観測問題・量子もつれ

2007年2月16日 (金)

ベルの不等式(量子論と実在)

 今日は「量子論と実在」の問題と関連したEPRのパラドックス(Einstein- Podolski-Rosenのパラドックス)などと関わる1つの不等式の話をします。

 量子論の確率解釈に対し,それに反対したアインシュタインの有名な「神はサイコロ遊びをなさらない。」というセリフにあるような実在性の問題,"隠れた変数"と関わる問題はEPRのパラドックスを検証する方法が見つかれば解決するとされてきました。

 そして,こうした問題は実在であれば成立するはずのベルの不等式という論理学での2値論理に基づく1つの不等式が量子論においては成立しない,ということがアスペ(Aspect)らの実験などにより実証されたことで,1980年代には解決しました。

 では,このベルの不等式とはどういう内容の不等式なのでしょうか?

 今日はデスパニ(B.D'espagnat)の「量子論と実在」というレポートに基づいて,これを説明しようと思います。

 EPR実験と同様ですが,元の実験よりもはるかに考えやすいと思われる仮想的な思考実験を与えます。

 

 いくつかの陽子対について,そのスピンを測定する装置があるとします。初めに2つの陽子はごく接近した位置にあるとし,その後は2つの陽子が運動して互いにある巨視的な距離の程度に離れたとき,ある種のテストを行なうものとします。

量子力学によれば,陽子のようなスピンが1/2の1つの粒子のある任意の軸方向の成分は,アップとダウンの2つの値しかとらないことがわかっています。

 

以下ではこの2つの値をアップ,ダウンの代わりに,それぞれ+(プラス)と-(マイナス)で表わすことにします。

 

そして,それぞれの対をなす2個の陽子は一緒になってシングレット(一重項状態)と呼ばれる量子力学的配置を取っているとします。

 

このとき,それらのスピン成分は確実に負の相関を持っており,両方の粒子について同じスピン成分を同時に測定すると,1方の陽子のスピン成分がプラスなら,必ず他方の陽子のそれはマイナスであり,逆の場合はその逆として観測されます。

 

そして運動の初期の状態,すなわち陽子対に対応する陽子達が比較的接近していたと思われる状態では,実験対象の多数の全ての陽子対についてこの相関は十分に確立されていたとします。

量子論によれば,たとえ,どんな装置があろうと,一度に2つ以上のスピン成分は測れませんが,1つの装置で任意に選ばれた3つの軸のどの1つの向きのスピン成分でも測れるように調節可能なものを作ることはできます。

 

以下では,これらの3つの軸をA,B,Cで示し,実験結果を次のように書くことにします。

 

A軸方向のスピン成分がプラスであればA+と表示し,B軸方向のスピン成分がマイナスであれば結果はB-で与えられる,等々です。

そこで,多くのシングレット状態にある陽子対を用意して,これらの対の両方の陽子について,そのスピンのA成分を測る場合,ある対のうちの1つの陽子ではA+であり,他の対の1つはA-であるということがあるのは当然ですが,ある1つの対の1つのメンバーがA+であるときにはいつでも,そのもう一方のメンバーはA-であるということになります。

もしも,それとは別にB成分を測れば,1つの陽子がB+ならそれとシングレットを組んでいる相手はB-であり,同様に,1つのC+陽子は必ず1つのC-陽子を伴っています。

 

そして,以上の結果は軸A,B,Cの空間内での向きに無関係に成立します。

局所的実在論的理論では量子論では否定され,現実にはあり得ないとされる,単一の粒子のスピンの2つの成分を同時に測定する手段が何か存在すると仮定してよい,とされています。

 

そこで,仮にそうした装置が存在するとして,それで測定した結果,2つのスピン成分として,A+とB-を同時に持つと認められた陽子の個数をN(A+B-)と表記することにします。

 

このとき,通常の論理に従えば,陽子達のスピンのA,B,C3つの成分は測定するしないに関係なく,元々確定していたと考えることができて,その個数を,(A-B+C-),N(A+B+C-),etc.と表記できます。

 

それらは,当然,N(A+B-)=N(A+B-C+)+N(A+B-C-)なる式を満足するはずです。

同様に,N(A+C-)=N(A+B+C-)+N(A+B-C-),N(B-C+)=N(A+B-C+)+N(A-B-C+)も成立します。

それ故,N(A+C-)≧N(A+B-C-),N(B-C+)≧N(A+B-C+),かつN(A+B-)=N(A+B-C+)+N(A+B-C-)が成立するはずですから,N(A+B-)≦{N(A+C-)+N(B-C+)}なる不等式を得ます。

この不等式は以上のように全く形式的に導き出されてはいますが,ある単独の陽子の2つの成分を独立に同時測定できる装置が存在しない以上,このままでは,これを実験によってテストすることはできません。

しかし,個々の陽子ではなく,相関を持つたくさんの陽子対に対して測定を行なう実験では,上述の不等式の成否を確かめるのに,そうした不可能な測定を行なう必要はありません。

すなわち,AかBかCかのどれか1つのスピン成分について,それぞれの陽子をテストするという実験を行うと,偶然の一致で1つの対の中の両方の陽子に対して同一の成分を測ることがときどき起こることになるだろうと考えられますが,この種の結果は新しい知識を提供しないので無視すると,残った対はAB,AC,BCで表示される軸のスピンを測った陽子対となると考えられます。

 

こうした陽子対の個数をn(A+B+),n(A-B+),...と表わすことにします。

(A+B+)とn(A+B+)の違いは,N(A+B+)が単独の陽子の2つのスピン成分を持つ陽子の個数を示すのに対し,n(A+B+)は2つの陽子の一方がA+,他方がB+の陽子対の個数を示すことです。

(A+B-)というのは,ある1つの陽子が確実にA+かつB-を持つとされる陽子の個数なので,それと対をなす相手のメンバーの陽子は確実にA-かつB+を持つと考えられますから,そうした個数はN(A-B+)=N(A+B-)を満たします。

