自然科学

2009年10月23日 (金)

過去のやさしい科学記事

 このブログの最近の科学記事は結構細かい計算が多く,話題もややマニアックてすがかつては比較的やさしくて取っ付きやすいと思われる入門的な話題も取り上げていました。

 今日は,私自身の休憩(息抜き)とバックナンバーの宣伝を兼ねて過去の記事を2つ再掲します。

 まず,2006年8/16の「台風の進路(コリオリの力)」です。

※(再掲開始)

 そろそろ台風が頻発する季節になりました。

 今日は,北半球では赤道付近で発生し,海域から多量の水分やエネルギーを吸収しながら発達して北上する台風が,なぜ右(東)の方に進路を変えていくのか?そして,なぜ上空から見て左巻き(反時計回り)の風が吹くのかという,ごくありふれた疑問について解説してみます。

 例として,ちょっと古いけど左回転しているLPレコードがあり,その上に"一寸法師"よりも小さい小人が乗っているという仮想的な状況を考えてみます。

 レコードの中心は地球の北極に相当し,レコードの最大半径の部分は地球の赤道に相当します。

 まず,レコードの回転している"最大半径=赤道"の上にいる小人が"レコードの中心=北極"めがけて真っ直ぐに小石を投げたとします。

 本人は真っ直ぐ中心に向かって投げたつもりでも,小石が手を離れた瞬間には慣性によって小石はレコードの回転スピードと同じ速度で右に向かう接線速度を持ちますから,実はそれは中心の方向に向かって真っ直ぐに飛ぶのではなくて,次第に右の方に逸れていくということになりますね。

 次に逆に"中心=北極"の上に小人がいて今度は"最大半径=赤道"めがけてやはり小石を投げたとします。

 今度は北極で小人は自転しているかもしれませんが,スピンの回転半径はゼロなので,その慣性による小石の左右方向への速度はゼロですから確かに"真っ直ぐ"進むはずです。

 ところが,レコードの上,つまり北半球の地球上にいる人は"左から右=西から東"に回転しています。その人から見ると"上=北"から真っ直ぐ飛んでくる小石は"下=南"から見て"左に左に(西に西に)"逸れていくように見えます。

 逆に"小石を投げた方=北"から見ると,見かけ上はやはり右の方に逸れていくわけですね。

 小石を台風だとみなし地球の自転の角速度をΩとすると Ωは"360度=2πラジアン(rad)"を24時間で回転する角速度です。

 地球の半径をRとし,緯度をθとすると,そこでの回転半径はRcosθですから,回転の接線速度はΩRcosθです。

 したがって"赤道"での接線速度は最大速度"ΩR=時速1667km=秒速463m"ですが,日本付近の緯度:θ=35度での接線速度は"ΩRcosθ=秒速379m"で,日本付近では回転速度は赤道より"約2割=秒速80m"くらい減少しています。

 したがって,赤道付近で発生した台風は地球のまさつにより"ΩR=時速1667km=秒速463m"の地球にひきずられて慣性による右向きの速度を持っていて,その右向き速度は北上しても全く変わらないものです。

 しかし,地球自身の回転速度は緯度が上がるにつれて次第に小さくなるものですから,日本付近では1秒間に80mくらいの割合で,右(東)へ右へとと逸れていくことになります。

 先にLPレコードの例で述べたように仮に北極で台風が発生して南下したとしてもそれは右に逸れていきます。

 実は北半球ではどこから投げた石も見かけ上,右に逸れていくわけです。

 例えばスナイパー:ゴルゴ13が1km遠方の標的を狙って狙撃しても,弾丸は僅かに右に逸れていくのでそれを勘定に入れて狙う必要があるわけです。

 もしも南半球なら逆に左に逸れるわけですね。

 こうした北半球で右にそれる現象は結局,遠心力などと同じく"見かけの力=慣性力"が働いていると考えることができて,それを発見者の名前にちなんでコリオリ(Coriolis)の力と言います。

 そして北半球での台風を考えると,台風ですから"中心=目の部分"の気圧が最低でまわりの気圧は目の部分のそれより高いわけです。

 風はどのように吹くか,というと水が高いところから低いところへと流れるように,風も気圧の高いところから低いところ目指してその気圧のスロープに沿って吹いていくわけです。

