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2020年8月 1日 (土)

物理学の哲学(止まると死ぬ)(3)

「物理学の哲学」の続きです。

(※余談):コロナ感染が拡大中ですが

相変わらず,口は出してもお金(自分の

金じゃなく税金ですが)は出さないし,

何があろうと誰かに丸投げで,責任だけ

は取らない,という政権が続いてますが,

それを選挙で選んだのも国民で,韓国

みたいにデモで大統領をクビにするとか

のリコール活動もできず選挙まで待つ

しかないよけど,そのときはまた愚かな

政治家を選ぶ繰り返しのようです。老兵には

関係ないけど。。。(余談終わり※)

さて,特殊相対論を考慮すると,質量がμの

スカラー粒子の運動エネルギーはT=μv2/2

=p2/(2μ)ではなくT=μc2/(1-v2/c2)1/2

-μc2となります。これは,自然単位c=1では

T=μ/(1-v2)1/2-μです。

そして,特殊相対論では最小作用の原理を満たし,

作用が停留値となるためのEuler-Lagrange方程式:

(d/dt)(∂L/∂v)-∂L/∂x=0が運動方程式

dp/dt=Fに一致する関数をLとすると,それが

系のLagrangianです。

特に,外力Fのない自由粒子のLagrangian:Lは,

共役運動量pがp=∂L/∂v=μv/(1-v2)1/2

与えられるように,LをL=-μ(1-v2)1/2で与えます。

また,外力FがあってポテンシャルV(x)により,

F=-∇Vと表わせるときは,非相対論的力学と同様,

L=-μ(1-v2)1/2-V(x)とすればいいです。

すると,Hamiltonian:Hは,H=pv-L

=μv2/(1-v2)1/2-μ(1-v2)1/2+V(x)

=μ/(1-v2)1/2+V(z)となりますが,xとpの

関数で書くと,H=(p2+μ2)1/2+V(x)となり,

Hは運動エネルギーTと位置エネルギーVの和に

さらに静止エネルギー:μを加えた,総エネルギー

のEに一致します。

この場合,外力Vのない自由粒子の総エネルギー

Eは静止エネルギーμを加えたE=μ/(1-v2)1/2

=(p2+μ2)1/2であり,運動エネルギーTは,Eから

静止エネルギーμを引いた,T=E-μになります。

特に,vが光速c=1より,はるかに小さい非相対論

極限のv<<1の場合,T=E-μ ~μv2/2であり

運動量も,p ~μvと近似されるため,確かに,以前

の非相対論力学のHamiltonianの表式:H=T+V

=μv2/2+V(x)=p2/(2μ)+V(x)に帰着します。

相対論でも非相対論でも1次元調和振動子の場合,

運動方程式はdp/dt=F=-kxで与えられます。

しかしながら.質量をμでなくmとするとき,相対論

では,運動方程式がd{mv/(1-v2)1/2}/dt

=-kxとなり,H=EもH=(p2+m2)1/2+V(x)

と複雑になって単純な式ではなくなりますから,量子化

の量子の模型としては,相対論も考慮した現実の厳密な

古典振動子を想定すると,却ってモデルとして不適切

になるようです。相対論を考慮した振動子は,量子論

の昇降演算子:a^,a^を導入する模型には邪魔に

なるので考慮する必要はなかったですね。

いずれにしろ,自由粒子では,力学的エネルギーは,

運動エネルギーTのみから成る,と考えられますが,

先の非相対論的1次元調和振動子のエネルギーには

静止エネルギーmは,考慮されていませんでした。

古典力学では,ポテンシャルV(x)は;F=-∇Vを

与えさえすればいいので,V(x)がV(x)+(定数)

定数シフトされても,運動方程式に無関係なので

保存される力学的エネルギー:E=T+Vの基準を

どこに取ってもいい,という,エネルギーの定義でした。

という意味では,運動エネルギーTの方に静止質量

エネルギー:mを含ませても.E →(E+mと定数

シフトされるだけで.理論的には新たな問題は生じ

ません。

もともと,古典論では,場の量子論のように

「真空という特別な基準の状態があって,その

エネルギーがゼロでなければならない。」

というような法則はなかったのです。

また,常識的な古典論でいう真空とは,空気の

抜けた,物質が全くない状態のことで,可視光や

紫外線,赤外線を含む放射線=電磁波が飛び交って

いても真空は真空でした。

一方,量子論の真空は,電磁波=光子もニュートリノ

(中性微子)も存在しない別の状態を意味します。

 

