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2012年10月31日 (水)

訃報!!藤本義一さん。

 直木賞作家の藤本義一さんが30日肺ガンで亡くなられました。79歳でした。

→産経ニュース 直木賞作家の藤本義一さん死去「11PM」でも人気

 私には東の日本テレビの大橋巨泉,に対し,西のよみうりテレビの藤本義一という感じで,イレブンPMの司会者として印象的な人でした。

 (※追伸:東にはキンキン(愛川欣也)もいたのを忘れていました。)

     

 我が家に初めてテレビがやってきた小学校5年の昭和36年(1961年)の秋頃にはテレビはゼイタク品で,子供は「テレビばかり見ていると頭が悪くなる」と言われたし,1日せいぜい1時間半までとか,テレビと関係ないけど「遅くとも夜11時には寝なさい」と言われていました。

 今と違って,高価で重い白黒のテレビが一家に一台だけ,自由にスイッチを押していつでもテレビを見ていいという時代ではなかったです。

 家の座敷に仰々しく幕付きで鎮座していた貴重品で,複数人数で見なければもったいない。見逃しても録画しておけば,というビデオなどない頃でした。

 大体,昼間はテレビなどは見ずに,子供は近くの子度たちと屋外で遊んだり勉強をしたりで,夜父親が残業して帰宅するのは早くても8時頃,一家全員でそろって番組を見る習慣でしたから,本格的に見るのは夜8時以降でした。

 いきおい,テレビを見る時間は夜だけという感覚でしたね。ただ,夜7時半から30分の「スーパーマン」だけは先に見ていました。

 日本のドラマは,ビデオで撮ったモノじゃなく生放送(ライブ)なので,少なく,「日真名氏とびだす」とか「事件記者」など夜8時からのゴールデンタイムで1本だけあるくらい,あるいはゴールデンタイムでも海外の録画したドラマでした。

 古い記憶なので前後して,わかりませんが家族全員で夜8時から「コンバット],「逃亡者」を見たりもっと遅い時間には「バット・マスターソン」「ベン・ケーシー」を見た記憶あります。

 金曜日の夜8時だけは力道山が出るプロレスが楽しみでした。

 (※プロレスはテレビを買う前にも「西浦」という一軒だけある電気屋でトキドキ見てたこともあります。大人も見ていました。

 回りでは私の家より2年前の皇太子さま(現天皇)と美智子さま(現皇后)のご結婚パレードが放映された2年前の昭和34年(1959年)にテレビを買った家が多かったようですが,当時9歳の私はそのパレードは近くの「オクヤ」という呉服屋で見たという記憶があります。

 大相撲も,子供は「丸ジューサ?」という金持ちの線香屋の座敷で見てたという記憶あります。鏡里,吉葉山,栃錦,若乃花の時代??。。)

 父親が帰ってくるる前の,夜6時頃の「モーガン警部」や,「ララミー牧場」とか,その後再放送で見たのかもしれませんが,昼間3時か4時頃に「ローハイド」とか,枚挙に暇がないのでやめます。。

 文字通り,夜11時から,始まったイレブンPMなど子供時代に見るはずもなく,オクテであった私がやっと色気付いてきた高校時代,

 それも仕事がある親たちや兄姉も寝た後,夜中の3時頃までラジオの深夜放送を聞きながら受験勉強した項の高3や一浪の頃には,

 その頃はもう座敷ではなく丁度勉強していた机のある酒小売店(うちの屋号はササモトヤです。)の店先の部屋に置いてあったテレビを,音を小さくして,こっそり23時~24時頃にイレブンPMを盗み見していた記憶があります。

 目的は,もっぱら温泉の紹介や,今とは比べモノにならないくらい露出度の低いモデルさんの半裸の姿(カバーガールなど)でした。

 ドキドキしながら後ろめたい気持ちで見ていました。

 時々生オッパイが出ましたが,私は末っ子の甘えん坊で母親のオッパイを独占して飲んでいた頃から,まだ時間が浅かったせいか?,学校で友達にテレビのオッパイの話をされても「何でそれを見て興奮するの?」とか,聞いてて不思議に思うくらいだったのでそれくらいでは全然,驚きませんでした。