 もしもコリオリの力がなければ,風は"外周部から中心に向かって一直線に進む=落下していく"はずなのですが,コリオリの力によって気圧のスロープも右にねじれてしまっています。

 それ故,風は外周部から中心に向かっていくときに,右にフックして逸れていきながら,最後は中心の気圧最低の目に向かっていくことになり,そのために左巻き(反時計回り)になるのです。

 南半球での台風は逆に右巻き(時計回り)ですね。

 どこかの"バカな大学教授"は,風呂の水が排水口へと流れていき排水されるときに,北半球では左巻き(反時計回り)ですが,赤道を越えて南半球に入ったとたんに右巻き(時計回り)に変わる,などと主張したと聞きましたが,それは誤りですね。

 風呂の水程度の規模では地球自転の影響などは出てきません。

 たまたま排水口付近で左巻きの角運動量を持っていたら左巻きになり,逆なら右巻きになるというだけで,それはカオス現象,つまり偶然の産物でしかありません。

 しかし台風くらいの規模になると地球の自転がもろに効いてきます。

 遠心力の加速度は緯度θでΩ2Rcosθですから,最大でも重力の加速度の0.3%程度です。

 北極で体重100kg重の人が赤道で体重を測っても300g重くらいしか軽くはなりません。一方,コリオリの力の加速度は台風の北上の速度をvとして2Ωsinθ×vです。

 Ω=7,2×10-5/sですから,緯度θが35度で台風の北上速度が100mを10秒で走る程度の時速36km程度なら,加速度a=8.3×10-4m/s2であり,重力g=9.8m/s2の約0.01%程度です。

 そこで,コリオリの力の加速度は最大で重力加速度の0.3%程度しかない遠心力のさらに1/30程度にすぎませんが,台風程度の規模だとそれがかなり効いてきます。

 地球自転の証拠であるとされるフーコー(Foucault)の振り子をこのコリオリ力で説明することもできます。

 ニュートン(Isac Newton)は"慣性系の同等性=ガリレイの相対性原理"は認めても"回転系を含む非慣性系の同等性=マッハ(Mach)原理 → 一般相対性原理"を認めることをあきらめました。

 そして,彼が"絶対座標系=絶対空間"に固執せざるを得なかったのも,こうした"遠心力やコリオリ力の絶対性"を解消する道はない,という考えからだったという話もあります。

 こうした"見かけの力=慣性力"の扱いはとても悩ましいところがあります。

 (再掲終了)※

 そして,前後しますが2006年7/15の「一筆書き(トポロジー入門)」があります。

※(再び,再掲開始)

 昔,ケーニヒベルクの橋(Königsberg bridge=seven bridge)という数学の問題がありました。

 「大きな河が流れていて,その中に中州のような島が一つあり,そこから少し下流で2本の河に枝分かれして,その間は陸地になっている。

 その島には両岸から2つずつと,枝分かれした2本の河の間の陸地から1つの合計5つの橋がかかっており,分かれた2本の河にもそれぞれ陸地と岸との間に1つずつ橋があって,合計7つの橋がかかっている。

 この7つの橋をちょうど一回ずつわたる道筋があるのかどうだろうか?」という問題でした。(下図)

           

 これはスイスのオイラー(Euler)によってはじめて解かれた問題で,これがトポロジー(位相幾何学)という幾何学の始まりであるとされています。

 まあ,「平たく言えばある図形について一筆書きができるかどうか?」という問題です。

 一般に連結した図形,つまりどこかで必ず線でつながっていてところどころ交差した頂点になっているような図形についてのこうした問題はオイラーによって既に結論が出されています。

 こうした図形のどの頂点にも必ず,それにつながった線が何本かあるわけですが,対象としている図形が一筆書きできるのなら,着目した頂点が出発点でも終点でもない場合は,それに"つながっている線=連結線"の数は必ず偶数になるはずです。こうした頂点を偶頂点と呼びます。

 というのは,一筆書きの途中の頂点では必ず,入ってくる線と出て行く線とがあって,それぞれ1回ずつしか通れないわけですから,それらは同じ本数だけ無ければならないので,その頂点につながっている連結線の合計本数は偶数になるしかないからです。