 

そこで,相関からn(A+B+)はN(A+B-)またはN(A-B+)に比例(すると考えてよいことになります。

 

同様にして,n(A+C+)はN(A+C-)に,n(B+C+)はN(B-C+)に比例すると考えられ,これらの比例係数は共通であると予想されます。

したがって,不等式N(A+B-)≦{N(A+C-)+N(B-C+)}は,不等式n(A+B+)≦{n(A+C+)+n(B+C+)}と変換されることになります。

 

これがベルの不等式の1つの形式です。これなら,現実の実施可能な実験によってテストすることが可能なわけです。

そうして,この不等式がアスペの実験などで否定的な結果を得たため,アインシュタインらの実在論者は敗北し,量子論の非局所性が正当化されるきっかけとなったのでした。

参考文献;B.デスパニャ(Bernard D'espagnat)「量子論と実在」(The Quantum Theory and Reality.) (日経サイエンス1980年1月号)

 

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2006年10月23日 (月)

観測の問題(デコヒーレンス)

 今日は,観測に伴なって固有状態の"干渉項が消滅すること=デコヒーレンス(decoherence)",の現象を最近の理論に基づいて述べてみたいと思います。ただし私自身は本質的には多世界解釈の方に傾いています。

 まず,"観測可能量(オブザーバブル)=物理量=線型演算子":O^と,そのあらゆる固有値:oiに属する固有状態|i> (O^|i>=i|i>)があり,これが完全系を形成している,つまり∑i|i><i|=1が成立しているとします。

"任意の状態=純粋状態":|ψ>は|ψ>=∑ii|i>と展開可能で,この同じ状態|ψ>において,物理量O^を状態を乱すことなく独立に多数回観測したときにはO^の固有値以外が観測されることはなく,観測値がoiである確率が|ci|2で与えられます。

 

そして∑i|ci|21が成立しているというのが量子力学の観測に関する枠組みと考えられます。

しかも,通常は固有状態|i>は正規直交化されていて,<i|j>=δijなのでci=<i|ψ>なる式が成立しています。

したがって,この純粋状態|ψ>における物理量O^の観測値の"期待値=平均値"は,<O>ψ=∑i|ci|2i=∑ii|ψ><ψ|i><i|O^|i>=∑i<ψ|i><i|O^|i><i|ψ>=<ψ|O^|ψ>で与えられます。

 

つまり,<O>ψ=<ψ|O^|ψ>であり<O>ψ=∑i<ψ|O^|i><i|ψ>=∑i<i|ψ><ψ|O^|i>=Tr(PψO^)となります。

ここで射影演算子とよばれるPψはPψ|ψ><ψ|で定義され,物理量X^の対角和はTr(X^)≡∑i<i|X^|i>で定義されます。

 

そして対角和の値が,これを定義する完全系{|i>}の選択に依らないことも簡単にわかります。

ところで,もしもこの体系が,状態間の干渉が存在するような状態の重ね合わせのみで成り立つ純粋状態ではなく,情報の欠如などによって統計的に純粋状態:ψ,φ,χ,...がそれぞれ確率:W(ψ),W(φ),W(χ),...で混合している混合状態であるとすればO^の期待値は<O>=∑ψ(ψ)<ψ|O^|ψ>で与えられます。

 

これも,<O>=∑ψ(ψ)<ψ|O^|ψ>=∑ψiW(ψ)<ψ|O^|i><i|ψ>=∑iψ(ψ)<i|ψ><ψ|O^|i>=Tr(ρ^O^)となり,純粋状態の<O>ψ=Tr(Pψ)と同じ形に書けます。

 

ここでρ^はρ^≡∑ψ(ψ)|ψ><ψ|=∑ψ(ψ)Pψと定義されて統計作用素(密度演算子)と呼ばれます。

対象となる体系のハミルトニアンをHとすると統計作用素ρ^も時間に依存する量子力学の線形演算子に相違ないので,ハイゼンベルクの運動方程式:ic(∂ρ^/∂t)=[H,ρ^]を満足します。(ただしhc≡h/(2π):プランク定数です。)

 

実は状態|ψ>はシュレーディンガー表示の時間を含む状態ベクトル|ψ(t)>で,これがシュレーディンガーの方程式:ihc(∂/∂t)|ψ(t)>=H|ψ(t)>を満たします。

 

逆に統計作用素ρ^≡∑ψ(ψ)|ψ(t)><ψ(t)|が時間tを含むハイゼンベルク表示の作用素=演算子となるため,ハイゼンベルクの運動方程式:ihc(∂ρ/∂t)=[H,ρ^]を満たすと考えてよいわけです。

時間発展の演算子をU(t',t)=e-iH(t'-t)とすると|ψ(t')>=U(t',t)|ψ(t)>ですから,ρ^(t)≡∑ψ(ψ)|ψ(t)><ψ(t)|によってρ^(t')=U(t',t)ρ(t)U(t',t)-1となります。

 

統計作用素ρの時間発展はユニタリ変換によって行われるのでρ^や,ρ^に関わる関係式は時間発展によって変化しません。

簡単のため,スピンが1/2の区別できる粒子が2個ある体系について考察します。

 

スピン1/2の1粒子のスピン角運動量の演算子をとすると2行2列の行列表示ではパウリのスピン行列σを用いて=(c/2)σと表わされます。そしてσz の固有値+1,-1の固有状態をそれぞれ|α>,|β>とします。

 

2つの粒子それぞれのこうした状態を,それぞれ|α(i)>と|β(i)>(i=1,2)で指定することにします。

このとき,全系の任意の状態ベクトルは(1)>|α(2)>,|α(1)>|β(2)>,|β(1)>|α(2)>,|β(1)>|β(2)>の1次結合で表わされます。

 

そして,例えばスピンがゼロの状態は|0>=(1/21/2)(|α(1)>|β(2)>-|β(1)>|α(2)>)で与えられます。

 