 未だにそういう傾向が残っていますが,当時は(恐らく今も)女性の体では下半身にしか興味がなかったようです。

 (※夜中にインキンが痒くなって,コッソリオロナイン軟膏を塗ってるうちに,アレが硬くなっ,まだ皮付きのアレの先っちょからシロイモノが勢いよく飛び出してびっくりし,あわてて何か拭くものを探した,のがセンズリを覚えたきっかけ,という極めてオクテで不器用なヤツでしたから。。

 → 2006年5/25の過去記事「小,中,高校生時代(その2)」参照,※)

 それに,汽車,電車,バスの中,それに街中でも母親が平気で出して子供に母乳を飲ませたりしている光景が多々あった時代の岡山(今の新倉敷駅付近)のド田舎でしたからね。。

 藤本義一さん,子供心にもダンディな方で東の大橋巨泉とは一味違う,おだやかなシャベリの関西弁で芸者のような京都弁の安藤さんを隣に侍らしていて,初めの頃は「,コイツ何者なんだ?」と思っていました。

 情報の少ない時代,それも教科書でさえ情報源として貴重な子供時代で,藤本義一氏の正体を知るのも大変でしたね。。。

 (※まあ,私父は兵庫県明石,母は和歌山の和歌浦出身で一応,関西人の血筋ですから,関西弁は慣れてました。

 その後,学生時代神戸に3年間住みましたがアパートの近くには叔母と,いとこの姉弟2人がいて,もちろん関西弁でしたからね。。

 私の親戚は関西のみ今は甥が行徳の方に住んでいて勤め先は春日か後楽園.水道橋あたりらしいですが1度しか逢ってません。

 貧乏で叔父らしいこともできないから,それでいいのでしょう。

 2009年8/29の記事「自分の家系(ルーツ)」参照。。

 ブログは日記とはいえ,公開で誰が見ているかもわかりません。

 ウソは知ってる人に見られるとばれることもあり,自分の記憶間違いや思い込み以外は,ウソはゼロで本当のコトを誇張もなく書いているツモリです。

 露出・露悪趣味で自己顕示欲旺盛,ド変態(=ロリコン,デブ専,または子供のように体付き専門,メガネフェチ,マゾ,露出狂,etc.etc)で,「人の不幸はの味」というヤな性格ブスであることもも含め,見られたり聞かれたりして恥ずかしいことはあっても,困るコトは一切ないツモリです。

 寒かったり暑かったりでなければフリチンで歩きたいけど,ワザワザ,ポリ公に捕まっても何の得にもならないし,そこまで完全には解放されてはいません。

 ブログをところどころ読んで,自分の言わば,丸裸で勃起したチンチンを晒してる状態( ← インポのくせに見栄張るな。)を,見られても,それが本当の姿ですから,友人や知人,関係者,家族の中にはトバッチリで困る人がいたとしても,自分はナントモないです。

 ただし,余りにも傍受無人,厚顔無恥,猥褻物陳列に腹を立てて刺されるか,撃たれるかも。。( ← てめえに,そんな価値ねえよ。馬の骨,有象無象クン)※)

 ずっと後には,週末には夜中でも家族全員で,ラジオで聞いていた花菱アチャコと浪花千栄子の「お父さんはお人よし」からのテレビでの継続?:「人生はドラマだ。」というのを見た後,

 天知茂の「悪の紋章」,丸井太郎の「図々しい奴」,大辻司郎の「赤いダイヤ」,渥美清と中村玉緒?の「おもろい夫婦」や,もっと後,西郷輝彦の「どてらい奴」,丹波哲郎,,平幹二郎,長門勇,加藤剛の「三匹の侍」など全てが懐かしい。。。