 しかし,出発点と終点では,それらがもし同じ頂点でないなら,必ず入ってくる線か出て行く線かのどちらかが他方より1本多いわけですから,その頂点につながっている連結線の合計本数は奇数になります。これは奇頂点といいます。

 ところで,出発点,または終点であるような頂点は2つあるか,またはそれらが一致する場合,つまり1つだけあるかのどちらかです。

 もしも,1つだけしかない("出発点=終点"の)場合には,その頂点でも入ってくる線と出て行く線の数は同じですから,つながっている連結線の本数は偶数となり,このときは連結線の本数が奇数の頂点は全く無いことになります。

 というわけで,一筆書きができるかどうかは,「連結線の本数が奇数である頂点=奇頂点」の個数がゼロであるか,2であるかのいずれかである。ということになります。

 今得られたことは,上の条件が一筆書きができるための必要条件であること(つまり"一筆書きができるなら必ずこの条件が満足されなければならないこと”)の証明ですが,これが十分条件であること(=”図形がこの条件を満足するならそれは常に一筆書き可能であること")もほぼ自明です。

 これで,ケーニヒスベルクの橋の場合は奇頂点が4つ,偶頂点がゼロなので一筆書きできないということがわかりました。

 これはオイラーがはじめて証明したことです。(下右図はケーニヒスベルクの橋を模式図にしたものです。)

                         

 これから,オイラー数の公式などに始まるトポロジーという幾何学が生まれ,これはフランスのポアンカレ(Poincare')などによって発展させられていきました。

 最近のトポロジー関連の話題としては,解決した?というニュースもあったと思うのですが,そうなのかどうかはっきりしない有名な「ポアンカレ予想(Poincare' conjecture)」という問題が未解決な問題として残っています。

 ポアンカレ予想とは「単連結な3次元閉多様体は3次元球面に同相である。」というものです。

 多様体というのは通常の我々のユークリッド世界の点,曲線,曲面,立体とかいうものを一般次元でかつ非ユークリッドなものにも拡張したものの総称です。もちろん,我々の目に見える形有る物も全て多様体の一種です。

 同相あるいは同位相というのは,"一方から他方へとある連続写像でお互いに完全に1対1に重なって移すことが可能である",という意味で,合同という概念とは異なって形や大きさにはこだわらないという特殊な幾何学的概念です。

 単連結とは言ってみれば穴が開いてないという意味です。また閉多様体であるとは,いわゆる閉曲面のように閉じているという意味です。

 我々の世界の球面は3次元空間の中に埋め込まれた2次元球面であり,3次元球面というのは4次元以上の「空間=多様体」の中に抽象概念として仮想したものです。

 我々の単連結な2次元閉曲面が普通の2次元球面と同相なのは一見して明らかなことなので,3次元だと何故むずかしいのかについては数学の専門家ではないのでよくわかりません。

参考文献:瀬山士郎 著「トポロジー(柔らかい幾何学)」(日本評論社)

PS:上では未解決と書いた「ポアンカレ予想」はロシアの数学者グレゴリー・ペレルマン(Grigory.Y.Perelman)氏によって2003年に提出されていた証明論文が2006年7月に査読を通過した,ということで解決されました。    

                                     (再掲終了)※

PS:昨日も学校で実習がありました。

 実習では,私は高齢者で要介護などの障がい者のモデルになることが多いのですが,そもそも介護というのは"その方たち=利用者"の気持ちを斟酌することが大切だと思いました。

 例えば右片マヒというのはどういう身体の状態なのか?ということなどを考え過ぎ,役に入り過ぎて本当に右足が動かないつもりになったりして介護役に迷惑をかけたかもしれません。

 おかげで,そうした役で右足と左足を間違えるなどということはありませんでしたが。。。。

 また,外での車椅子での逆に介護役の場合でも,介護相手役( C.I さんでした)の身体が心配で水道栓などデコボコを避けたり,車道側をどうしても保護したいというような気持ちが自然に起きました。。。

PS:先週末の土曜日には,インターネット以前の時代のパソコン通信ニフティサーブのフォーラム時代からの旧知で mixi でもマイミクである「みゅーみゅーさん」が,昨年末に移った関西(大阪)から新宿方面に来られたという情報が入りました。