この状態での統計作用素ρ^0はρ^0 =(1/2)(|α(1)>|β(2)>-|β(1)>|α(2)>)(<α(1)|<β(2)|-<β(1)|<α(2)|)=(1/2)(|α(1)><α(1)|×(2)><β(2)|-|α(1)><β(1)|×(2)><α(2)|-|β(1)><α(1)|×(2)><α(2)|+|β(1)><β(1)|×(2)><α(2)|)となります。

 

ここで記号×は直積を表わしています。そしてこのρ^0は確かに,純粋状態を示す統計作用素=射影演算子です。

ここで,一般に粒子1のみに関する物理量S(1)を測定する場合を想定すると,このときも対象としては全体系ですから,物理量を表わす作用素はS(1)×(2)です。

 

その期待値は<S(1)×(2)>=Tr(ρ^(1)×(2))=∑ij<i(1)|<j(2)|ρ^(1)|j(2)>|i(1)>=Tr(ρ^(1)(1))と書くことができます。

 

ここでρ^(1)<j(2)|ρ^|j(2)>=Tr,2(ρ^)です。

そして,部分系である粒子1の物理量S(1)の測定の期待値は全て<(1)×(2)>=Tr(ρ^(1)(1))の形で表わせるので実質的にρ^(1)が部分系である粒子1の状態を示す統計作用素であるとみなすことができるでしょう。

ここでρ^=ρ^0 とすると,ρ^0(1)=<α(2)|ρ^0(2)>+<β(2)|ρ^0(2)>=(1/2)(|α(1)><α(1)|+|β(1)><β(1)|)です。

 

そこで,全系が純粋状態であっても部分系である粒子1の状態はz成分のスピンが上向きと下向きが1対1に混合した混合状態となることがわかります。

話を戻して,体系の状態が|ψ>で物理量O^の固有状態での展開が|ψ>=∑ii|i>(∑i|ci|21)で与えられるとします。

 

O^の測定装置はマクロな物体ですが,装置も状態ベクトルで表わすことができると仮想して,その初めの状態を|o>A,対象が状態|i>にあるときそれを測定したときの対象=体系と装置の変化を|i>|o>A|i>|i>Aとします。

そこで,|ψ>を測定したときには|ψ>|o>A → ∑ii|i>|i>A となりますが,この最後の状態はもちろん純粋状態であって,物理量O^の期待値を取れば当然|i>|i>A 間の干渉が現われるはずです。

 

最初の状態が純粋状態であって時間発展がユニタリですから当然それは予想されたことです。

しかし,我々の観測の経験では測定の最後の状態は|i>|i>Aの状態がW(oi)=|ci|2の確率で混じり合っていて,決して干渉作用など起きない混合状態です。

簡単のために,1電子のスピンのz成分を観測するシュテルン・ゲルラッハ(Stern-Gerlach)の実験のようなものを考察します。

 

これは,不均一な磁場の中にスピン磁気モーメントを持つ電子が入射してスピンが上向きか下向きかが検出される実験です。

 

入射電子はある一定のスピン状態にあって|ψ>=(c1|α>+2|β>)|φ>,(|c1|2|c2|21)であるとします。

 

ただし,|φ>は電子線の空間的運動を表わす状態ベクトルです。

 

入射電子が磁場の中を通るとスピンの向きによって空間的運動は上下に分裂するので|ψ> → |γ>≡c1|α>|φ>+2|β>|φ>となります。

そして,上下にある検出装置の統計作用素=密度行列をそれぞれρAαAβとし,対象と装置の全体系の"統計作用素=密度行列"をη0とすると,これはη0=|γ><γ|×ρAα×ρAβ=(|c1|2ρ++|c2|2ρ--12*ρ+-21*ρ-+) ×ρAα×ρAβと書けます。

 

ここで,ρ++=|α><α|×><φ|,ρ--=|β><β|×><φ|,ρ+-=|α><β|×><φ|,ρ-+=|β><α|×><φ|です。

測定装置が状態ベクトルで表わされている状況では,ユニタリ性の故,測定の結果として,干渉項ρ+--+が消えることは決して有り得ないことです。

 

そこで装置は初めから混合状態にあると考えます。すなわちマクロな装置はN個~アボガドロ数個程度の粒子の集合系であり,このN粒子の系の多数の状態ベクトルの混合状態が装置を表わしていると考えるわけです。

そして,測定にはある時間にわたって全体系の密度行列η0を調べる必要があります。

 

それぞれ,N,N'粒子系から成る上下の検出装置に対してη0(N,N')≡|γ><γ|×ρAα(N)×ρAβ(N')と定義します。

 

相互作用が起こる直前の時刻をt0 として時刻tでの全体系の統計作用素をN,N'を省略してη(t)と書くと,η(t0)=η0に対しη(t)=∑N,NW(N)W(N')(t,t0)η0(N,N')(t,t0)-1(ただし∑(N)=1)と書くことができます。

η0(N,N')=|γ><γ|×ρAα(N)×ρAβ(N')において,例えばρ+-に関わる部分は|α><β|×><φ|×ρAα(N)×ρAβ(N')です。

 

装置との相互作用部分がスピンに依らないとすれば,時間発展は(t,t0)>ρAα(N)<φAβ(N')(t,t0)-1となります。

 

ここで,|φ>はρAα(N)のみ,<φ|はρAβ(N')のみと相互作用するので左右に分けました。

 

tを相互作用が終わった時刻とし,N個の粒子の個数に比例する運動長さの単位をL(N)とすると,そのオーダーはL(N)~N1/3です。

 

そして,比例定数として波数因子kを掛けた位相の変化があると考えられるので,左の(t,t0)>ρAα(N)は因子eikL(N)を,右の<φAβ(N')(t,t0)-1は因子eikL(N')を含むはずです。

ここで,η(t)=∑N,N’...を連続化して積分式にすると,η(t)=∫dL∫dL'W(L-L0)W(L'-L0)(t,t0)η0(L,L')(t,t0)-1(ただし∫dL(L-L0)=1)となります。

 