実はもっと基本的に,量子論でなく古典論でも,

絶対空間というものは存在しないので,静止という

概念も絶対速度という概念も存在せず,速度概念は

相対的にしか存在しません。

そもそもNewton力学の時代でも相対性原理,つまり

「ガリレイの相対性原理」がありました。これは,

力学的方法では,物体が静止しているか?それとも,

運動しているのか?を判断することができない。

ということを述べた原理でした。

その後,アインシュタインの時代までに,力学的な

世界観の世界以外にも電磁気などの世界が存在

することが明らかになり.電磁波=光(放射線)の信号

を使えば物体や座標系の静止か,運動か?の判別を

するのが実験的に可能ではないか?との期待が

生まれたのですが,「アインシュタインの相対性原理」

の出現によって,その期待も失われたのです。

電磁波=光のセンサー自体の速さcが,どの座標系

でも同一で,むしろ,時間の絶対性の意味が失われる

のが真実とされたからでした。

ですから,Newton力学の時代でも,標系の取り方

によって物体の速度は異なり,例えば自分は列車の

シートに座って静止していても列車が速度vで運動

していれば,車外の観測者は体重に相当する質量m

の自分の体の運動エネルギーTをゼロでなく

=mv2/2と,観測するわけです。もちろん,車内

観測者の測定では,v=0でT=0です。

つまり,運動エネルギー,故に力学的エネルギーは,

どの座標系で測るかによって異なるのです。

こうして,エネルギーが相対的意味しか持たない

のであれば,量子論のエネルギー準位(レベル)という

概念にも,どれほどの意味があるのか?と,当然の疑問

が生じると思います:

しかし,自由空間でなく束縛系の話ですが,例えば

水素原子のように,1つの陽子を中心とした1つの電子

の挙動を実験室で観測したとき,エネルギー準位の値

は,陽子と電子の両者が無限に離れている状態を基準値

のゼロとして,準位のエネルギーがマイナスの値で記述

されるのが原子物理学での慣例でした。

そして,特に,主量子数がn=1で,軌道角運動量がl=0

のとき,電子のスピンが1/2のupまたはdownという

状態がエネルギーレベルが最低の基底状態を与える

ことが知られています。

しかし,このケースでもエネルギーレベルの基準値

は必ずしもゼロである必要はなく.その値が定数だけ

シフトされるだけで,本質的意味の準位のエネルギー

基準値との差は,基準値が何であろうと同じです。

ところが,最低レベル=基底状態というものがある

というのは重要なことです。

より高い励起準位にある電子は,放置すると,やがて

光子を放出して,結局,基底準位まで遷移して落ちて

くるからです。

ですから,基底状態か,または,束縛されてないと

見えるほど陽子と電子が離れた状態をエネルギー

基準とするとき,その基準値がゼロでなくても

いいのですが,基底準位よりも下の準位が存在すれば

状態は,安定でなく,際限なく底なし沼のように落ちて

いくというジレンマに陥るはずですが,実際には

そうはならず,水素原子は安定に存在しています。

つまり,エネルギー基準値が固定されているという

必要はないのですが,最低レベル=基底状態が存在

することは不可欠である,と考えられるわけです。

束縛系でなく自由粒子の空間でも「Diracの相対論的

電子論」では,真空という安定な状態があり,それは

実は,負エネルギーの電子が満杯に詰まったマイナス

無限大のエネルギー状態であると仮定されます。

それでも不安定でないのは,スピンが半奇数のFermi

粒子では「Pauliの排他原理(禁制原理)」という法則

があって,それはスピンUp,doen状態を含め,同一の

量子状態を占有できるのは1個の電子だけという原理

で,故に満杯である限りは,落下も上昇もできず安定

ある,という「,Diracの海(Dirac-sea)」という発想

がありました。そして,この海から,光照射で1電子が

正エネルギー状態に遷移して空いた負の準位の穴

=正孔が,電子の反粒子の陽電子に対応するとして

電子-陽電子の対創生や対消滅等をモデル化した

のでした。

ところが.Pauliの排他原理はFermi粒子にのみに

当てはまる原理なので,電子の正孔が陽電子になると

いうことには適用できましたが,π中間子のような

Bose粒子の反粒子描像には適合しません。

では,エネルギー基準値より重要な基底状態=真空

状態は,座標変換によって,どのように変換されて,それ

は変換後も維持される絶対的な存在なのでしょうか?

そして,座標系によって状態の物理量の観測値は,

どのように変わるののでしようか?

場の理論では座標系のPoincare’変換(Lorentz変換

+平行移動):x~μ=aμμν+bμ,あるいは,略して

x~=ax+bに対して,真空状態に限らず,物理系

の任意の状態:|ψ>は,|ψ~>=U^(a,b)|ψ>なる

ユニタリ変換を受けるとされます。

そして,特に,真空|0>は,U^(a,b)|0>=|0>と

なり,変換に対して不変な状態と規定されます。

しかも,真空は如何なる量子数も持たない特別な状態

と定義されています。したがって真空は4元運動量

μ^固有値が全てゼロの状態で,P^μ|0>=0と

規約され,変換を受けてもこの性質は不変なのです

この意味で,光速c=1と同じく,真空は如何なる

座標系でも不変な存在です。

そこで,エネルギー:H^=P0^を含む4元運動量の

基準が真空にあります。この基準の状態の固有値を

ゼロ以外の値に選ぶと,色々と不都合が生じます。

それ故,古典論では明確でなかったエネルギーの

基準を量子論ではゼロに固定したいのですが,それ

には,またしても零点エネルギーが邪魔なのです。

Fermi粒子のDiracの海のマイナス無限大と

Bose粒子の零点エネルギーのプラス無限大が相殺

して,真空状態のエネルギー=ゼロが維持される,

というようなFermi粒子とBose粒子が1対1に

対応する,という超対称性の理論もあります。

またまた,途中ですが長くなったので,中断して

次にまわします。(つづく)

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