 ついなつかしくて連絡してしまいましたが,強行日程らしいとのことでした。また後日での出会いを楽しみにしています。

  ← みゅーみゅーさんのホームページです。また,近いうちにOFFをやりたいですね。

 また,翌日曜日にはfolomyの物理フォーラムで私の顔がディラック(Dirac)に似ている?とか何故か褒めて頂いている「like-mjさん」と私の地元の巣鴨で待ち合わせて初めてお会いしました。

 folomyは旧ニフティから有志が一部引き継いでいるコミュニテイです。

 ハンドル「like-mj」の「mj」というのは「マイケル・ジャクソン(Michael  Jackson)」と「ミラ・ジョボビッチ」のイニシャルから取ったのだそうです。

 「ミラ・ジョボビッチ」の方は,所持しているDVDの「ジャンヌ・ダルク」の主役と「フィフス・エレメント」の第5番目のelementとして私も印象に残っています。

 そういえば,「like-mjさんの」プロフィールにそのように書いてあったのを失念していました。

 彼はfolomyでの書き込みから予想したよりもお若い方でしたが,当日は楽しい時間を過ごさせていただきました。1週間遅れですが,色々とありがとうございました。

 ちなみに,私のこのブログのURLの「maldoror-ducasee」は,シュールレアリズムの祖とも言われているロートレアモン伯爵の詩集「マルドロールの歌」と本名の「イジドール・デュカス」から取ったのは皆さんご存知ですよね。

 (本当に大切なものは物理とか数学とかじゃなくて,もっと血の通った暖かいものだということが,もうほとんど先に望みのない今になってやっとわかったのかも知れない。) 

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2006年9月29日 (金)

物理的仕事と生理的仕事

 歳のせいか,最近左の肩が凝り左腕が痛いという症状に悩まされています。50肩の再発の予兆かもしれません。左手に物をぶら下げて持つだけで痛みが走ります。

  

 人間の身体というのは神が機能的に創られたのでしょうが,こうした物理的仕事をしなくても生理的仕事をすることにより身体のエネルギーを消費して疲れや空腹を感じるようにできているのは困ったものです。

 

 物理学,特に力学においては仕事というのは,"力×移動距離"で定義され,この移動距離というのは力の働く向きの成分だけを指します。そしてこの力学的仕事をする能力のことが"エネルギー"として定義されるわけです。

 

 したがって物を手にぶら下げているだけで全く動かないならば,腕は"重力に抗する力=重さを支える力を働かせていても移動距離がゼロですから,腕が行なう"力学的仕事=物理的仕事"というのはゼロであって力学的にはエネルギーを全く必要としないのですから,物理学,特に力学だけを考えるなら身体が疲れたり痛みを感じたりすることもないはずなのです。

 

 ではなぜ我々は重い物を持って立ち止まっているだけで身体はエネルギーを消費し疲れたり汗をかいたりするのでしょうか?

 金属疲労などという言葉はありますが,それは例えば機械の接合部などで繰り返し運動などによる物理的仕事を何回も受ける結果でありそのためにわずかでも振動などをするので移動距離があるからです。

 

 例えば金属で出来ているとは限りませんが,机の上に重い物を置いても机はもちろん剛体ではありませんから,その物体の重力を受けて最初はわずかに凹んだ後,弾性力によって反動を受け振動しても,その振動はすぐに減衰して静止した後には全く動かず,エネルギーを消費することはありません。

 

 こうした机や椅子とか建物の柱などの非生物が物を支えているだけで地震もないのに,すぐに疲労を感じて倒れたり壊れたりしたらたまったものではありません。 

 それに対して人間は鉄棒にぶら下がっただけでもやがて落ちてしまうというふうに弾性体の一つであるとも言えない弱いものです。

 

 まだしも腕などの外部筋が内蔵の腸などのように平滑筋でできていれば,その刺激に対する反応は比較的遅いので張力などに対して長持ちするはずなのですが,如何せん腕などというのは単に物を持つためだけにあるわけではないので,それは刺激に対して比較的反応が速い横紋筋でできています。

 

 それゆえ,引っ張られたりする刺激に対して急速に収縮と弛緩を繰り返すようにできているわけです。 

 物を下げていても外部的には動かないわけですから,何も物理的仕事をしていないのですが,実は"腕の筋肉=横紋筋"の組織は収縮と弛緩という振動運動のようなものを継続的に行なうことになるわけです。