位相部分だけに着目すると,L(N)~N1/3が大きい極限での密度行列要素はρ++→ 1,ρ--→ 1,ρ+-→eik(L-L')-+→e-ik(L-L')となります。

 

ところで,リーマン・ルベーグの定理によれば,L,L'が無限大の極限では∫dL∫dL'W(L-L0)W(L'-L0)eik(L-L') → 0 となります。

 

このことから"統計作用素=密度行列"からρ+-とρ-+の干渉項が消えてρ++とρ--の項のみがそのままの形で残ることになり,事実上デコヒーレンスが実現されることになると考えられます。

ただし,清水明氏のhttp://as2.c.u-tokyo.ac.jp/archive/MathSci469(2002).pdfの「量子測定の原理とその問題点」に書かれているように測定装置のほかに環境も含めたとしても干渉項のオーダーは観測時間をT,光速をcとしてexp[-(正定数)×cT3]が限界であって決して正確にゼロになって消えるわけではないという問題は残っています。

一方,szの測定によって必ずしもσzの固有状態である|α>,|β>が観測されると考える必要はないという本質的な問題もあります。

 

例えば,|χ±>≡(1/21/2)(|α>±|β>)(複号同順)はσxに対してのスピンの+,-の固有状態です。

 

先の統計作用素において非干渉成分としてρ++=|α><α|×><φ|,ρ--=|β><β|×><φ|の代わりに,ρ'++=|χ><χ|×|φ'><φ'|,ρ'--=|χ><χ|×|φ'><φ'|が残ると考えても何の不都合もないからですね。

こちらの問題は(猫生)か(猫死)のどちらか一方のみの状態が観測されるとして定式化しても,それらの重ね合わせ状態が観測されるとして定式化しても,"統計作用素=密度行列"のデコヒーレンスだけからは,それらは全く同等であるということから多世界解釈の問題でもあり超選択則に関わる問題ですね。

 

例えば変換群の異なる既約表現にまたがる重ね合わせ状態は観測されない,とかの原理的問題であると思います。

 

具体的には既約表現の問題とはちょっと違うかもしれないけどアイソピン(荷電スピン)に関わる2次元特殊ユニタリ群SU(2)において陽子と中性子の重ね合わせ状態は決して観測されない,というのも超選択則の例です。

 

これに対してφメソンやKメソンには通常混合(mixing)がある状態で存在するので,自然がどういうメカニズムになっているのかは不思議なことです。

 

これに関しては,観測を行なう以前の物理系の状態を記述する"波動関数や密度行列をも実在であると考えるかどうか?"という哲学的な問題も関連あるかもしれません。

 

参考文献;町田茂 著「基礎量子力学」(丸善),ボーム 著「量子論」(みすず書房)

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2006年9月18日 (月)

中心極限定理と多世界解釈

 確率現象で現われる中心極限定理(the central limit theorem)とは,通常は"m個の確率変数:Xj(j=1,2,..,m)が互いに独立で,平均値μjと分散σj2を持つとき,X=∑j=1m(j-μj)/(∑j=1mσj2)1/2の従う分布はm→ ∞ のとき,正規分布:N(0,1)に収束する。"という定理のことを言います。

 

 すなわち,"変数X=∑j=1m(j-μj)/(∑j=1mσj2)1/2がa≦X≦bの範囲にある確率Pr(a≦X≦b)は,m→ ∞ のとき∫ab(2π)-1/2exp(-x2/2)dxに収束する。"というものです。

これを証明するには,特性関数[exp(itx)],つまり,exp(itx)の期待値が,m→ ∞ の極限でexp(-t2/2)に近づくことを証明するだけでいいので,この意味での中心極限定理の証明は割愛します。

 一方,大数の法則においてよく引き合いに出されるのは独立試行(ベルヌーイ試行)の分布における試行回数が無限大の極限です。

 

 ある事象が起こる確率をpとするとき,N回の独立試行で,その事象がX=n回起こる確率Pr(X=n)が二項分布:Pr(X=n)=NnnN-n (q=1-p)に従うことはよく知られています

 

 この分布では,平均値がμ=Np,分散がσ2=Npqですが,これらが有限値のままN→ ∞ に移行した極限では,これは,まずポアソン(Poisson)分布に近づき,そしてY=(-μ)/(σ2)1/2=(-Np)/(Npq)1/2と変数変換すれば,Yの確率分布が正規分布:N(0,1)に近づくことになります。

 

 この二項分布の正規近似もやはり中心極限定理と呼ばれると私は思っています

 これは,具体的にはスターリングの公式と対数のテイラー(Taylor)展開公式から,NnnN-n → [N/{2πn(N-n)}]1/2(Np/n)n[Nq/(N-n)]N-n (2πNpq)-1/2exp[-(n-Np)2/(2Npq)]が導かれることによって,従うわけです。

 ところで,「数理科学」2002年7月号の和田純夫氏の記事「状態の保存と波動関数の解釈」(多世界解釈)によると次のような意味のことが書かれていると私は思いました。

 

 例えば,スピンのアップ・ダウンのように超選択則に関わる2値関係の物理量,つまり,測定値がα,βのいずれかしか取り得ない物理量に関し,系の状態ベクトルがa|α>+b|β>(|a|2+|b|2=1)で与えられているとします。

 

 このとき,N回の測定において測定値がαである頻度とは,この同じ状態にある粒子をN個用意して全てを同時に測定するときのαの頻度のことを意味します。

 そして,a|α>+b|β>(|a|2+|b|2=1)で示される全く同等な状態粒子をN個用意した状態は,|N>≡(a|α>+b|β>)Nなる状態ベクトルとして表わされます。

 

 そして,N回の独立な測定で測定値がαになる回数がrである状態,つまり相対頻度がr=n/Nである状態は,規格化すると|r>≡(Nn)-1/2{|α>n|β>N-n+(これらの全ての置換項)}なる形になるはずです。

 

