ | 16,100円×改定率 |
1979年4月~ | 3,300円 | 1994年4月~ | 11,100円 | 2015年4月~ | 16,380円×改定率 |
1980年4月~ | 3,770円 | 1995年4月~ | 11,700円 | 2016年4月~ | 16,660円×改定率 |
1981年4月~ | 4,500円 | 1996年4月~ | 12,300円 | 2017年4月~ | 16,900円×改定率 |
1982年4月~ | 5,220円 | 1997年4月~ | 12,800円 | ||
1983年4月~ | 5,830円 | 1998年4月~ | 13,300円 |
※各年度の改定率=前年度の改定率×前年度の名目賃金変動率(前々年の物価変動率×4年前の年度の実質賃金変動率)
老齢基礎年金支給額の推移
改定年月 | 満額の年金額 | 改定年月 | 満額の年金額 |
---|---|---|---|
1961年 | 24,000円 | 1990年4月~ | 681,300円 |
1966年 | 60,000円 | 1991年4月~ | 702,000円 |
1969年 | 96,000円 | 1992年4月~ | 725,300円 |
1973年 | 240,000円 | 1993年4月~ | 737,300円 |
: | : | 1994年4月~ | 747,300円 |
1976年 | 390,000円 | 1994年10月~ | 780,000円 |
: | : | 1995年4月~ | 785,500円 |
1980年 | 504,000円 | 1998年4月~ | 799,500円 |
: | : | 1999年4月~ | 804,200円 |
1986年4月~ | 622,800円 | 2003年4月~ | 797,000円 |
1987年4月~ | 626,500円 | 2004年4月~ | 794,500円 |
1988年4月~ | 627,200円 | 2006年4月~ | 792,100円 |
1989年4月~ | 666,000円 | 2011年4月~ | 788,900円 |
※満額とは、昭和16年(1941年)4月2日以後に生まれた人が、40年間(20歳から60歳まで)納付した場合の支給額である。ただし、昭和16年4月1日以前に生まれた人は、生年月日により25年 - 39年納付すれば満額の支給額になる。
(転載修了※)
PS:12/7の21:55です。今,TVの朝日の「相棒」を見終わったところです。
犯人役の老人見覚えがあって,とてもイイアジを出してるけれど誰かなあ?と思ってたら,何とその昔伊東ゆかりの夫で歌手でもあった佐川満男氏でした。
確か,引退したはずと思ってネットで検索すると,芸能界に復帰していて,確かにこの相棒第8話「フォーカス」に出演とありました。
しかし,最近,憎らしくて殺したら実は殺す最大の理由であった相手の意図は正反対で,むしろ自分に対する善意愛情であった。という様な逆恨みであったというストーリー仕立てのドラマが多いですね。
うーむ「渡る世間に鬼はない」ですか?。。。
PS2:こうした比較的短かい思い付きを書きなぐる日記ではなく,細かい数式も含む科学記事草稿の文書も日々ヒマをみてはセッセと書いてはいますが,
ただ座ってゆっくりとくやる作業:右手中心のタイピングであっても,左首と左肩境界の頚椎,および左腕にボディーブローのように効いてきて,途中で痛くてガマンできず連続作業では30分と持ちません。。。休み休みで進みません。
何とかならないかなあ。。痛い。。
糖尿病,心不全,足の動脈硬化,腎不全初期etcということもあり,痛くてたまらないとか痒くてたまらないけど,痛みを止めて紛らせるため非合法な覚せい剤やアヘン(モルヒネ)のような決定的痛み止めに頼るほどでもなく,安楽死したいとまでは思いませんが何かやろうという意欲は減退しますね 。
同じような話で,前は歯科医をまわって最後に東京医科歯科大で何とかなるまでは義歯が合わず困ってました。
それでも外では,今更ですが,ないとアゴの形がみっともないし既に義歯はめてもオカしいけど,滑舌がさらにオカシくなるので必ず義歯をはめてますから,
前は外に飲みに行って,食欲があっても食べると痛いため,痛いけど食べるのを取るか?食べずに痛くないのを取るか?という究極選択が常にあり,
条件反射で食欲はなくなって,食べずに飲むことが多く,「私の作ったものはマズイくて食べられないのか?」とか胃腸が悪いのか?とか心配されていました。
色々あって,今より10キロも痩せていました。
今はある程度食べられますが,朝起きて外出のため義歯をはめるたびに拒否反応で嘔吐を催すのをガマンするのは仕方ないです。
食堂では,毎日食欲をそそる昼食なのですが,嘔吐衝動と食べたい欲求が葛藤してめったに完食できないのは困ったものです。
痛みや苦痛と共存するのに慣れてきてますが,完全に眠っているときと酒飲んでクダまいたり,シャベリちらしてるとき以外は完全休息できないので,やはり神(or 悪魔)に愛されて永眠ですか。。
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