 

 したがって,それは体の内部の筋肉自身にとっては物理的仕事をしていることに他ならないのです。

 

 そこで身体から発生する熱エネルギー(heat)などを用いてその物理的仕事をこなす必要があり,結果として疲れるわけですね。 

 これに対して鉄骨などで支えられている建物などが疲労を感じてバタバタ倒れたりしたのではたまったものではありませんが,それらが疲労したり倒れたりするのは現実に風や波や地震などの物理的作用によってわずかでも運動をするからです。

 

 つまり,"力×動き"の物理的仕事を受けたときだけ疲労するわけであって,静止しているだけでは人間のように疲労はしません。 

 まあ,人間も死体になってしまえば何か物をひもでぶら下げられたりしても疲労することはありませんがね。。。。

 

 張力でも圧力でも受けた刺激に対し化学反応などが起こって筋肉の収縮や弛緩の反応が起こるのも実は生きているという証拠なのかもしれません。 

 参考文献:ファインマン物理学Ⅰ(坪井忠二訳)「力学」(岩波書店)

 

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2006年8月22日 (火)

近視と老眼

 物理屋なので,人体の生理学の一分野であろう眼の構造には詳しくないのですが。。。

 確か近視のときは眼の水晶体レンズが厚過ぎるため遠方の物体からの光が網膜上よりも前に結像するので,ぼやけてしまう。

 一方,遠視のときは水晶体レンズが薄過ぎるために近くの物体からの光が網膜上よりも後ろに結像してぼやけて見にくいのである。

 という認識をしています。

 まあ,老眼は厳密には遠視とは異なるのでしょうが,遠近両用メガネがあるように近視で,かつ遠視である,という人が世の中には大勢います。

 これはある種の矛盾ではないかと,長年疑問に思っていました。近視の人は老眼になりにくいのではないか,とも思っていましたが,現実はそうではないので不思議でした。

 しかし,そもそも健康な眼では,遠方,近傍の両方が見えるように眼の毛様筋が水晶体レンズの厚さを調節するという働きをしている,ということです。

 ですから,結局は近視でかつ老眼というのは,毛様筋が焦点を機敏に調節できなくなった状態であり,うまく水晶体レンズを厚くも薄くも調節できないという病気であるのだと理解しました。

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2006年7月20日 (木)

人口増加とロジスティック曲線

 今日は軽い話題を一つ述べましょう。

 現在の人口をN 人としΔt 年間に人口 N 人に比例して (kΔt)N人だけ人口が増加するとします。今の時刻(年)を t とし増加率を k =b-d (bは出生率,dは死亡率)とします。

 kは一定であるとすると, t+Δt の人口:N1= N+ΔN人は,ΔN /N=kΔtによってN1=N (1+kΔt)となりますから,時刻(年) t+nΔtでの人口:Nn人はNn=N(1+kΔt)n となります。k>0 であれば,まさに人口はネズミ算的に増えてゆきますね。

 そしてΔt が無限小dtであるとすると,ΔN /N=kΔtはdN/dt=kN となりますから ,t=0 での人口をN=N0 人とするとN=N(t)=N0 exp ( kt )ですね。これを見ると,k>0 なら t → ∞ でN → ∞ ですが, k<0 なら t → ∞ で N → 0 であり絶滅してしまいます。

 しかし,実際には Δt の間にいろいろな災害や環境の変化などで増加率 k は一定ではなく,かなりの変化を受けると考えられます。

 一般に人口 Nが増えれば増えるほど個体の増加は妨げられる傾向がありますから,それは増加率がkから k(1-αN) (α>0 )になるという影響を与えるという効果で表わすことができます。

 このモデルをロジスティックモデルといいます。k(1-αN) (α>0 )において,αN>1なら人口Nは増加し,逆なら人口Nは減少しますね。

 このモデルでは,Nに対する微分方程式という形ではdN/dt=kN(1-αN)という非線形微分方程式になります。これを解くとN=N(t)=N0 /[αN0 { 1-exp ( - t )}+exp (-t ) ] です。

 これの描くN-t曲線がロジスティック曲線と呼ばれるものです。これを見ると t → ∞ の極限ではN → 1/αとなって,人口Nはある極限値に到達するわけです。それ以上は増加も減少もしません。