 この|r>によって,|N>=(a|α>+b|β>)Nを|N>=∑c(r)|r>と展開したとき,展開係数のノルムの平方|c(r)|2は,相対頻度がr=n/Nであるときの共存度になることを意味します。

 そして,具体的に上のc(r)を書き下すとc(r)=(Nn)-1/2nN-n となるはずで,それゆえ共存度は|c(r)|2Nn|a|2n|b|2(N-n),すなわち,p=|a|2,q=1-p=|b|2の二項分布です。

もしも,N|a|2とN|a|2|b|2がN→∞ に対して有限に留まるなら,上に述べた二項分布の中心極限定理によって,|c(r)|2 (2πN|a|2|b|2)-1/2exp[-(n-N|a|2)2/(2N|a|2|b|2)]となるはずです。

 

しかし,今の場合はN→ ∞ に対して|a|2がゼロに収束するわけではないので,N|a|2は有限でなく,むしろ|a|2自身が有限かつ一定です。

 

そこで,nではなくてr=n/Nを変数として,規格化すると|c(r)|2 [N/(|a|2|b|2)]1/2exp[-(r-|a|2)2/(2|a|2|b|2/N)]となると考えるべきです。

  

この極限での|c(r)|2はrで積分すると1になり,分散はσ2|a|2|b|2/N→ 0 です。したがって,これはr=|a|2でのみ ∞ で,それ以外ではゼロでrで積分すると1なのですから,|c(r)|2 ~δ(r-|a|2)であるはずです。

 

この計算結果は,"1回の測定で状態が|α>である確率が|a|2である"という通常の波動関数の意味での確率解釈が,"測定回数Nが無限大のときの相対頻度r=n/Nが大数の法則に従う結果|a|2になる"という形で実現される例になっています。

 

以上が記事に対する私の解釈ですが,私自身は必ずしもエヴェレット(Hugh Everett)に始まる多世界解釈を全面的に信奉しているというわけではありません。

 

一方,ロジャー・ペンローズ(Roger Penrose)らによる多世界解釈に対する批判があります。

 

これは,そもそもスピンであれば,アップとダウン|α>と|β>の重ね合わせ状態,また|猫生>と|猫死>の重ね合わせ状態も多世界解釈では観測できることになるというのがおかしい,というものだと思います。

 

しかし,そうした人間の意識や観測装置による超選択則がなぜ生じるのか?例えば陽子と中性子は観測されるのに,なぜその重ね合わせ粒子は観測されないのか?などという問題はまた別の問題だと私は思っています。

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2006年6月 3日 (土)

多世界解釈と超選択則

 量子力学の観測の問題では,状態の収縮という悩ましい話があります。

 こうした観測における収縮のメカニズムなどの合理的解釈が不明であっても,物理学として理論展開したり,工学的に応用するなどについては,量子力学に問題はありません。

 しかし,測定装置と干渉して観測と同時に波動方程式からはずれて固有状態に収縮するという話にはかなり無理があり,"ユニタリ性(unitarity)=連続的時間発展の局所時刻での確率の保存"を破るというのは,いかがなものかとは思います。

  まず,観測と同時に波動関数で記述される純粋アンサンブルの状態から,密度行列でしか記述できない混合アンサンブルの状態に飛躍する,といういわゆるデコヒーレンスの問題があります。

 これは測定装置そのものが莫大な粒子から成る巨視的存在であるという理由から,位相を伴なう部分は激しく振動するためにリーマン・ルベーグの定理により消える,つまり"干渉部分は消え落ちる=デコヒーレンスが起きる"という理論で解決される,という理論がかなりもっともらしいです。

 これは,最近の「並木・町田理論」を例示するまでもなく,かつてのボーム(David Bohm)の標準的著書「量子論」の中に,その思想が見られる興味深い話ではあります。

 しかし,観測によるデコヒーレンスという問題ではなく,実際に観測でただ1つの状態が如何にして選択されるのか?という問題もあります。

 これについては,「数理科学」という雑誌の中の記事で和田純夫氏の報告を読んだだけですが,上記の問題を説明するために多世界解釈という理論があるという話には,かつて私は大いに感銘を受けました。

 つまり,"この世界=宇宙全体を記述する状態ベクトル=波動関数"は観測に関係なく,ホイヘンスの原理のように,あらゆる経路の途中で分岐し,かつ重ねあわされて発展していくというわけです。

 創始者のエヴェレット( Everett )流の素朴な解釈のままでは,幾分SF的な多重宇宙の存在という話になりがちですが,こうした多世界解釈の現代的理解は状態の時間発展を経路積分で定式化したときの物理的イメージと重なるものと考えることができます。

 そもそも,量子論そのものがそういう時間発展形式をしているのですから,観測行為とは状態を乱すものではなく状態の経路の1分枝を捉える作業に過ぎず,決して波動関数が収束するわけではない,という思想はとてもすばらしいと思いました。

 ただ,ロジャー・ペンローズ(Roger Penrose)氏らの"状態ベクトル,あるいは波動関数そのものが実在(reality)である。"とみなす立場からは,ある物理量,例えばスピンの固有状態,つまり固有値のみが観測されて,なぜ重ね合わせ状態は観測されないのか?という問題は多世界解釈では説明がつかないと主張されています。

 すなわち,多世界解釈では,いわゆるシュレーディンガーの猫の生死各々の状態と同じく生と死の重ね合わせ状態も対等に観測可能な状態である,という意味で何の解決にもなっていないではないか?という批判があります。

 実際,物理量の固有値,そして固有状態がなぜその固有値をとる状態のみが観測の際に特別視されるのか?,なぜ猫の生と死という特別な2つの状態のみが観測において選択されるのか?という問題があります。

 あるいは,スピンなら,なぜアップとダウンのみが選択されるのか?,核子なら,なぜ質量殻上ではアイソスピンのアップ・ダウン固有状態である陽子と中性子のみ選択されて,それら陽子と中性子の重ね合わせの状態は観測されないのか?というような問題もあります。

