谷口ひとみ:エリノア 再び (神々の愛でし人)
2008年12/12の記事「エリノア(谷口ひとみ)」の続編です。
作者谷口ひとみさんは私より1学年上の昭和23年(1948)4月6日生まれです。
昭和41年(1966年)4月10日に,神に愛されて早過ぎる死を迎えられました。
この一作が最初で最後の谷口ひとみの遺作「エリノア」が,読者の注文が100に達したので復刊ドットコムでさわらび書房によって再復刊されました。
私も注文していたので,昨日宅急便で届きました。
今までも1冊目は復刊ドットコムで注文し,2冊目は神保町のマンガ古書専門店の中野書店て見つけて購入しましたが,色々な人に見せた挙句,気に入った人にプレゼントとして進呈したので手元にはありませんでした。
しかし,また読みたいなと思っていたところに,注文多数なら復刊するというメールがあって注文していたのでした。
本書の内容は漫画「エリノア」↑と中学校の文集の中の詩「人形」,そして谷口ひとみ追悼記事「かなしいニュース物語」(少女フレンド1966年20号掲載),
そして最後に2篇の追悼エッセイ
::『エリノア』と『谷口ひとみ』~忘れられた二人の少女~(さわらび工房;まんだらけZENBU40号掲載)
および,
ハルノ、ヨノ、ウタカタ、~谷口ひとみに花束を~(まんだらけZENBU40号掲載)
です。
前回は急性腎不全で亡くなったと書きましたが,上の最後の文には彼女の死の衝撃的な真相が書かれていました。
春休みを挟んで新学期の始まった深夜ひとみさんは睡眠薬を飲み,懸命な処置にも関わらず三日目の早朝一度も意識を取り戻すことなく息を引き取られたそうです。
5日前に18歳なったばかりの1966年4月10日のことでした。
唯一の作品にも残されている少女にしては繊細すぎる思いがある日突然の行動に向かわせたのでしょうか?
彼女は周囲,外部lからのプレッシャーではなくその繊細な心根のせいで自殺の道をとったのでしょう。
彼女の場合がどうだったのかは知るよしもありませんが,「死ぬ気になれば何でもできる。」という言い方があります。
しかし,病気の末に安楽死を願う,イジメの末に自ら命を絶つ。。。
「死ぬ気になれば死んだほうがまし」だったのでしょう。
"エリノア=世界一しあわせな少女"の物語
PS:全く関係ない余談ですが,介護する側からも肉親の安楽死を願う場合があるらしいです。また,最近も子供を焼死させた母親のニュースありました。
これもよくわからず単なる想像ですが,育児ノイローゼではないかと。。
,最近は無痛分娩もありますが男には堪えられないといわれる苦痛に堪えてでも子供が欲しい,子供を生んで育てます。
そうしてせっかく授かった宝である子供,周囲が見るのはただ可愛いらしい姿のみです。でも四六時中対峙して放置すると死んでしまうモノ,逃げられない親には,ときには悪魔のように見えて殺してやりたいほど憎らしい。。となることもあるかと思います。
子供のない私には想像しかできないことなのですが。。
(経験していなくてもある程度は理解できるのが,子供じゃなくていわゆる大人というものだろう?。。)
PS:昨日(10/27)夕方,神保町に行ってみると,ちょうど毎年恒例の11/3までの神田古本まつりが始まっていました。
お金と時間に余裕がなかったのでちょっとだけ見て帰りましたが,古本祭りが終わるまでに,もう1度来てみようと思いました。
帰りに所用で大塚まで行き,その帰りは都電で新庚申塚まで,そこでバス停を含む地域が工事中で,バス停探してるうちに都バスに乗り遅れました。
まいっかと巣鴨駅まで歩いている途中,地蔵通りから郵便局通り突き当たりこちら側から見えるスナック「けやき」を見かけました。
確か最近ケガが治って再び店を始めたらしいと聞いていたこともあり,つい2つ年上?のママに会いたくなって19時半頃でしたが閉店の23時まで飲んでだべってしまいました。
いやー,おみやげにももらったけど,自前のシメサバはおいしかったぁ。。いや,別にショウガじゃなくワサビでもいいよ。
ジャーマンポテトもうまかった。よく考えたらまだ晩飯食べてなかったし。。
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