パリの事件に思う。。ヨーロッパの人種差別
,金曜の夜にスポーツ観戦や観劇などをする余裕がある,謂わゆる有閑階層で,かつ飽食階級からの呼び名である「テロ」を肯定するつもりはないけれど,かつて米国の貿易センタービルへの旅客機突撃事件の際も「本土爆撃万歳」とか述べて多くの顰蹙コメントをもらった自分が,またまた,恐らく「先進国」の巷の大勢の人々とは異なる見方の感想を持ったと思います。
そもそも,EUやイギリス,特にフランスは日本人も含め,有色人種(カラード)への人種差別は激しく,旅行者にはわからなくても住んでみると凄いらしいです。
特にアラブ系の人への差別は日常茶飯事らしいです。
また,日本人のプロサッカー選手でも滞在中に差別的イジメにあって逃げ帰った人がいると聞いたことあります。
以下,別のホームページでのニュースから転載します。最初は参照のURLだけにしておこうと思いましたが,ブログ記事にする都合上.無断転載ですが参照元を明示した後に写真以外は丸写しコピーです。
→ MADAME RIRI より
[フランスの人種差別事情]他民族が乗る"パリの地下鉄"で毎日思うこと
(※以下,記事の全文コピーです。※)
フランスで地下鉄に乗車しようとした黒人の男性が、人種差別主義者を自称するサッカーファンから繰り返し乗車を妨害されるという事件があり、波紋を呼んでいる。「俺らは人種差別主義者。それの何が悪いんだ!」と繰り返し叫ぶチェルシーサポーターの動画を見て、悲しい気持ちになったのは筆者だけではないだろう。
今回の騒ぎを起こしたのはイギリス人たちであり、フランス人からすれば”いい迷惑”な事件であるが、フランス人に人種差別意識がないかといえば嘘になる。
白人、黒人、アラブ人、インド人、アジア人など、他民族が暮らすパリ。パリの地下鉄のなかは当然、毎日様々な人種や宗教の人たちが一緒に乗る”他民族コンテナ”と化する。
そんなパリで暮らす日本人在住者は、「フランス人は人種差別的な人が多い」と言う。
フランスで人種差別を一番受けるのは、アラブ人たち。先月のシャルリーエブド事件の影響もあって、特にイスラム教徒のアラブ人に対する偏見や差別意識は強い。筆者の周りのフランス人も、声を大きくしては言わないが、ムスリムへの風当たりが厳しい。知り合いのフランス人女性はシャルリーエブド事件について、このようなことを言っていた。
「アメリカでの9.11以降、パリでもブルカやベールをしている人が増えたわよね。私はずっと前から彼らが何か計画しているんじゃないかと思っていたのよ。ムスリムはみんな信用できない。」
筆者の感覚からするとゾッとするような思想を、さも真実かのように語る人がいる。ムスリ ムがフランスを乗っ取ろうとしていると信じている人が現実にいる。人間の恐怖心や憎しみは、ユダヤ人を迫害したヒットラーのように、冷静さを欠いたゾッとする思想をつくりあげてしまうのかもしれない。
そして、多民族都市パリでは、日本人がこのような偏見の被害者になることもある。筆者の知り合いの日本人女性は、交差点で信号待ちをしている時、急に背後から突き飛ばされた。背後にいたのは黒人男性で、「何するんですか!」という問いに、「俺はアジア人が大っ嫌いなんだ!」と答え、尚も突き飛ばしてきたそうだ。
この黒人がアジア人にどんな因縁があるのかは知らないが、突き飛ばされた女性には全く持って関係ないことだ。アジア人全てを一括りにして、同じものとして接することに問題がある。
また、パリで暮らす日本人の中には”フランス人に対して”の偏見が強かったり、差別的な発言をする人もいる。こういう日本人もまた、フランス人全てを”だらしがなく、高慢で、信用できない人”を決めつけ、真面目な日本人とは差別して扱うのだ。
これら人種差別的な言動をする人に共通しているのは、「ある民族や宗教グループを全て同じもの」として見る点である。白人はみんないっしょ、黒人はみんな同じ、アジア人もみんな同じという見方が人種差別の根源にある。その人本人がどういう人なのかを知ろうとせず、「○○人はこういう人」という決めつけ、凝り固まった偏見から抜け出さない。
”つきあってみたら意外に話が合ういいヤツ”かもしれないのに、つきあってみるという最初の一歩を踏み出さず、人間関係を遮断してしまう。これは非常にもったいないことだと思う。「お寿司は食べたことないけど、嫌いなんです」という外国人のようだ。
とはいえ、フランス人と外国人、外国人同士、フランス人同士など、それぞれがそれぞれに偏見があるのがフランス社会。筆者も他国の人に偏見が全くないとは正直言い切れない。
ただ、パリという他民族社会で生活する以上、相手が日本人であれ、フランス人であれ、イスラム教徒であれ、”その人自身”をまっすぐ見つめることが大切だと思う。人種や民族の「枠」にとらわれず、相手のことを知る努力をすることが必須だ。逆にそれができないと、他民族社会のバランスが崩れ、”異”が“共生”することはできなくなってしまう。
今月、後藤さんが殺害されたことを受け、日本だけでなく世界中でイスラム過激派にどう対抗していくかという話がよく挙げられるようになった。「イスラム教徒=悪」というイメージがマスコミを通して知らぬ間に伝わってしまっているように思う。
筆者と同じフランス語教室に通うリビア人女性はイスラム教徒だ。先週、彼女はこのようなことを聞いてきた。
「みなさん、イスラム教徒は怖いですか?私は、イスラム教徒はみんな悪だと思われているように感じます。先日、友人とレストランに入ったら、入店を断られました。私がベールをしたイスラム教徒だからです。」
人種や民族の「枠」を取っ払うというのは、口で言うほど簡単なことではない。偏見も、差別もなくならない。世界も変えられない。
要するに問題は、「自分がどう動くか」。他民族と平和に暮らすために、自分がどんな人間になるべきか。パリの地下鉄の中で、人種、民族、宗教様々な人を目にしながら考える。
以上,,転載でした。※
「アラビアのロレンス」をはじめ,植民地政策時代のイギリスやヨーロッパ列強の所業が原因で,現在の中東戦争があることを思えば,明日の命もままならず命がけの生活の毎日に明け暮れる民が週末の遊興に興じている人々を恨めしく思うのは当然でしょう。
9.11については戦争景気が大好きなサウジ資本や死の商人の陰謀説もありますが,,最初のアメリカでの犠牲者は二千人余りでした。
,数の問題ではないというけれど,その後,報復と称して米国を中心とした諸国がアフガンや中東に兵を送り込んだり爆撃したりで自国の兵士も含め,十万人以上の死者累々。。。日本も共犯です。。もちろん私も例外ではないです。
自らが起ここしたことの後始末もしないで,鉄砲の弾が飛んでこないところでマネーゲームに興じているとやがて報いが来るでしょうね。。。
罪が無いという言い方をしますが,それは神の冒涜だとも言われます。
何もせず傍観していることも罪の一つです。。。
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コメント
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投稿: Robertkema | 2015年12月10日 (木) 21時09分