 これらは,量子力学の観測という狭い論題ではなく,むしろ,人間の脳が生死という択一的な状態しか認識できないという認識能力の問題に抵触する話で,単に物理学だけでは割り切れないデリケートな哲学的問題ではないかと思っています。

 これらは,量子論ではいわゆる超選択則というルールを導入することで簡単に片付けられていますが,観測問題においてはとても悩ましい問題である,と私は感じています。

 これについては,多世界解釈に限らず現状の如何なる観測解釈でもまだ十分な説明はなされていないでしょう。

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2006年5月 4日 (木)

量子通信(神はサイコロ遊びをなさる「つづき」)

量子コンピュータの話をしたので,ついでに量子通信の可能性について述べておきましょう。

一般に情報の伝達速度は最高でも真空中での"電波=電磁波"の速さでしかない,つまり光速以上の速さでは意味のある物や事は伝わらないというのが現代の常識です。

光速を超える速さの粒子としては,かつてオーストラリアの学生だったかが,後にタキオン(tachyon)と名付けられた超光速粒子を発見したというニュースがあったらしいです。

 

しかし,それを追検証しようと当時の人々が努力したにも関わらず,結局再び観測することはできず,結局,幻の粒子とされたという経緯があったと聞きます。

タキオンというのは,日本では競馬の馬の名前にもなりましたが,もしそうした粒子が存在すれば,それは虚数質量を持ち,決して止まることはできず必ず光速以上の速度を持っていて,加速しようとエネルギーを与えると逆に減速してしまうという奇妙な粒子です。

 

それに,虚数質量というのは物理的にはどういう意味なのかもわかっていません。

かつて,日本で唯一?のハードSFの作家であり遅筆で有名な堀晃(ほりあきら)氏の短編小説集で「太陽風交点」とか「恐怖省」とかというのを読みました。

 

その中ではよくタキオン通信というのが描かれていて,担当者はその通信をした代償として記憶喪失になる,というのがありました。

 

実際,タキオンがあると"巨視的因果律=結果は必ず原因よりも後に起こる。"という自然現象の基本原理が破れてしまうので記憶喪失というのはよくできた設定だと思います。

一方,量子通信というのは,別にタキオンを利用するわけではなく(そもそもそんなものは今のところ存在が確認されていません。),量子力学の非局所性(non-locality)を利用するものです。

つまり,量子テレポーテーションという言葉もあるように,量子力学では2つ以上の場所に同時に存在できるわけで,これは相対論にも反することです。先に述べた巨視的因果律にも違反します。

 

かつて,アインシュタイン(A.Einstein)らは「EPRのパラドックス(Einstein-Podolski-Rosen paradox)」という思考実験を提示し,量子論の一般的解釈は相対論(特に因果律)に矛盾するから間違っている,と主張しました。

これについては,記号論理学で成り立つベルの不等式(Bell's inequality)が,"量子論的なブール代数=量子論理"では破れるということがわかっていたのですが,そのことを実際に実験で確かめることで決着が付きました。

 

それは1980年代に実施されたアスペ(Aspect)の実験などの種々の実験の結果でした。この結果,アインシュタインらの主張が斥けられて彼らの敗北という結果になったわけです。

 

やはり,神はサイコロ遊びをなさる。(God does play dice.)というのが正しかったのですね。

量子論では2つの場所に同時に存在できるわけです。粒子といえども完全に粒子ではなくて拡がりのある波(wave)でもあるわけですから,決して不思議ではなく同じ1つの波の一部がそれぞれ確率的に東京と大阪に同時にあっても不思議ではないわけです。

 

極端にいえば,ハイゼンベルク(Heisenberg)の不確定性原理により,"速度の確定した1つの波=平面波"であれば同一の確率で全宇宙のあらゆるところに同時に行き渡っているということになります

量子論の方程式であるシュレーディンガー方程式(Schrödinger equation)は自由粒子の場合には,いわゆる古典的拡散方程式の時間という実数パラメータを純虚数時間に置き換えれば得られるものです。

 

そもそも拡散方程式は,放物型の偏微分方程式であるということもあって,解は波(波動)とはならず,拡散現象は相対論を破る非局所的な解をもたらす方程式です。つまり,拡散は光速よりも速く影響が瞬時に伝わるという定式化になっています。

この拡散方程式の時間を虚数にして得られるものがシュレーディンガー方程式ですから,その解が非局所的でテレポーテーションが可能なことを示し,巨視的因果律を破るものであるとしても不思議ではないわけです。

 

そして,虚数を入れたために放物型方程式なのに解は波動になります。シュレーディンガー方程式を特殊相対論と結合したディラック方程式(Dirac equation)においても状況は同じです。

 

ただ解である波動関数,あるいは確率波は直接観測にかかる量ではないので,その意味では因果律を破るとは言えないかもしれません。

相対論を含む現代の量子論では,巨視的因果律は破れても微視的因果律は破れてはいません。後者は"空間的(space-like)に離れた2時空点における物理量の交換関係はゼロである,つまり物理的に無関係である。"というものです。

 

空間的に離れた2時空点というのは,光速信号でつなぐことが不可能な2つの事象(出来事)のことです。

だから,情報伝達が可能であるかどうか?という意味では量子論の非局所性は実用的ではないのではないか?,と私は思っていたのですが,量子コンピュータと同じく,そうした問題はクリアされる道があるらしいということです。

 

ただ,それについては,私はまだ上に述べてきた認識があるくらいで十分な知識を仕入れているわけではありません。

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公開キー暗号(神はサイコロ遊びをなさる)

 先ほど「パズル・パレス(迷宮)(The Puzzle Palace)」という暗号の解読に関わる小説を読み終えたところです。

 

 これは「ダヴィンチ・コード(The Da Vinci Code)」というベストセラー小説を書いたダン・ブラウン(Dan Brown)の処女作です

 

 確かに両方の著書はよく似ています。この著者は小説の中に自然科学とか数学とかを神秘的なテーマとして含ませるのが特徴のようです。

小説「パズル・パレス(迷宮)」の中では暗号特に公開鍵(キー)暗号の話がよく出てきます。

 