 ロジスティックモデルは実際に生態学(ecology)で個体の増加減少の履歴と一致する例が多々あり,人口にもこれが適用できると考えられます。

 正に「増え過ぎた生物は抑制される。」というのが自然の摂理ですが,人類は天敵がいないことや医学の進歩,(そして軍縮などによる戦争の減少?)などによって自然の摂理を破壊し生態系を破壊しつつあります。やがてこの自然の摂理の破壊の報いを受けるかもしれません。

 ところで,ロジスティック微分方程式のΔt の刻みを調節して中心差分の差分方程式として離散化すると ,k の値によっては,t が大きいところで不安定な人口増減の振動をするカオスの現象を起こすことが知られています。

 この不安定性は数値解析の目的で「離散化=差分化」を行なったために生じたものですが,現実の現象のモデルとしては時間刻みが無限小の微分方程式よりも時間刻み有限の差分方程式の方が適切かもしれません。

 カオスの例としては,ロジスティック模型のn+1=axn(1-xn)は典型的な例であり,a の値によっては「リー・ヨーク(Li-Yorke)の定理」においてカオスになる条件が満足されます。

(参考文献;山口昌也著「カオス入門」(朝倉書店)、山口昌也編著「数値解析と非線型現象」(日本評論社) )

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2006年6月22日 (木)

基礎科学(工学と理学)

 この世の中の学問には,自然科学または単に科学と呼ばれる分野がありますが,例えば物理学で言うなら「エジソン的なもの」,と「ニュートン,アインシュタイン的なもの」の2種類がある,という区別を意識されている方が,どのくらいおられるかは疑問です。

 前者は,いわゆる工学・技術(テクノロジー)という分野で,後者は理学という分野です。前者は実学であるとも言われます。後者は基礎科学と呼ぶべきものでしょう。

 もちろん,工学・テクノロジーは基礎科学の理論によって生まれたという見方もあります。実際,現在では理論ができて後に,それを基にしてできた機械という例もたくさんありますから,別に区別する必要はないという考え方もあります。

 しかし,そもそも産業革命で人力以外の機械がはじめてできたとされるワット(Watt)の蒸気機関にしても,理論などはずっと後付けでした。

 それを熱学として理論的に裏付けたのは,今では誤りだとされている「熱は熱素からできている」という熱素説の信奉者カルノー(Carnot)らでした。ただし,彼の理論のエッセンスは誤りではなく現在も生き残っています。

 このように,"理論=基礎科学"などなくても,テクノロジーだけが独立に発達する,ということもあったわけです。

 静電気などの電気・磁気にしても,ライト兄弟の作った飛行機にしても,原理の方は,後から追いかけていたわけです。

 私が学生時代に物理学を専攻していることを知っていた下宿の大家さんに,「電気器具が故障したので直してくれないか。」と頼まれて,手も足も出なかったという笑い話もあります。

 世間一般の意識なんてそんなものかな?と苦笑したのも,なつかしい思い出話の1つですね。

 @niftyの物理フォーラムやサイエンスフォーラムに参加している人の中にも,子供の頃から機械いじりや,化学など薬を使った実験が好きでたまらなかったり,あるいは天体望遠鏡などで星を眺めたりするのが大好きだ,という方達の方が,むしろ多いかもしれません。

 私は,学生のとき理論物理学が専攻だったのですが,そうした私と同じ専攻の人の中にはテクノロジーも両方ともできるし,興味がある,という人や,そもそもそちらから"理論=基礎科学"に興味を持つに至った,という人もかなりいるようでした。

 私も,そうした種類の人間だと誤解されているかもしれませんが,私は技術の方は,からっきし駄目です。

 私は,むしろ数学的体系を味わうことや,理論,原理を発見する,ことの方に興味があるから,理論物理的なことをやっているわけです。

 なぜかテクノロジーにしても,その原理とか,その技術の一部について新しい発見をする,とかいうことには興味がありますが,実際に実験したり,機械など物を作るとか,発明する,とかいうことにはほとんど興味がありません。

 医学でも,臨床外科医や歯医者などは,むしろ技術屋であって,医学部などの入試のためには数学を必要としたけれども,医者,歯医者になってしまえば数学など算数程度しか必要ないし,既に忘れてしまっている,という世界ではないかと思います。

