科学論モドキ
まあ.たまには,数式抜きで哲学的?な話でもしてみます。
私のウンチクなどは,本人の意識するしないに関わらず,いろんな
人々の知識の寄せ集め,切り貼りに過ぎませんが。。。
この世界はオリジナルな発見,発明でない限り,学んだことという
のは,如何に高度でも.パクリ,マネ。。というのは,ある意味当然
です。
さて,確か,現在の自然科学の手法を始めたのは,18世紀の天才
ニュートン(アイザック)であったと思います。
ニュートン以前は,自然科学者といえば,自然哲学者とも呼ばれ,
「この宇宙,この世界は何故そうなっているのか? 何故,そう
いう自然法則に従うのか?」
あるいは「この世界は誰が造ったのか?造物主=神がいるのか?」
というような疑問にも答える必要があった。と聞きます。
しかし,ニュートンは,そうした恐らく人間の思考や経験だけから
は.理解不可能であろう。と予想される哲学的命題
(形而上学的問題)は意識的に避けて,単に
「自然はどういう法則に従っているのか?」という自然法則の
理解にのみに着目する,という態度を取りました。
以後の多くの人々もこれに追随し,宗教や不可知論に属するもの
は神学者や本格的な哲学者に譲って,自らはそうしたことに悩ま
されることなく式や法則の発見のみに没頭した結果,自然科学は
飛躍的に進歩したと考えられます。
例えば,ニュートン自身が発見したといわれる万有引力の法則は
「2つの物体の間に双方の距離の2乗に反比例する遠隔作用の
引力が働く」ということは.主張していますが,
「何故,自然界には.そうした万有引力が存在するのか?そして
何故,それは逆2乗法則の力なのか?」という疑問には答えること
はできません。
彼は,元々.そうした自然法則の発見以上の疑問は回避して
考えない,という態度に終始したはずです。
子供が自分の親に質問して,「どうして」に親が答えると,その
答にもまた,「どうして」と聞かれ,際限なく続く「どうして」
に閉口して最後はゴマカサざるを得なくなる。ということは
現実に多々あるでしょう。
まあ.昔からディベートでは「質問者が必ず勝つ。」という
ソフィストの技巧もありますネ。
相手が質問してる最中にも質問して,
「オイ,今はオレの方が質問してるのだ。」という声も無視
して強引に回答者の方に追い込む。そして「どうして」を
連発すれば,どんなに雄弁な回答者でも,やがては答に窮する
だろう。という有名な詭弁術があります。
たとえ.ニュートンといえども,例えば,聖書やコーランの
ような教条的なモノを信仰的に絶対と信じているのでなければ
種々の「どうして」に最後まで回答するのは不可能でしょう。
もっとも18世紀の終わりから19世紀の初めにかけて,まず,
アイシュタインを中心とした「相対性理論」が現われて,
ニュートン力学が暗黙のこととしていた[常識]。
「物体の運動速度には限界はなく加速すれば無限大に近づく
ことができる。」ということが
「光速という限界速度がある」ということに置き換えられる
べきだということで破れ,力学だけではなく他の多くの理論
も修正を余儀なくされる。ということがありました。
それまでの「ガリレイの相対性原理」では
「物体が運動しているか否か?」は力学的方法によっては判別
できず,ただ相対速度のみが意味を持つ。というモノでしたが,
「アインシュタインの相対性原理」では電気信号や光,その他
の力学も含む如何なる方法でも「物体が運動しているか否か?」
を決定するのは不可能で,相対速度のみが意味を持つ,ということ
が本質的であるということになりました。
特に「一般相対性理論」は,重力=万有引力の法則に言及し,
物体(質量またはエネルギー)の存在によって,その近くに平坦で
ない時空の凹凸=歪みが生じ,
結果.動力を持たない自由質点は時空の歪みに沿ってしか運動
できない。という自由落下運動の際に働く力が,実は,遠隔的に
働く万有引力に等価であるという,やや近接作用的な解釈で,
ニュートンの理論は微修正されました。
「法則の探求のみで,その法則の存在理由は問わない。」という
態度であっても既知の法則が,より基礎的法則に起因する。という
ように深化させていくことは可能です。
そして,同じ18世紀の終わりから19世紀の初めにかけてプランク
の「黒体輻射の法則」の発見に始まり,
ボーア,シュレーディンガー,パウリ,ハイゼンベルク,ディラック
らによって量子力学がという新しい物理理論が展開されました。
この理論の建設には,アインシュタインも彼がノーベル賞を取った
「光量子仮説」などで関わっていますが,最後は
「神はサイコロ遊びをなさらない」という有名な言辞でその解釈
について主流派とは袂を分かっています。
量子力学は,それまでの物理学の根底を覆す革命的な理論で
「微視的には粒子の位置と運動量(速度)を同時には確定
できない。」ということ,故に, 実は質点の軌道というものは
正確には存在せず,軌道を描いているように見えても本当は
小さいながらも幅を持って運動している。」ということです。
その,幅を持った軌道の集まりのどこに粒子が存在するのか?