この暗号はアメリカの中央情報局(C.I.A)などが実際に使っているらしく,現状では事実上解読不可能なものですが,もしも後述するような量子コンピュータができたなら解読できるだろうと予測されるものです。

公開キー暗号,特にRSA式公開キー暗号について私が興味を持ったのは,シルヴァーマン(J.H.Silverman)著の「はじめての数論」という整数論の本を,一昨年だったか昨年だったかに読んで,その中に書かれていた内容からそれを知ったのがきっかけでした。

 

この本は,私がスタッフをやっている「ニフティ・物理フォーラム(@nifty Fphys)」の母胎の「ニフティ・サイエンスフォーラム(nifty-serve FSCI)」の数学会議室で長年の間,"議長=世話役"をやっておられ,ホームページに移った後もスタッフとして残っておられるプークさん=鈴木治郎氏が翻訳されたものです。

 

RSA式公開キー暗号は,いわゆる合同式に関する方程式を解くことで解読するものです。そこでまず,合同式というのはどういうものか?ということから説明しましょう。

 

a,bを整数の組として,a≡b(mod 7)のように書かれた式を合同式といいます。この記号は,"7を法(modulo)としてaはbと合同である。"と読みます。

 

そして,a≡b(mod 7)は,"aとbをそれぞれ7で割ったとき,それらの余りが全く同じである"ことを意味します。例えば,6≡20(mod 7),6≡-1(mod 7),103≡68(mod 7)...ということになります。

 

言い換えると,a≡b(mod 7)というのは,"aとbの差:(a-b)が7で割り切れるとき,そのときに限ってaとbは合同である。"という意味ですね。法(modulo)は7とは限らず,一般に,8≡41(mod 3),222≡57(mod 11)などと書けます。

RSA式暗号では,"複雑な合同式x131758(mod 1073)を満たす最小の自然数xを求めよ。"というような合同式の方程式を解くことが暗号解読につながります。

 

この合同式の方程式x131758(mod 1073)をどうやって解くのかについては,話が長くなるので省略しますが,要するに1073をすべて素数の積に素因数分解できればこれを解くことができます。

素因数分解というのは,例えば120=2×2×2×3×5というように,左辺の120を全てが素数の積に因数分解することを言います。もちろん,素数(prime number)とは1以外で自分自身と1以外に約数を持たない自然数のことです。

1073の場合は,素因数分解が1073=29×37だということは容易にわかるので,その結果としてx=905と計算できるわけです。つまり,905131 758(mod 1073)という式が成立します。

例えば,xk ≡y (mod m)という合同式において,予めk=79921,m=163276821という値を知っていて,右辺のyとして5つの数のリスト:(145387828,47164891,152020614,27279275,353564912)が暗号として送られてきたとします。

 

これらの最初の数:y=145387828についての方程式79921 ≡145387828 (mod 163276821)の解xを求めるには,mがm=163276821=12553×13007と素因数分解できることがわかる必要があります。

 これがわかっていれば,解読結果として,x=30182523が得られます。

 

 そして5つの暗号数yについてすべて解いて,その結果のxの値を2桁毎に分けて順に並べます。先のx=30182523は,30 18 25 23と並べられます。

 

 5つの解xの全てについて並べたものは次のようになります。

     30 18 25 23 26 29 25 24 19 29 19 24 30 28 25 31 12 22 15

ですね。

 

 これらの数に,アルファベット(Alphabet)を対応させて当てはめれば,暗号は解読されます。

 一般に,11=A,12=B,13=C,....36=Zというように2桁の数にアルファベットを対応させるのが普通です。

 

 これを行うと,上記暗号は,

  T H O M P S O N I S I N T R O U B L E

つまり,"Thompson is in trouble."(トンプソンがトラブルにあっている)と解読されるわけです。

  しかし,暗号というのは他人に解かれては困りますが,本人には解けないと困ります。

 

 そこで,暗号を解いて欲しい人だけに,m=163276821については鍵(key:キー)として,"163276821が12553と13007の積に素因数分解できる。"ことを教えておくわけですね。

 

 具体的には,暗号は解くプロセスをコンピュータにプログラムしておき,キーとyのリストを入力すると直ちにxのリストが計算されて文章に変換された解読結果が得られるようにしておくわけです。

 m=163276821の素因数分解程度なら,大した労力もなくできるので,これは暗号としての意味を持ちません。

 

 しかし,mの桁を200桁とか400桁とかにしておくと,現在のコンピュータでは因数分解に何年か何十年かがかかるはずなので,それで解けたとしてももはや暗号としての価値はなくなっていることになります。

 

 そこでキーを持っている人だけに通じる秘密となります。これが公開(キー)暗号の一つRSA暗号の仕組みです。

 

 では,具体的にコンピュータでmの素因数を見つけるというのはどうすればいいのでしょうか? それは,もちろん単純には2から順にmを割っていって1つ1つ割り切れるかどうかを調べればいいのですが。。

 

 でも例えば 613という整数が何かの整数で割り切れるかどうか,を調べるのに2から 612まで600回程度も割り算をする必要はありません。

613は25×25=625よりも小さいので,仮に613が何かの整数で割り切れるとすると,それはまず2つの整数の積に表わせるはずですが,その2つの整数のうち,一方は必ず25以上で他方は25以下です。

 

そこで,2から25までの間の数で割り切れないなら,これの素因数はない,つまり613は素数であるということになります。

 

実際にはこれより効率のいい素因数探しのアルゴリズム(algorithm)もあるとは思いますが,基本的には8桁まで,つまり1億までの数が素数かどうかを調べるとか,その素因数を全て探すとかが目的なら,"せいぜい4桁の試行回数=1万回の割り算"をするだけでいいことになります。

しかし,もしmが200桁ならどうでしょうか。基本的には1から100桁までの全ての数で試行錯誤して割り算をやって余りがでるかどうかを検算する必要があります。

 