 花菱アチャコと浪花千栄子といえば,ミヤコ蝶々と南都雄二や鳳啓介と京唄子もなつかしい。

 「おもろい夫婦」は,初代桂春団治?か三遊亭歌笑?がモデルだと聞くいてまましたが,もう一つ画家の棟方志功がモデルの「おかしな夫婦」の方が先だったかも知れません。

 「おかしな夫婦」も男の方は渥美清がドの強いメガネをかけたドタバタ喜劇でしたが,女優は記憶がないです。

 「三匹の侍」は丹波哲郎が柴左近,ヤリの名手の長門勇が桜京十郎で,平幹二郎の役名は忘れました。。後に丹波哲郎が加藤剛に交代。。

 これはずっと後に,「三匹が斬る」というドラマにリメイクされましたね。

 原型よりも明るくなりましたが,高橋英樹と役所広司,それに長門勇の役で林家三平の弟子で下町の若様。えーっと,イヤ海老名家の娘ムコの小朝。。林家じゃなくて春風亭でした。。

 どうでもよいウン十年前の記憶でもイツまでも詳細かつ鮮明で,忘れた方がいいイヤなことでも忘れられないとい不健康な精神的病のため,思い出すととりとめない細かい記憶がダラダラとなって「キリがありません。

 今はいい時代?で不鮮明なところはネットで検索すれば補完されますが,間違ってると書いてあっても自分の記憶の方を信じたい気分です。

 ド忘れしたツマラナイことを脳ミソの奥から搾り出そうとしている時間は,他にやるコトがある忙しいトキでなければ,とても心地よい時間なので,できるだけネット検索などに頼らないようにと思ってはいますが,すぐ側にあるとツイ頼ってしまいますネ。

 イヤー,ヒマ人なのでつい脱線してしまいました。

 桑名さん,藤本さんが亡くなってつい昔を回想してるうち,テンションが上がってしまいました。。

   ご冥福をお祈りします。。合掌!!

 今月は訃報が多かったです。特に酷暑,厳冬時期に多い心臓病とは違って,肺がんが死因の方が多いですね。

 直前の心不全というのは死因ではないでしょうが。。。

PS:院生時代に1年後輩の九州の大学から来,たハマ君から「モノシリの量子数を持ったイヤミオン」とか「モーノーシーリー」と雑学について博学なことをバカにされて揶揄されていた,の思い出しました。

 別に博学じゃなく,同じように見聞き,経験したことなのに,何故か,かなり昔でも微にいり細に入り覚えている,「忘れない病」で,脳内に同じように蓄積されたデータを「海馬」だっけ?から,割と楽に引き出せる病気なだけらしいのですが。。

 (↑※それじゃ,どうして受験勉強など肝心のときにはダメだったの? いくらアガリ症だったとしてもできるはず。。どうせ,誰かにカウンセリング受けた末に自分で納得解釈したウソの受け売り知識ダロ??)

 まあ,専門について天才的であれば謂わゆる「専門バカ」であるべきというか,そのはずだ,という思想があり,八面六臂で広く浅く何でも知っている,あるいは多芸多才で何でもできるというのは結局はどれも常人よりは上かも知れないが,「イチバン」ではない。モノにはならないダロー。という価値観。。

 今となっては,そういう価値観がフツウのギョウ^カイには属していないので,自分は少しはマシかな。。と思っていますが,当時バカにされたのは,「余計なコトに頭使ってるより,本分に集中しろ」という意図でしたね。

 その後,フツーの会社に勤めていた頃は,先輩から,"お前は「ウォーキング・ディクショナリー(Walking dictionary)」というより,「ワーニング・プロチョン(Watning Program-チョンボ)」だね。"とか,「チミはアカデミックというより垢デミックだね。」とか言われていたのを思い出します。

 よく考える前に,先にしゃべったり,考える前に行動したりして,早トチリで失敗するオッチョコチョイがたくさんあり,遊ばれやすい性格のせいで,それらをネタにからかわれるコトも多く,その上からかわれているコトにも気付かない有様でした。

 気付かぬうちに背中に色々書いた紙が張られていて,何だか笑われてイルとか感じるコトもありました。(イジメじゃなくアソビですよ。)

 季節の変わり目の春や秋には他人の視線が気になっていた繊細なウツ病患者に対してムゴい。。

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