の確率を定める方法,方程式はあっても,
確実にある位置にある速度で存在することが前提の従来の考え
は革命的に改める必要がある,とわかったのです。
「神はサイコロ遊びをなさる」という方が真実でした。
したがって謂わゆる「ラプラスの悪魔」の考え方,運命論=
元々定めというものがあって,人間が分かれ道でどちらに進もう
と心を巡らせても,どちらを選ぶかさえ既に決まっていて運命
は変えられない。逆らえない。。
つまり, 「宇宙の始まりに,それを構成する全ての粒子の初期
位置と初期速度が決まって以来,それ以後の全ての軌道は単に
方程式に従って宇宙の終わりまで時間発展していくだけであり
人の体や心さえも,そうした粒子たちの集まりで構成され,複雑
ではあっても因果律に逆らうことはできない。ジタバタしても
人の考えなどが宇宙の法則に逆らうことはできない」
とする人間機械論的考えがありましたが,そうしたモノは
量子力学によって完全に覆されました。
右に行くか左に行くか?によって,その先の運命は左右され
ますが,それは方程式によっても確率的にしか予測できない。
というわけで,大袈裟な話,人の心や力次第で軌道を選択できる
という道が開けたともいえます。
量子力学以前の軌道を前提とした理論は「相対性理論も含めて
古典力学,古典物理学と呼ばれるようになりました。
したがって「一般相対性理論」で深化された重力理論も,実は
量子力学の対象とされる必要があります。
重力と同じく距離の逆2乗則に従う荷電粒子間の電気力の
クーロンの法則が,粒子間の光=光子(光量子;電磁波)の交換
(キャッチボール)による力であるということからの類推で
核力も,主として湯川の予測したπ中間子の交換によると
いう理解が進みました。
重力も重力子(重力波)の交換の寄与で生じるはずである
という量子理論が構成されつつありますが重力のみは元の
古典方程式が複雑(非線型)という事情もあって現在でも解明
されていないはずです。
こうして何もない空間の間に働く遠隔作用として出現した
万有引力も,実は重力子という質量ゼロで光速で運動する粒子
が力を媒介しているという意味で近接作用として定式化され
ようとしています。
「何故,そういう法則に従うのか?」を問わなくても次第に,
基本化,微細構造化することで,神の意図の探求に近づく道には
なっているようです。
現在の,宇宙の始まり,進化などを論じる宇宙論などは,哲学的
命題の追求に最も近いかもしれません。。
生命科学の方は全くの素人ですが,地球45億年,恐竜2億年,単純
生命の発生から,将棋の全読み筋ほどの天文学的に莫大なゲノム
の交配の試行錯誤を繰り返していれば計画的な遺伝子操作でなく
ても突然変異的に複雑な構造ができても不思議じゃない
と思えるので突然変異と自然淘汰という進化論くらいしか
知りませんが,造物主や太古宇宙人がいて地球に漂着した
末裔が人類であるとかの説に依存しなくてもよいと
思えます。
天気予報などのカオスにも言及したかったけれど,
いい加減にします。最後の方は蛇足でしたね。。。
(※ 2006年5月4日の過去記事
「量子通信(神はサイコロ遊びをなさる(つづき)」を参照)
PS;月はじめに僅かな収入で,1万円,容量42Lの小型冷蔵庫
を買ってベッドのわきに設置しました、
トイレに行くだけでも不自由な足で,買い物もままならない
身では買いだめして飲食物を冷蔵庫にためておき,
寝ていても手の届く場所に置くのは必要なことと信じている
ので,すぐ壊れない限り,安かろう悪かろうの衝動買いのムダ
使いではないでしょう。
ところで,ダルビッシュは,マー君同様,MLBが今年よく
飛ぶ球を採用したための被害者でしょうが,レンジャーズは
守備がザルで,しかも点も取れないのに対し,同じザル守備
でマエケンの足を引っ張ってると見えるドジャースの方は
得点力はあるので,まだマシでしょうね。ガンバレ。。
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