これは現在のコンピュータでも莫大な計算量なので,工夫しても何年かはかかるでしょう。というわけで,事実上解けない暗号ということになるわけです。

 

もっともパスワード(password)である"素因数=鍵(キー)そのもの"を盗まれたら意味はないわけですけどね。

ところが,いまの工学(technology)の世界では,現在のコンピュータの計算時間をはるかに縮めることができる"量子コンピュータ"という可能性があります。例の小説の中では既にこれが完成して実用化されていて世界中の暗号が無力化されたことになっています。

 

しかし,実際には,まだ量子コンピュータは,せいぜい数桁の因数分解に成功したというレベル(level)にしか到達してないらしいです。

 

しも,量子コンピュータが完成すれば,それは現在のコンピュータが何年,何十年とかかる計算を,因数分解などの計算の種類によっては数秒,数分で解いてしまうということになります。

 

今の暗号は役に立たないことになり,新しいものを考え出す必要にせまられるでしょう。

 

そもそも,コンピュータといのは,数でいえば全ての数を2進法で表わす,つまり1と 0 だけで表わすことが基本になっています。0 は 0 ,1は1,2は10,3は11,4は100,5は101,6は110,という感じです。

 

このときの1と 0 で表わされた各桁をビット(bit)といいます。また,面倒なので,ビットが8桁集まったものをまとめてバイト(Byte)と呼びます。

これを利用すると,片手の指だけで 0 から 31まで32個の数をカウントすることができます。手を開いた状態が 0 ,親指を折ると1,人差し指を折って親指を元に戻して立てると2,人差し指と親指を折ると3,中指まで使うと7まで数えられます。

 

指が1本増えるごとに折った状態と立てた状態の2通りがあるので数えられる数の個数は2倍に増える,というわけです。片手を握った状態は31ですね。

 

このことから,両手を使うと 0 から1023まで数えられる,ことになります。足の指を折るのは大変ですが,もしも可能なら手足の指は全部で20本あるので 0 から(1024×1024-1)まで,実に100万以上まで数えることができます。

手足の指:20ビットだけでもそこまで数えられるのですが,現在のパソコンの最先端には64ビットのマシンというのもあって,それだと整数だけでも莫大な数(264-1)まで数えられるということがわかります。

 

コンピュータの具体的な計算には,媒体(メディア)としてメモリーとか,時には大容量のディスクなども利用しますが,基本的に一度にバサッと足し算や掛け算などの演算をするものは,32ビットマシンなら2進法で32桁,64ビットマシンなら2進法で64桁くらいのレジスターと呼ばれるものです。

電気回路的には,"通電=(電流が流れている状態)がon=1"で,"(電流流れていない状態)がoff=0 "であり,これで電流により数:1,0 を表現できます。

 

これをうまく組み合わせれば,全ての数を表わすこともできるのです。さらには論理回路といって,いわゆるブール代数の論理を表現する電気回路もコンピュータの中に構成されています。

   

だいたい,"NOT=(否定)"という回路があればほとんどの論理を表現できます。"NOT=(否定)"というのは1がくれば 0 を, 0 がくれば1を返す論理回路ですが,例えば"YES=(肯定)"なら"NOT=(否定)"を2つ直列に並べればいいわけです。逆に"YES=(肯定)"だけの回路からはどうしても"NOT=(否定)"をつくることはできません。

ですから,例えばコンピュータの内部で割り算の試行錯誤を行なう場合,1ビットなら 0 の場合と1の場合の2通りを行うのですから最低2回の計算をする必要があるわけです。

 

そして2ビットなら4回,3ビットなら8回というように計算回数はネズミ算的に増加していきます。

 

そこで,単純に考えても200桁の数 ~ 10200なら,10100回,つまり約3300ビット=23300回くらいの計算回数が必要ということになり,コンピュータの能力をもってしても莫大な計算回数となって事実上不可能になるわけです。

ところが,量子コンピュータのアイデアはブール代数の単純な論理では表現できない量子力学に従う論理回路を利用することで,計算のスピードが飛躍的に上昇して,こうした時間的限界を突破できるというものです。

 

かつて,アインシュタイン(A.Einstein)は,"神はサイコロ遊びをなさらない。"とか,"神はサイコロを振らない。"(英語では"God does not play dice.")とか述べたと言われています。

 

これこそは,"アインシュタイン生涯最大のあやまち"であり,実際には"神はサイコロ遊びをなさる。(God does play dice.)"というのが正しいのです。

  

これについては後で量子通信について述べるときに詳しく説明しますが,"神がサイコロ遊びをする。"というのは量子力学の1つの真髄を示す言葉です。

現在のコンピュータというのは 0 の場合と1の場合で"2通り=2回の計算"が必要なわけですが,これが1回で済めば結局,"何桁=何ビット"であろうと1回の計算で済むわけですから,計算時間は飛躍的に短くなることは自明です。これを実現しようというのが量子コンピュータという概念ですね。

量子論というのは全ての事象(event)は確率的にしか存在できない,つまり"粒子といえども実は存在する確率というものの波=確率波 or 量子(quantum)"でしかない,というものです。

ですから,確実に 0 である,とか確実に1であるとかいう確率として100%の状態ももちろんあるのですが,0 と1が半分ずつの確率で存在しているような中途半端な重ね合わせ状態も存在可能なわけです。

  

したがって,最初から確実に 0 であるとか1であるとかではなく,0 と1の両方の可能性を持つ状態を入力信号として入力すれば,0 に対する結果と1に対する結果が重ね合わされたものとして出力されるはずというのが,量子コンピュータの基本的なアイデアです。

 

つまり,入力信号の 0 である状態と1である状態のそれぞれの確率を示す係数さえ知っていれば,結果もその割合の重ね合わせで出力されて,0 の場合と1の場合の計算結果を並列して同時に得ることが可能になるのです。

  

しかしながら,技術的には,まだ色々な問題点があるので実用化には到っていないらしい,という話です。

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