 臨床医は,浪費家で何の業績も残していないと評判の悪い野口英世などで有名な医師免許も持っていない医学博士が結構いるらしい基礎医学分野での研究者とは一線を画しています。

 基礎医学はむしろ理学に属していて,生物学に近いですね。

  まあ,わかる人はわかると思いますが,私が理論物理学を勉強,あるいは研究したいと思うのは,大部分のそうした研究者と同じく,いわゆる芸術家的な興味です。純粋にその理論体系の美しさに魅了されているからです。

 私にとっては「物理学の探求=美の探究」でありまして,唯一普遍的な価値に近いと思っている「美」といういう価値観に基づいて,基礎科学に立ち向かっているわけです。

 しかし,この前にもある飲み屋でそこの主人についほろ酔い気分で自分の夢を語ったら,「それが何の役に立つのか?」と聞かれて「何の役にも立たない」と答えたら,バカにされましたね。

 「それじゃ自己満足なんじゃないの?」とね。でも,そう,その通りなんです。自己満足したいという目的でやっているのです。何せ,その他大勢の人々と同じく私もエゴイストですからね。

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2006年4月19日 (水)

マイナスイオン

   最近の家電製品,特に空気清浄機とかエアコンなどで,よく「マイナスイオンが出るから健康によい」というような宣伝文句が使われている。

 これまでも「売らんかな」というメーカーの思惑からインチキ臭いキャッチコピーがよく出され,「XX大学の○○博士も推奨している云々」と企業御用学者などが後押しをするという構図がよくある。

 そもそも常に「マイナスイオン」という言い方をしているけれど,イオンというのは日本語の科学用語では「陽イオン(positive ion)」,「陰イオン(negative ion)」と呼ぶのが普通なのであり,ことさらに「陰イオン(ネガティブイオン)」を「マイナスイオン」と呼ぶのは何か抵抗を感じる。

 一般にイオンには,いろいろな種類の物質イオンが無数に存在し,有害なもの,無害なものの両方が存在しているのであるから,何という物質の陰イオンであるかを明確に述べないのは何かいかがわしいにおいがある。

 もっとおかしいのは,「マイナス電子」などといううたい文句もあるらしいことである,そもそも,われわれの宇宙では電子の反粒子である陽電子は宇宙線の中などにごくまれにしか発見されないものですから,電子というのは99%以上マイナス電荷のものしかないわけです。

 そこで,電子のことをわざわざ陰電子などとは呼ばないので,マイナス電子というのはマイナスのマイナス電子と呼んでいるようなものだ。

 まあ,単位体積の中に数万個のマイナスイオンがあるなどという実験例も示されているようですから,何か空気とか水滴に関わる陰イオンなのだろう。

 昔,よくオゾン発生器などというものが売られ,森林の中などにはオゾンがたくさんあって空気がきれいで清清しいが,それを家庭で味わえる,などというような宣伝がなされていたこともあるので,何か,酸素を電離して酸素の陰イオンを発生させるようなものかもしれない。

 しかし,それらを発生させるには高圧放電などのかなり高いエネルギーを必要とし,それは企業のコストに見合うものであるか?,また空気清浄機程度の機器に果たしてそうした機能を組み込むことが可能なのか?も疑わしい。

 しかも,もし仮にオゾンとか酸素イオンのようなものとしても,それは光化学スモッグなどの環境汚染と関係し,また塩素と同じく漂白作用があるようなもので,必ずしも健康にいいとは限らず,むしろある濃度以上では有害なものである。

 それは例えば健康にいいとうたわれているラドン温泉の中などにある放射性物質ラドンも,微量ならある種の効能があるのだろうが,ラドンはいわゆる放射能のある放射性物質であり,建造住宅の中にある場合には厳しく規制されているようなものである。

 まあ,インチキかどうか,最終判断はできないが,科学的内容を明確に述べないで素人をだますようなにおいのするマイナスイオンなどというものは,私としてはオカルトの全部を否定することはできないが,,ある種オカルトめいた印象があるので,そうした宣伝文句がある家電製品にはかえって近づかないようにしている。

http://fphys.nifty.com/(ニフティ「物理フォーラム」サブマネージャー)

                                                  TOSHI

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